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Round 1

この作品は『ボクシング最強伝説』というゲームセンター猪木さんの作品のスピンオフです。

ご存じない方にも読んでいただける内容にはなっておりますが、原作の方もどうかよろしくお願いします。


※この作品はフィクションです。実際の団体、個人とは一切関係ございません。


 盛り場の喧騒から一歩踏み入った吹きだまりのような場所には、まだ夏の熱気を未練がましく引きずる淀んだ闇が充満している。

 沼崎透也、警察庁に属するその男は粘着質な闇の中で壁に背を預けながら、つまらなそうに腕を組み、相手の回答をじっと待っていた。


「こ、こんなことしていいのかよ! お前ら、警察だろ?」


 相手の、威勢のいい言葉とは裏腹な怯えを隠せない声色が、苦笑すらさせない憐みを誘う。


「ってかむしろ警察以外がこんなことしちゃいかんでしょ。ねぇ……沼崎先輩。どうします?」


 沼崎と男の間に立つ三井が、負け犬の如く吠えた相手にに銃口を向けながら唇を尖らせた。

 まだ入庁一年目の三井は、さっきまで子分を数人従えていたヤクザの幹部を前に、若干の高揚がないとは言えない。が、親の七光りとはいえどキャリアコースに乗っているだけあり、簡単に撃鉄をあげるようなことはしなかった。

 沼崎は質問には答えず、腕に巻いた時計を確認し、舌打ちをする。

 男に視線を定めたまま三井は苦笑し「今日は間に合いそうですか?」と軽口を叩いた。


「さぁな」


 沼崎はけだるそうに壁から離れ、繁華街の灯りを遮るように三井の隣に立つ。


「なんだ……。おまわりさん、デートの予定でもあんのかよ」


 男の首に巻かれた金色の鎖が、わずかに路地に零れいる卑猥なネオンを跳ね返す。酒とたばこ、小便の臭い……それ以上に、この男自身から漂う醜悪な罪の臭いに沼崎は顔をしかめる。

 男はそれを図星された気まずさと勘違いし、銃口を向けている三井より、このひょろっとしたやる気なさげな男の方が組みしやすいと判断した。にやりとぶよついた唇をゆがめ、薄っぺらい笑みを浮かべる。


「だったら、さっさとそっちに行った方がいいぜ。俺はあんた達が欲しい情報なんか、一つも……」


 刹那、男の舌の根が一気に乾いた。まるで体全体を巨大な何かに圧迫されているように、呼吸ができない。指先まで痺れるような痛みとともに冷えていく。首筋にじわり嫌な汗の玉が浮かび、瞬きすら自由が利かなくなる。


―― 沼崎が、男を睨みつけていたのだ。


 手を出しているわけではない。三井のように銃口を向けるでもない。

 ただ静かに、まっすぐ射抜くような鋭く強い眼光で、男を睨みつけたのだ。

 男はヤクザといえど、幹部という立場に恥じないくらいにはそれなりの修羅場をくぐりぬけてきた自負はあった。お務めというやつも3度済ませているし、弾丸や獲物でついた傷は数知れない。

 しかし……どういうわけか、この若いひょろっとした見た目には頼りなさげな警視庁の警部に睨まれた、たったそれだけの事で身動きできなくなってしまったのだ。

 自分でも理解できない事態に、男は困惑し、その困惑がさらなる混乱と恐怖を招いている。


 三井は沼崎と組むようになってから何度も見てきたこの光景に、再び苦笑し銃口を下げた。沼崎の睨みは、蛇のように鋭利で冷酷な殺気を帯びている。それは修羅の世界に深く浸かっていればいる者ほど、敏感にそして強烈に感じ入るものらしい。

 目の前の男は、相当どっぷりと修羅の世界に浸っていたのだろう。まるで世界の終りでも見たかのような狼狽と絶望感がうかがえた。こうなればもはや銃も脅しも警察手帳すら必要ないことは三井はこの半年の経験で十分承知していた。

 案の定、三井が一歩先に進むと同時に、男は糸の切れた操り人形のように路地に座り込む。


「はいはい。じゃ、ちゃっちゃと素直に自白してくださいね。先輩は、最近めちゃくちゃ機嫌悪いから、さっさと話した方が身のためですよぉ」


 三井がおどけて男の前にしゃがんでから、「ですよね?」と言わんばかりに沼崎をいたずらっぽく一瞥した。沼崎は不機嫌な面持ちを崩さず目をそらす。

 はじめは怖くて仕方なかった先輩警部の様子に、三井は笑みをこぼしたくなるのを噛み殺す。こほんと咳払いを一つして、死人のように青い顔になった男の顔を覗き込んだ。


「今日、代議士春木道成を襲撃するように命じたのは、お前の組の頭だな。実行犯の名前も言えるか? あと、代議士の息子に麻薬をさばいていたのも、お前の組系列で間違いないな?」


 男は観念したのか完全に項垂れ、ぼそぼそと何かを答えた。三井は迷子から事情を聴くような面持ちで、男が不審な物を持っていないか探りつつ、取り調べをはじめる。

 沼崎はそんな後輩の仕事ぶりを眺めながら、再び壁に背を預けて目を閉じた。


 車のクラクションに、酔っぱらいの喧嘩の声。客引きの女の下品な香水の臭いや軽薄なネオンの光。遠くで鳴り響くサイレンが、眠らない街に平穏が来るのはもはや、都市伝説か儚い夢なのだと喚き散らしている。ここでは、命なんか紙屑のようなものだということも。


 知らず拳を握りしめていた。


 沼崎は似たようなような場所をよく知っていた。

 本能を挑発するような声が飛び交い、汗ばんだ生々しい空気が充満し、煌々と照らされる命のやり取りの場所を。

 何をしていても、頭の中から離れない光景に思考が引きずられていく。

 そう、この案件が浮かぶ前に見た、あの試合。思い出すほどに、腹立たしく、むかついた。同時に焦りともどかしさがジリジリと腹の底でくすぶり始める。

 俺は何をしてるんだ……。

 焦燥感が喉までせり上がり、卑屈な言葉をひねり出そうとした。その時、三井が時間と容疑名を告げる声がした。

 目を開けると、三井が男を手錠で引っ張り上げ、立たせているところだった。


「あとは自分がやっときます。先輩はもう引いてください」


「しかし……」


 沼崎は快活な後輩の申し出に、眉間のしわをさらに深めた。

 警察の仕事は、ほぼ7割がデスクワークといっても過言ではない。こうやって、犯人を追ったり、証拠集めしたりという派手な仕事はほんの一部で、実際は捕まえる前も後も、山のような書類整理が用意されている。人一人を捕まえ、法のもとに裁くというのは、かなりの手続きと体裁と理由が必要なのだ。

 こと今回の案件は、これが決着ではなく、むしろこれが正念場への突破口になるはずだった。しかし、後輩は「ほら、歩け!」とヤクザの背を押しながら、まだあどけなさの残る笑顔を向けて悪びれてみせる。


「少しは出世のネタを後輩に譲ってくれてもいいでしょう? いくら父が上層部にいるからと言っても、最近は簡単に出世できないんですよ。それに……知ってますよ。こないだの案件も先輩の手柄だったらしいですね」


「それは……」


「一体、どんな体してるんですか? 仕事もして、ジムにも行って……っていうか、こないだの試合で完全に上にバレてますよ? どうするんですか?」


「ジム? 試合?」


 手錠をかけられた男が口をはさむ。沼崎はおしゃべりな三井をひと睨みした。首をすくめ、三井は苦笑しながら頭を下げる。


「とりあえず、取り調べは自分と大下班長でやっときますから。先輩は帰ってください」


「だが」


 一歩路地から外に出る。待ち構えていたとばかりに、ねっとりとした深夜の物憂げな熱と、煩雑な騒音がまとわりついてくる。

 足早に人波を横切り、ガードレール脇に止めていた車を目指す。三井は手慣れた様子で男を後部座席に押し込むと、素早く運転席に乗り込んだ。警察車両は、後部座席の扉については外からは開けられても、中からは開けられない仕組みになっている。加えて、三井は抜け目なく沼崎が助手席に入れないように早々にロックしてしまうとウィンドを少し下げ、したり顔で車の中から仏頂面の警視庁始まって以来のトラブルメーカーを見上げた。


「試合、近いんすよね」


 どうして知っている? 沼崎は一瞬鼻白んだが、三井は猫っぽい顔をにやけさせ答えた。


「それまでは、なんとか自分の父も黙らせておきます。だから、頑張ってください」


「お前……」


「では」


 三井は、沼崎が反論する前にさっさと敬礼してしまうと、ウィンドウをあげて走り出してしまった。

 沼崎は取り残され、犯人と後輩を見送る形になる。

 ほどなくして車のテールランプが街のネオンの洪水に沈んでしまう。この街にいる理由がなくなった事を確認し、ようやく沼崎はため息をついて腕時計を再度見た。


 ここからなら、走っても15分ほどでジムにつくか……。まだ、間に合うな。

 沼崎は上着を脱ぎ腕にひっかけると、自身の中のやりきれない苛立ちと、まだまだ眠ろうとしない街の猥雑な淀みを振り切るように駆けだしたのだった。

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