Final Round
5日後、沼崎は仕事の合間を縫って、スーツ姿のままジムに顔を出していた。
御堂ジムでは試合後1週間は休養を取ることが強制されているのだが、今日は大事なミーティングがあるから絶対に来い、と御堂に呼び出されたのだ。
仕事を抜ける前に掛けられた「日本チャンプになったら、警察庁が公式スポンサーになるらしいですよ。だったら、試合用のガウンのデザインは僕に任せてくださいね」という三井の不吉な言葉を思い出し、絶対に、死んでも嫌だと思いながら、ジムの扉を開ける。
中にはすでにジムのほとんどの人間がそろっていた。
今日も真っ先に自分を見つけた大神が、無意味にでかい声で「遅かったなぁ」と振り返り、沼崎はしぶしぶ「すみません」とだけ答える。
人垣の中心、リングの上に御堂が立っている。御堂はぐるりと力のある双眸を巡らせると、皆がそろった事を確認し、もったいぶった口調で話し始めた。
「今日、皆を呼んだのは、他でもない。聞いて驚くなよ……実は、新しいトレーナーをうちで雇う事になったんだ」
新しいトレーナー? 嫌な予感に眉をひそめていると、御堂がにっと意地悪な笑みを浮かべ、沼崎の方を見た。
「とりあえずは、先日付で日本ランク6位に入った沼崎についてもらうつもりだ」
「ちょっと! 待ってください!」
慌てて声を上げる。確かに、試合後に今後の話はすると約束はしたが、なにも、固定トレーナーを了承したわけじゃない。しかも、ベテランの窪ならまだしも、新人トレーナーなんて……。
しかし、御堂は有無を言わさず「決定だ」と沼崎の抗議を断ち切り、半ば彼の非難の視線を無視するようにスタッフルームの方へと目を向けた。
「入って来い」
スタッフルームに一同の注目が注がれる中、沼崎は半ばやけ気味で腕を組み、扉を睨む。確かに、このジムでやっていく気持ちは固まったが、これとそれとは別問題だ。俺はこれからも一人で……。
不満を募らせる中、扉が開く。そして、中から出てきたのは……。
「やぁ」
「相田さん!」
皆、目を丸めて、まだ顔が腫れたままの相田を見つめた。沼崎も思わす腕を解き、唖然とする。
相田はそんな視線の束に、気恥ずかしそうに何度も頭をペコペコ下げてリングに上ると、御堂の傍まで来て、皆を、そして最後に沼崎を見た。
「皆さん。あの、はじめまして」
「初めてじゃねーよ」
山中のヤジに皆が笑う。相田も苦笑すると
「あぁ、そうだね。じゃ、えと……その。自分が、今度から御堂ジムのトレーナーになった相田正治です。トレーナーとしては、まだまだ勉強しないといけない事はたくさんあるけど、ボクシングの経験と知識だけは自信があります。一緒に頑張りましょう。よろしく」
そういって、頭を下げた。
喜びに温かな拍手が相田を包んでいく。
そうか、相田さん、ボクシング続けるんだな。沼崎はその事に胸をなでおろし、嬉しそうに顔をほころばせる相田を見つめた。
「こいつは、整体師の資格も持っている。これからはボディメンテナンスの戦力にもなるはずだ。よろしくな。それと……」
御堂はそう、相田の紹介に付け足すと、ふたたびスタッフルームの方に目を向けた。なんだ、まだ、何かあるのか?
待っていると、今度は相田が「おいで」と声をかけた。
そして、出てきたのは。
「……坊主」
航だった。まだ細くて小さい体にジャージを着こんで、目を伏せながらおずおずと父親の傍までやって来る。相田はその息子の両肩に、大きく分厚い自分の手を添えた。
御堂が二人の様子に目を細め、声を上げる。
「今日から、練習生として加わる相田航くんだ。御堂ジム最年少のホープだ。皆、いじめるなよ」
ちゃめっけを出したつもりが、かえって怖くなった御堂に、山中のヤジがまた飛んだ。
和やかなままミーティングが終わり、皆、相田を囲んで談笑する。沼崎は、良かったな、と思いつつ相田を遠くから見ていた。
確かに、妙なトレーナーをつけられるくらいなら、相田がいいかもしれない。不思議と彼の言葉は素直に聞けるし、なにより経験と知識の確かさだけは13戦の折り紙つきだ。最後の試合を思い出しても、彼は自分にはないものをたくさん持っているような気がするし、医学的知識も期待できる。きっと学べることは、少なくはないだろう。
「沼崎さん」
足元から声がした。航だ。少し興奮気味に顔を上気させ、まっすぐな目でこちらを見上げている。沼崎は膝を折り、目線を合わせた。
「来たな」
約束を果たしに来たのだと思った。しかし、航はコクンと頷くとすぐに「でも」とつなげ、自分の父親を振り返る。
「僕、お父さんにボクシング習うつもりなんだ」
「そうか」
それが良いと、素直に思った。ボクシングが自分と兄を繋ぐように、きっと、相田と航の絆もボクシングによってより強いものになるだろう。
航は誇らしげに小さな胸を張って頷くと、少しはにかんだ表情になって、言葉をつないだ。
「だから。約束、変えてもらっていいかな?」
約束を変える? どうしたいんだ? 沼崎が首を傾げていると、航は出会った時よりずっと男らしい顔になり、拳を掲げて見せた。
「僕と最強のボクサーになってください」
―― 最強の兄弟になろう
兄の声が聞こえた気がした。
遠い昔に交わし、何度も何度も自分の胸に刻み込んできた古い約束。
それが、今……。
沼崎は胸の痛みを抑えるように、思わず目を閉じる。
こみ上げてくるこの感情に、どんな名前があるのか、自分は知らない。でも、熱く体を突き動かすようなこの気持ちを、もう、見失いたくはなかった。
ゆっくり、航の言葉を噛みしめるように目を開けると、沼崎は、目の前の航の目をじっと見た。
自分の拳をぐっと握り締める。もう、何もつかめない手じゃ、ない。
「あぁ、航に約束する。一緒に、最強のボクサーになろう」
沼崎は拳を握って航に掲げて見せる。
航はそれを見て、嬉しそうに目を細めた。
「やっと、名前を呼んでくれたね。……お兄ちゃん」
大きくなった拳と、未だ小さな拳が、今、重なりあう。
時は流れ、確実に季節は移ろいゆく。
その時代の大きな流れの中、避けられぬ沼崎と白石の対決の時は、刻一刻と迫っていたのだった。
To be continued ......
最後までお付き合いありがとうございました。
この後のお話は、原作である『ゲームセンター猪木』さんの『ボクシング最強伝説』56話の『決戦迫る』に繋がるようになっています。
そこには沼崎と白石の決着が描かれてますので、よろしければ、是非、そちらの方もよろしくお願いします。
『ボクシング最強伝説 56話 決戦迫る』
http://ncode.syosetu.com/n7942h/59/
また、沼崎の大学時代のお話はこちらになっております。未読の方は、こちらも目を通していただけると、嬉しいです。
『ボクシング最強伝説~Memento mori~』
http://syosetu.com/usernovelmanage/top/ncode/117214/
では最後になりましたが、スピンオフを書くにあたり、快諾してくださり、また色々と助けてくださった猪木さん、猪木さんのファンの皆様、そしてこの作品に最後までお付き合いくださった読者様。
本当にありがとうございました。
Ad astra per aspera
『栄光は苦難を乗り越えた先にある』
ゆいまる




