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Round 11

「先輩、大丈夫っすか?」


 都内の警察病院で、沼崎は検査という名目の謹慎を受けていた。もちろん、一連の事件で負った怪我をケアする目的もあったが、あの場での出来事を聴取したがる組織はたくさんあり、どちらかと言えば事件の詳細を押さえるまで、沼崎の身柄を拘束という意味合いが強いように感じられた。

 実際、所謂検査というものは頭部のCTを取っただけで、他は何もしていない。以降、狭いベッドと消灯台、折りたたみのパイプいすしかない部屋に閉じ込められ、かわるがわるの取り調べに対応させられていた。

 警察庁はおろか、フォーラムの主催に、各国のSPからの質問や確認事項もあり、英語なら留学経験があるからまだしも、中国語やスペイン語など交えた取り調べには、さすがに疲れを感じざるを得なかった。


「これで。終わりだろうな?」


 返事の代わりに確認する。時計を見ると、すでに夜の十時を回っていた。事件発生から六時間ほどしかたっていないのに、もう何週間もここに閉じ込められているような気がする。

 右の掌に無数にも思われるほど刺さっていたガラスは、すべて取り払われ、丁寧に包帯が巻かれていた。開閉するのに痛みはあるが、完治には一週間もあれば充分だろという話だった。

 頭へのダメージも、少し横になったおかげで、もう感じなくなっていた。一応の数日後の検査も勧められたが、たぶん受けることはない。

 沼崎は簡易のベッドに腰掛けたまま、「怖い人が一人、残ってますよ」といつもの調子で猫のように口をにやけさせる三井を見上げた。


「それにしても、良く、あの女が怪しいって分かったすね」


 三井は春木を自宅に送り、交代の人間に無事引き渡した事を報告した後で、ベッドのそばにあった椅子に腰を下ろした。


「あぁ、それは……」


 沼崎は消灯台に外されて置かれてあった、自分の腕時計をはめながら答える。


「あるべきものが、なかったんだ」


 そう、あるべきものがない。だから、引っかかった。


「あるべき、もの? 彼女は当日配布の社員証も、ワインもグラスも、ちゃんと持ってたらしいですけど」


「オープナー」


「へ?」


「オープナーがなかったんだ」


 沼崎はそういうと立ちあがり、壁に掛けられていた自分のジャケットに腕を通す。血がいくつかついているが、誰のものかはわからない。


「ワインやグラスがあるのに、ワインを開けるオープナーがないなんて不自然だろ」


「まぁ、確かに」


 そんな細かいところまで見てたんですか? と三井が関心というより怪訝そうな目つきで沼崎を見上げた。実際は、自分の感じた違和感が何であるか明確に分かったのは、女の傍に行ってからだったが……えてして見落としてならない大切なもの、はそんなもののような気がする。

 何がおかしいのか、痛い目にあった後で気がつくのだ。


 今日は筋トレくらいしかできそうにないな。打身があるのかまだあちこち痛む体を動かし、最後に包帯だらけの右手を見つめた。御堂の渋面が目に浮かんで、重い気分になる。

 ドアが軽くノックされた。

 三井がピンと背を伸ばし、慌てて席を立つ。

 誰だ? と視線で尋ねると、三井は口だけにやけさせ「さっき言ってた、怖い人ですよ」と小声で答えた。


「入るぞ」


 短く太い声。その場にある空気全てを震わすような堂に入ったそれは、相手に威圧と緊張を押し付ける種類の声だった。

 特徴的なその音に、沼崎も相手の姿が見える前に察し、三井同様に背筋を伸ばす。


「調子はどうだ?」


 二人揃ってその男に敬礼した。

 警視庁の警視、二人が現在所属する班の班長、大下泰造は、そんな部下の様子ににこりともせず「悪くはないようだな」と何か堅いものでも噛み切るように口の中で呟いた。ねぎらいの言葉は一切ない。たたき上げで警視庁の警視まで這いあがってきた大下は、こと、キャリア、特に新人を疎んじる節があるらしく、庁内ではキャリアいじめに定評のある人物だった。


「沼崎、お前の処分が決まった」


 大下はにこりともせず、分厚い体躯の後ろで丸太のような腕を組み、沼崎を睨みつける。


「二週間の謹慎だ」


「え?」


 声を上げたのは三井の方だった。思わず上げた声そのままに、一歩踏み出し、大下の顔を非難の目で凝視する。


「どうしてですか? 先輩は怪我までして手柄をたてたんですよね? なのに……」


「持ち場を離れたから、ですよね?」


 しかし、答えたのは沼崎の方だった。大下は不遜な態度の若造を一瞥すると、鼻で笑ってから口を歪める。


「そうだ。お前ら二人は春木代議士の警護としてあの場に配置されていた。にもかかわらず、沼崎は持ち場を離れた。半月分の減給も覚悟しとけ」


「はっ」


 沼崎は予想していた処分に眉ひとつ動かさず、小さく了承の意を伝えた。その横で、三井がまるで自分自身の事のように、不満顔で口を尖らせる。


「そんなの、詭弁じゃないですか。おかしいですよ。持ち場は確かにあの会場の外という決まりでした。でも危険を見つければ、排除し対象を守るのが我々の仕事でしょう?」


「その通り」


 大下が首肯する。その眼光は仁王像のそれに似ていて、三井なんかは初め目をあわせることもできなかった。が、それより怖い先輩の元にいるせいか、今では鬼警視にまるで友人に話しかけるような気軽さで抗議していた。


「じゃあ、どうして……」


 大下はため息を大きくつき、ぐぐっとさらに眉間のしわを寄せる。


「知るか。上の命令なんだ。沼崎、お前もこいつのように、上にコネでもあるのか?」


 吐き捨てられた言葉に、沼崎は首を捻る。「いいえ」と短く答つつ、考えをめぐらせるも、やっぱりそれらしき心当たりはない。


「謹慎と言うのはあくまで表向きに、だ。実質は、お前に二週間の休みを取らせろということらしい。上からの通達だから、俺にも理由はわからん。通常はそれぐらいの負傷ならすぐに現場復帰が原則だからな」


「はぁ」


 沼崎自身もよくわからない。三井に何か知っているかと目配せしても、三井も不思議がるばかりだった。


「とにかく、二週間は任務に就く必要はない。今回の件も、さっきの取り調べ以上のものはたぶんないはずだ。一応、いつでも連絡はとれるように、都内にはいてもらわにゃならんが、あとは自由にしていいそうだ」


「そう、ですか」


「でも報告書は明日までに提出しておけよ。それから、三井! お前は沼崎の復帰まで、本部でデスクワークだ。今回の事で事後処理が山のようにある」


「やった!」


 憧れのデスクワークに思わず手を打つ三井に、仁王が一睨みする。が、かまわず三井は人懐っこい笑みを浮かべると「なんだか知らないけど、ラッキーすね」と長閑に答えた。


「とりあえず、明日0時から謹慎だ。以上」


 鞭で床を打つような声に、三人は同時に敬礼する。

 張り詰めた空気は、大下が出て行くと、三井の歓喜の声で瞬く間に緩められた。


「先輩。良かったじゃないですかぁ。これで試合まで、ボクシングに集中できますね」


「あ、あぁ」


 謹慎は理解できたが、こんな甘い処分は予想外だった。上にコネ? あるわけない。一体何が? 考え込む沼崎に、三井の能天気であっけらかんとした言葉が飛んだ。


「なんでもいいじゃないですか。結果オーライ。とりあえず、頑張ってくださいよ。僕、絶対応援にいきますからね!」


「……それだけは遠慮する」


 答えながらも、三井の言葉に従うしかないだろうなと思っていた。

 考えても分からないなら、とりあえず、この機会を利用すべきだろう。

 沼崎は頷くと、痛みが脈打つ右手のひらを見つめた。体の中がむずむずする。今、すぐにでも体を動かして、トレーニンを始めたい衝動に駆られる。

 ボクシングが、できる。

 この時、沼崎は自身がすでにボクシングの魅力に取りつかれている事を、まだ知らなかった。

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