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Round 17

 戻ると、すぐに二階のジムの方から活気のあふれる声が漏れ聞こえてきた。ロビーの時計は夕方の五時を指している。ちょうど学校帰りの学生が押し寄せてるのか? 

 いつもは訪れない時間帯の賑わいに首をかしげながら、後ろをついてきている航を振り返る。来慣れていない、もしくは初めてきたのか、きょろきょろと身を縮込ませて周囲を見回していた。


「おい、坊主。行くぞ」


「航」


 少年は沼崎の声に、眉をきゅっと寄せると、口を突き出した。


「坊主じゃなくて、航……だから」


 へぇ、なかなか言うじゃないか。

 自分に言い返す態度に、沼崎は少し面白みを感じながらも、ぐりっと航の頭を一撫でし


「わかった『坊主』行くぞ。ジムは二階だ」


 と脇の階段を目指した。

 飛び石を跳ねるように軽快に階段を上がる。にぎわう声はますます高まり、入口のドアを開けるとそれは熱気とともに洪水となってあふれ出してきた。

 みると、ジム内の人間が全て、リングサイドに集まっている。


「これは?」


「ああ。戻ってきたか。なんや? そのガキは」


 誰よりも早くこちらに気がついた、誰よりも気づかれたくなかった大神が腕組みしながら寄ってきた。その顔は、さっきの沼崎と荒尾の一件なんかすっかり忘れたかのような明るいもので、一体何があったか沼崎は訝しむ。


「これ、どうしたんです?」


「あ? この騒ぎか?」


 大神は拳を口にあて、くくくと笑いをこらえる。そして、リングの上を指差した。


「あ」


 航が声を上げる。

 相田が、グローブをつけて立っていたからだ。試合用より少し大きめのグローブに、赤いヘッドギアをつけている。明らかにスパーリングの様相だ。相手は? 沼崎は慌てて対戦相手を探す。青いヘッドギアの隙間からのぞく、見覚えのある金髪……。山中?


「なんや。そこのガキは山中のファンか? なら、ラッキーやったな。今から、カッコいいところ、確実にみられるで」


 大神がリングを食い入るように見つめる航に、見当違いの言葉をかけるから、沼崎は慌てて耳打ちした。


「違います。相田さんの息子です」


「え?」


 大神の顔が引きつる。沼崎はリングに釘つけになる航から大神を引き離すように、腕を引き、距離をとると、小声で問いただした。


「一体、どういう事です? 今日、スパーを組んでたんですか?」


「いや、それやねんけどな」


 大神もさすがにまずいと思ったのか、顔をゆがませ航の方をうかがいながら、いきさつを説明し始めた。


「お前が出て行ったあと、山中がすれ違いに来てジム生がお前らの話しを奴にチクリよってん。で、あの通り、山中は声がでかいやつやろ? そこに来て、お前の嫌われっぷりや。ジムが一気にヒートアップしてもうてやな。荒尾が三階に体つくりに言ってて、会長も用事で席をはずしてもうておらんかったんもバッドタイミングや。山中が荒尾の代わりにお前へのリベンジを兼ねたスパーやるって、盛り上がってん」


「あぁ」


 あの、阿呆の考えそうなことだ。

 スパーなのに、メインイベントよろしく山中はリング中央で腕を振り上げ、皆の歓声を受けている。一方、相田はというと、自分の足元を確かめるように両足でリングの上を跳ねながら、体を静かにほぐしていた。


「で、相田さんがな、止めに入ったって訳や。沼崎はお前らが言うほど悪い奴やないって。ほんま、相田さんも変に正義感強いとこあるからなぁ……おっと」


 大神が航の視線に気がつき、手で自分の口を押さえる。

 航はジム内の異様な空気の中心に自分の父親がいる事に不安を覚えているのか、心もとなさそうな顔で沼崎を見ていた。

 沼崎は大神の背中を一つ叩き「この子どもをよろしくお願いします」とだけ声をかけると、リングの方へ向かった。

 練習生たちが沼崎に気がつき、場所を開けて行く。視線には「お前のせいで相田が酷い事になったぞ」という、自分たちが囃したてた事などすっかり棚に上げた非難感情がたっぷりと含まれていたが、構わず相田の傍に歩み寄った。


「相田さん。聞きました。いいんですか?」


「あぁ。沼崎君。拳は大丈夫だったかい? 俺は……試合前にちょうどスパーしたかったんだ。山中君は同じ級だし、助かるよ」


 にこやかに笑う顔に、沼崎は嫌な予感がする。

 コーナーにいる山中が、得意げに口を歪めてこっちを見ていた。先日の仕返しのつもりか? A級といっても、中身はさっきのガキ連中と同じだな。

 舌打ちを押し込め、相田を見やる。


「本気ですか? 山中はたぶん……」


「あぁ。本気で来るだろうね。でも、俺にも意地がある。見ててくれ」


 スパー開始を促す山中のトレーナーの声がした。山中と同じような顔をしてやがる。おそらくは、ここ最近不調の山中の起爆剤か何かにしようとでも考えているのだろう。相田は試合前の選手というのに……。


「あの、相田さん」


 沼崎はリングの中央に向かおうとする相田に、航の事を告げようと声を上げた。しかし、その声は歓声にかけ消され……。

 スパーのゴングが鳴ってしまった。


 両者の体格は、級が同じだけあって、身長には大差ない。若干、山中の方が筋肉の締まりを見せているが、相田も年齢の割には体を作り込んでいた。リーチの差も特には見受けられない。

 互いに一気に距離を詰める。同門同士、知った仲だからか、様子見はなかった。

 緩いジャブを両者、何発か出し合った、直後、山中の動きが突如加速した。ウィ―ビングで体を柔らかく振りながら、一気に相田の懐に飛び込む。息を飲ませる暇もなく、三発。右のワンツースリーで、顔面に打ち込んだ。しかし、相田はひるむことなく、離れる瞬間に、右フックで山中のわき腹に拳を喰い込ませる。

 今度は相田が一歩前に出た。スタンダードなコンビネーションを放つ。スピードは悪くはない。しかし、もともとガードの固い山中に全て交わされ、逆に、山中に踏み込まれた。バックステップでかわすも、山中の拳が追い付き、再び顔面にストレートが打ち込まれる。

 相田の頭がぐらんと後方に揺れた。

 航は思わず声を上げ、手で口を押さえる。大神が気を使い「大丈夫や。顔面は入ったら派手やけど、そんなにダメージはあらへんで」と声をかけるが、航の耳には半分も響いていなかった。


 どちらも極端なインファイター。スタイルも重さも同じ分、スピードとパンチ、なによりセンスに差が見え始める。

 何度目かのかするような打ち合いの後だった、山中のスピードがさらに加速した。今までの動きは寝ぼけていたのか? と思うほどの、緩急をつけた上下左右前後の揺さぶりに、とたんに相田の足が止まる。

 打ち分けられた多彩なジャブと変則的な動きで、相手を翻弄し惑わせるように動く山中。みるとレフリー役で入っている奴のトレーナーの顔が満足げだった。きっと、ここ最近の不調で以前の芸のない、ガードとパンチまかせのスタイルから、スタミナは消費するが少々トリッキーな動きを混ぜるスタイルに変更したのだろう。

 だめだ。こんな見せかけの動きにペースを飲まれるな。

 リングの中央で動けなくなってしまった相田に、沼崎が声を上げようとした時だった。

 不用意に出した相田の左ジャブが、山中の左に軽くはじかれ、一気に懐に入られてしまった。にやり、マウスピースが山中の口から覗く。

 右アッパー一閃。

 相田の顎が思いっきり天井に打ち抜かれた。

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