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Round 31

 リング中央でグラブを合わせ、数発、様子見のようなジャブの応酬。身長やリーチに大きな差はないものの、相手の方が若干、体が小さく見えた。緊張しているのか、動きもまだぎこちない。

 がっちりした守りのクラウチングスタイルの相田に対し、利根はスタンダード。とはいえ、互いにファイターらしく、ほぼ額を突き合わせるような距離でリングの中央でもたついていた。何度がくっついては離れ、くっついては離れ、互いに有効打を見ないまま、時間だけが過ぎて行く。


 ファイターの試合は、一見見ると非常に地味だ。闘牛よろしく、ガードを固めただただ全身。自然と繰り出すパンチも近距離攻撃となり、観客にはこじんまりとして見えなくもない。ましてやファイター同士の試合となると、まま、ステップすら見受けられないような展開が続くので、見た目の派手さは削がれるのだ。


 とはいえ、アウトボクシングより劣っているというわけではない。もともと大昔のボクシングはこのファイタースタイルが主流で、ボクサースタイルのように距離をとってかわす方法が臆病者扱いを受けた時代もあった。

 確かに、殴りあう、という意味ではファイターの方がそれらしいかもな。

 沼崎は一進一退を続けるリング上の相田を見つめながら、試合が動く、その瞬間を見逃すまいとしていた。


 と、その時だ。

 相田がいったんバックステップで距離をとった。何度か繰り返している互いの牽制後の仕切り直しと思った利根は、体を浮かせ、自身の体勢を整えようと、ふっとガードを下げる。

 そこに、相田がすかさず飛び込んだ。

 残り30秒。このラウンドはこのまま終わると思っていた利根のモーションがワンテンポ遅れをとってしまった。

 相田の拳が利根の右わき腹にねじ込まれる。苦しさに利根が体を九の字に曲げたところに、さらに顎に一発。利根の顔が完全に横を向き、会場がざわつく。


「相田! そこだ!」


「逃げろ、利根!」


 セコンドからもまるで目が覚めたように声が飛ぶ。

 利根は必死に逃げながら両腕で体を隠すようにガードするが、相田は千載一遇のチャンスに手を止めない。ひたすら前に出て、細かく刻むようなパンチを利根に積み上げて行く。

 逃げるのを諦めた利根がたまらずクリンチをした。

 相田の攻撃が覆いかぶさる利根の両腕に阻まれ、止まってしまう。


「くそっ」


 沼崎は思わず舌打ちをして、腕を組んだ。

 相手に抱きつき、動きを抑制し体力の回復を図るクリンチは反則ではない。むしろ有効に使うのは高等技術が必要で、接近戦の多いファイターや、ピンチの際にはよく見られる方法だ。

 とはいえ、相田のチャンスだっただけに、忌々しいのは正直なところだった。

 レフリーが二人の間に割って入って引き離す。互いにかまえ、仕切り直しかけたところで、一ラウンド終了のゴングが鳴った。

 

 インターバル中に、両選手の紹介アナウンスが流れて行く。名前、体重、出身地、最近では試合前にコメントをとられ、ここで紹介されることも多い。

 相田の『頑張ります』というなんの個性もないコメントの時に、ふと、そう言えば自分は何にも聞かれなかったと思い至る。セミファイナルなどにはないのか? 考えていると、いつの間にか傍にいた御堂が「お前の分は、俺が考えといてやった」と不吉な事を口にした。妙な事を言われるなら、絶対に一ラウンドで終わらさなければと沼崎は心に誓った。


「まぁ、序盤としては、まずまずか」


「ですね」


 御堂と腕を組み、セコンドで伊藤になにやら言われながら懸命に頷く相田を見つめる。

 悪くは、ない。でも、様子見と言っても4ラウンドしかない試合だ。次のラウンドからはもう少し積極性が欲しいようにも思えた。まだ、ばててはいない。ただ、相手の若さを考えると、どれほど練習を積んできたと言っても、36歳と20歳のスタミナの差は覚悟しておく必要があるように思われる。


「沼崎さん」


 声をかけられ振り返る。

 御堂の顔が一瞬こわばった。


「御堂さん。ご無沙汰してます」


 航と、その母親の芙美だった。傍には窪と荒尾がついている。どうやら彼らが二人をリングサイドまで連れてきたようだ。

 芙美は確かに、美しい人だった。相田と並べば美女と野獣と言う言葉が自然に想起されるような、たおやかで色白の大和撫子だ。若干、年を重ねたせいなのか、その病弱故なのか、萎れた感じは否めなかったが、それをもってしても綺麗な部類に入るだろう。特に、航に引き継がれたのであろう、控え目な空気の中に光る、理知的な瞳が印象的だった。

 御堂はすっかり舞い上がった様子で「あ、いや~。この度は、その~どうも~」なんて歯切れの悪い返事をしている。周囲が呆れ顔でいる中、御堂はなんとか会長としての威厳を保とうと、咳払いをしてから、苦し紛れに航に微笑みかけた。


「お父さん、頑張ってるよ」


「……う、ん」


 航は不安げにリングの上の父親を見上げた。

 沼崎はそんな航の背を押すと、リングの一番傍に立たせる。

 自分も兄の試合を、こんな風に何度も見た。いつだってこちらが逃げ出したいくらいドキドキしながら、心臓が痛みを覚えるほど緊張して、兄の勝利を祈っていた。


「信じよう」


 一言、告げると。航は黙って父親の背中を見上げながら頷いた。

 二ラウンドが開始する。


 始まってすぐに、相手の異変に会場中が気がついた。

 極端なまでの低姿勢でやってきたのだ。アマチュアなら反則となるであろうくらいの、亀のように背を丸めた完全防御の姿勢だ。

 自分なら、それでも相手のわき腹に一発ねじ込んで、防御を崩す自信があったが、相田はそこまでのパンチもリーチもない。厄介だな……。

 沼崎がそう思った通り、相田もやりにくそうにもたついた。伊藤が頻繁に足を使えと声を飛ばすが、あれだけガードを固められると、手の出しようがないはずだ。

 レフリーが二人に注意を出した。

 もっと、積極的に試合をしろ、という意味だろう。まだ減点にはならないが、続けば点数を引かれてしまう。

 と、次の瞬間、利根が急に動いた。どうやら、かなり心臓が小さい選手らしい。レフリーの注意に動揺したようだ。

 相田が向かってきた利根を冷静に待ち受ける。

 利根が右ストレートを放った。相田はダッキングでかわすと、そこからアッパーを突き上げる。

 御堂ジムの人間の顔が一瞬、明るくなったのもつかの間だった。大きく開いてしまった相田のボディに、踏ん張った利根の左が打ち込まれてしまった。

 バンッと派手な音がして、相田の顔面が爆ぜた。

 利根がそこに追い打ちをかけるようにパンチを繰り出していく。窪が相田の悪いパターンが来た、と言わんばかりに顔をしかめため息をつき、御堂が眉間のしわを深めた。

 相田はその後、何度か逃げて体勢を整えようとするが、利根はその一発で調子に乗ったらしい。執拗に追いかけてはラッシュをしかけ、相田のパンチを続けてもらうようなことがあればクリンチを繰り返してきた。

 利根を相手になかなか自分のボクシングができない相田が疲弊していく。

 ラスト10秒。ふとした隙が、生まれてしまった。

 気を抜くな! 沼崎が声を出そうと口を開けた時にはもう遅い、一瞬のそのチャンスを見逃さなかった利根のラッシュが相田の体に打ちこまれる。

 サンドバック状態になる相田。悲壮な顔でリング上の夫を見つめる芙美の顔が青ざめた。

 ゴングが、鳴る。

 それに救われた形で、相田は二ラウンド目をどうにか乗り切った。


 これか……。沼崎は数日前に相田が自身で言ってたハートの弱さを思い出す。

 とはいえ、本当に相手はやりにくい選手だ。別段強いわけじゃないが、あのガードにクリンチを繰り返されたら、体力的にも精神的にも厳しいだろう。腕も短く、強力なパンチがあるわけでもない相田が、相手を崩すには相当の忍耐が必要になりそうだ。

  

「相田。焦るな! じっくりお前のボクシングをしろ!」


 御堂の激が飛ぶ。相田は伊藤と話しながら、ちらりこちらを見て、一瞬目を見張った。芙美と航の存在に気がついたようだ。

 勇気づけようと無理に笑顔を作って見せる芙美に、堅い表情のままの航。相田は二人に平気だと言わんばかりに片手を上げて見せる。

 三ラウンド目が、始まった。


 それは、開始すぐだった。

 利根が、走ってきたのだ。

 思わぬ利根の行動に、相田が固まってしまったところだった。

 まさに出会いがしら、右ストレートが勢いのまま放たれたのだ。


「あっ」


 航が息を飲む。その間にも、容赦なくロープを背負った相田の体に無数のパンチがたたき込まれ……。

 とうとう、ぐらり、相田の体が揺れた。

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