嫌味ばかり言ってくる婚約者様に私は相応しくないようです。婚約破棄してさしあげようと思ったら、何だか様子が……?
「ヴィオラお嬢様、お客様がお出でです」
「分かったわ。少し待っていて」
先日雇われたばかりの新人メイド、ミリアが来客を知らせにきてくれた。
読んでいた本に栞をはさんで、姿見で身だしなみを整えてから客間に向かう。
「ヴィオラお嬢様は本日もお美しいですね。はあ、見ているだけでうっとりしちゃいます」
「あら。ありがとう、ミリア」
私、ヴィオラ・ベネディクトは、伯爵家の一人娘だ。今年で十七歳になる。柔らかなブロンドヘアと青い瞳はお母様譲りで、自分でいうのも何だが整った容姿をしている。
お父様にはもう少しお淑やかにしなさいと口を酸っぱくして言われているけれど、気が強い性格は生まれながらのもので、思ったことはつい口に出してしまう。
そのせいで、社交の場で同じ年頃のご令嬢やご令息に失礼なことを言ってしまい、お父様を怒らせてしまったことは数え切れないほどある。
といっても、十歳を過ぎたあたりからは、少しずつ言葉を慎むことも覚えたけれど。
「そういえば、どなたが訪ねてきたの?」
「えーっと、澄んだ夜の空を映したような黒い髪に、お嬢様と同じ美しい青い瞳をしている殿方です」
「黒髪に、青い瞳……」
「お名前は確か……」
「ああ、もう分かったから大丈夫よ」
その容姿に当てはまる人物で、私を訪ねてきそうな男性が一人だけいる。
気分が重たくなるのを感じながら客間に続く扉を開けば、悠々自適な態度でソファに腰かけていたのは、予想通りの人物だった。
「お姫様は、今日もご機嫌斜めなご様子で」
「……いえ、そんなことはありません。つい先ほどまではいい気分でしたよ」
「へえ。それじゃあ今急に、気分が悪くなったってことか?」
「優雅な読書の時間を邪魔されては、それも仕方のないことだと思いませんか?」
「そうかもな。まあ俺には関係ないことだが」
人を小馬鹿にしたような顔で笑っている彼は、セシル・クロンヘイム。
公爵家の嫡男であり、若くして王宮直属騎士隊の第二部隊隊長を務めているすごい人だ。そして私の婚約者でもある。ちなみに年齢は、私より二つ年上だ。
セシル様との出会いは、私が十歳の誕生日を迎える何日か前。お父様たちの付き添いで、数度目の社交の場に出た時だった。
初対面を果たしたセシル様に、確か私が失礼なことを言ってしまったのだ。
お父様にはあとですごく叱られた。セシル様が名のある公爵家のご子息だったからだ。あの時のお父様はすごく怖かったわ……。
私はこの件をきっかけに、余計な発言は控えるということを、身をもって学んだのだった。
そして、それから数日後のことだ。クロンヘイム家から、セシル様の婚約者としての正式な申し出があったのよね。
私とセシル様では家柄や身分、何もかもが違い過ぎる。だから、どうして私が婚約者として選ばれたのか、その理由はいまだに謎のままだ。
両家の間でどういった話し合いが為されたのかは分からないけれど……気づけば私は、セシル様の婚約者になることが決められていた。
「ヴィオラ。婚約者が直々に会いにきてやったっていうのに、茶の一つも出してはくれないのか?」
「……ミリア、お茶の用意をお願い」
「はい、かしこまりました!」
客間を出ていったミリアを見送ってから、セシル様の前に腰かけようとすれば、目線で隣に座るよう促されてしまった。渋々隣に腰を落とせば、セシル様は満足そうな顔で口角を持ち上げる。
「今日は評議会に参加してきた。しかし、金や保身のことしか頭にないウジ虫どもの相手をするのは疲れる」
「セシル様、だめですよ。そんな言葉遣いをしていたら、クロンヘイム家の嫡男は礼儀知らずだと噂されてしまいます」
「はいはい、分かってる。他の奴らの前では行儀よくいい子ちゃんのフリをしているんだから、問題ないだろう?」
セシル様は私の頭を乱雑に撫でながら、ニヒルな笑みを浮かべて首を傾げる。
他の紳士淑女の皆さんの前では、まるで天使のように麗しい笑みを浮かべて、品行方正な態度をとっているのに……私の前でのセシル様は、いつもこんな感じだ。
それに、私に対して意地悪を言ってくるのもお決まりだった。
「ヴィオラ、またケーキばかり食べていたんだろう? 横に面積が増えてきたんじゃないのか?」
「そ、そこまで太っていませんわ! ケーキは、まあ食べていましたけど……そもそも、セシル様が美味しいスイーツばかり贈ってくるのがいけないんですからね!?」
「ああ、今日もお前が好きそうなスイーツをたんまり持ってきてやったぞ。アップルパイにマカロン、ベリーのタルトもあったな」
「アップルパイに、ベリーのタルト……はっ! だ、だからスイーツを手土産に持ってくるのはお控えくださいと言っているじゃないですか。これ以上食べたら本当に肥えてしまいます……!」
「今にもよだれが垂れてきそうな顔をしているぞ。心配するな。肥えたら俺が直々に調理して、骨の髄まで味わってやる」
「ひ、ひどい……! 婚約者を食べるおつもりですか!? この外道!」
「はは、何とでも言え」
私は甘いものが大好きだ。そんな私へのプレゼントだと言って、セシル様は街で評判の菓子やケーキを頻繁に買ってきてくれる。
はじめは嬉しく思っていたけれど……最近では、それも嫌がらせの一種なのでは、と思うようになってきた。
だって今も、私の反応を見て意地の悪い笑みを浮かべているんだもの。
(……そうだわ。いいことを思いついちゃった)
いつも嫌味ばかり言ってくるセシル様に、何か仕返しをしてやろう。
意地悪をしてくる=セシル様は私のことを好いてはいない。むしろ嫌っているのかもしれない。それならいっそのこと、こちらから積極的に会いにいってみるのはどうだろう。
――ああ、そういえば、以前セシル様は、積極的な女性は苦手だと言っていた。
「ああいう耳障りのいい言葉を並べ立てて近づいてくるだけの打算的な女が、この世で一番嫌いなんだ」
社交の場で話しかけてきたご令嬢たちが離れていった後、そう悪態を吐いていたことを思い出す。
それならば、セシル様がお嫌いだという積極的で打算的な女性を意識して接してみるのがいいかもしれない。
「どうした? いつも以上に気持ちの悪い顔になっているぞ」
「……別に何でもありません。これが普段通りの顔です!」
にやにやとした意地の悪い顔を、うんざりした顔に変えてみせるわ。
待ってなさい、セシル様!
頭の中で今後の計画を立てながら、ミリアが持ってきてくれた紅茶をセシル様と二人で飲んだ。
……悔しいけど、セシル様が持ってきてくれたスイーツは今回も絶品で、私の緩んだ顔を見たセシル様には「間抜け面だな」と笑われてしまった。
***
「セシル様、ごきげんよう」
「……まさか三日連続で婚約者様直々に会いにきてくれるとは。明日辺りには、庭の薔薇に粉雪が積もっているかもしれないな」
今週中のセシル様は、午前は騎士隊の任で王宮へ赴き、午後は執務のため邸宅で過ごすと聞いていた。私は仕事が片づき始めるであろう午後のティータイムの時間を狙って、クロンヘイム家を訪ねている。けれど今日は昨日より、だいぶ早い時間に着いてしまった。
セシル様はいつものように嫌味を言ってくるけれど、言い返しそうになるのをグッと堪えた私は、にこりと淑やかな笑みを浮かべてみせる。
「おあいにく様、今は初夏ですからね。雪が積もるのはまだ先のことになりますよ。それに……婚約者に会いに来るのに、理由が必要ですか?」
「へえ。つまりヴィオラは、ただ俺に会いたかったということか」
「ええ、そうです。ご迷惑でしたか……?」
社交の場で、セシル様に明らかな好意を持って近づいてきたご令嬢たちを思い出し、きゅるんとした表情を意識する。セシル様の袖の部分をそっとつかんで、プラス上目遣いで見上げてみた。
「……」
セシル様はうんともすんとも言わないまま、真顔で私を見下ろしてくる。一体どういう感情を抱いているのかしら。ちょっと怖いわね……。
セシル様の心の内を読むことは難しいけれど、好ましく思っていない婚約者が連日邸宅まで押しかけてきて、しかもぐいぐい迫ってくるのだから、さすがに鬱陶しくは思っているはずだ。
「……少し待っていろ」
数秒の沈黙の末、セシル様は客間を出て行ってしまった。
待っていろと言われたけど、もう用は済んだし、長居する必要はない。帰ってはだめかしら。
そう考えている間に、セシル様はすぐ戻ってきた。けれど、つい先ほどまで身に着けていた服装と違っている。
「あの、セシル様? どうしてお着替えを……?」
「ああ、これから街へ行くんだ」
「そうなのですね。お気をつけて行ってきてください」
「何を言っている。お前も一緒に行くんだぞ?」
「へ? ……私も、ですか?」
「ああ。たまにはデートに行くのもいいだろう」
セシル様の気まぐれで、これから二人で街へ出掛けることになってしまった。
***
私とセシル様は、王都の街中を馬車で進んでいる。
窓の外を見れば、お昼時を過ぎた街中は大勢の人で賑わっている。
「あの、セシル様? 今さらですが午後は執務のご予定でしたよね? 私、お顔を見たらすぐに帰ろうと思っていたのですが……」
「気にするな。急ぎの案件もないし、今日の執務は明日に回すことにしてある」
「ですが……」
「ヴィオラ。来月の王家主催の社交パーティーでのドレスは、準備してあるのか?」
「え? いえ、まだですが……」
私の返答を聞いたセシル様は、御者の方に声をかける。それから数分ほどして馬車が停まったのは、王都でも一番人気のドレスのお店だった。確か予約制になっていて、普通に購入するだけでも、数か月は待つと言われていたはず。
だけどセシル様が店主に何かを伝えれば、すんなりと店の中に通された。もしかしたら公爵家の権限で、融通を利かせてもらったのかもしれない。
「好きなものを選べ」
「セシル様。私、誕生日はまだ先ですわ。何でもない日にドレスをプレゼントして頂くなんて、申し訳ないですから……」
「婚約者にプレゼントを贈るのに、わざわざ理由が必要なのか?」
断りの言葉はぴしゃりと跳ね除けられ、流されるままにドレスを選ぶことになった。
店内にあるドレスは、最先端の流行りのドレスばかりだ。
私は流行に詳しくはないので、結局ドレスは、セシル様に選んでもらった。
青いドレスは、セシル様の瞳と同じ色だった。それを伝えれば、セシル様は「ヴィオラにはこの色がよく似合う」と言って、満足そうに笑っていた。
(あら、あの店は……)
ドレスを購入してもらい店から出た私は、気になるお店を見つけてしまった。
ショーウィンドウに飾られたテディベアが可愛らしい。だけどセシル様は、ああいったファンシーな雰囲気漂うお店に入ることを好まないだろう。付き合わせてしまうのも悪いから、また次の機会に立ち寄ることにしよう。
「ヴィオラ、行くぞ」
「セシル様? 今度はどちらへ行かれるんですか?」
「あの店が気になるんだろう?」
だけどセシル様は、私のちょっとした目線だけで、私があのお店が気になっていることを察したらしい。
「いいのですか?」
「俺に要らない気を遣わなくていい。行きたい店や欲しいものがあれば遠慮せずに言え」
「それでは……」
セシル様のご厚意に甘えて入ったお店で、私は一目見て気に入ったテディベアを買うことにした。白い毛並みに青い瞳をした愛らしい子だ。
ここでもセシル様がお会計をしてくれたので、今度何かしらのお礼をしなくちゃならないわね。
「――セシル様。今日はドレスだけでなく、靴やアクセサリー、それに可愛らしいぬいぐるみまで買っていただき、本当にありがとうございました。すべて大切にしますね」
「ああ。ドレスは来月のパーティーで着てこい」
「分かりました。それから……今日はとても、楽しかったです」
「何だ、今日はやけに素直だな」
セシル様は茶化すような声でそう言いながら、私の肩に自身の上着をかけてくれる。
「冷えきたな。そろそろ馬車に戻るぞ」
「……はい」
セシル様の態度は今日も変わらずふてぶてしくて、上から目線の物言いも多かった。
だけどプレゼントをしてくれたりさり気ないエスコートしてくれたりと、私を婚約者として大切にしてくれている。私を見つめる目は、意地悪だけど、それ以上に優しい色をしていることに気づいてしまった。
そもそも私は、これは愛のない政略結婚だと決めつけて、セシル様自身を知ろうとしていなかったのかもしれない。
だってセシル様は、かけらの好意もない人を、わざわざデートに誘わないだろう。
(これからは、セシル様ともっと真剣に向き合っていきたい)
馬車の中。満足そうな顔で窓の外を見ているセシル様に、まずは好きなケーキの種類を聞いてみようと思う。今度は私から「一緒にケーキを食べに行きましょう」と誘ったら、セシル様はどんな反応を見せてくれるのかしら。
***
今宵は王家主催の夜会が開かれている。
セシル様がわざわざ家まで迎えに来てくれたので、クロンヘイム家の馬車に乗り込み、会場である王宮に赴いた。そこには煌びやかな空間が広がっている。初めてではないけれど、何度きても絢爛豪華な内装には感嘆の息を漏らしてしまう。
ずらりと並べられた美味しそうな食事も気になるところだけど、まずは面倒な挨拶回りを済ませてしまわなければならない。
セシル様と共に国王陛下にお礼の挨拶をしてから、顔見知りの方々と挨拶をしつつ軽く談笑していれば、時間は瞬く間に流れていく。
「セシル様。私、飲み物をもらってきます。セシル様はこちらでお待ちください」
「待て。俺も一緒に行く」
「一人で大丈夫ですよ?」
「そのドレス、俺の見立て通りよく似合っているだろう? 普段は地味な色合いを好むお前も、青に染められて今日は一段と目を引くからな。目を離したすきに他の男に攫われた、なんてことがあったら堪らない」
「それは……誉め言葉として受け取っていいのでしょうか?」
「もちろん。最大級の誉め言葉に決まっているだろう?」
私って、そんなに地味な色合いのドレスばかり着ていたかしら? 確かに、こんなに深く鮮やかな色合いをした青のドレスを着たのは、初めてかもしれないけれど。
「ですがサイモン様が、セシル様にご挨拶したそうにしていらっしゃいますよ」
ウェルロッド公爵家の嫡男であるサイモン様が、こちらに向かって真っすぐ歩いてくるのが見える。
サイモン様とは何度か挨拶をしたことがあるけれど、彼はセシル様のことを大層気に入っているらしい。同じ王宮直属騎士隊で第四部隊の副隊長を務めており、年齢も近い。眉目秀麗なお二人が並べば、それだけでも絵になる。
彼は外見と家柄を重視して友好関係を築いていると耳にしたことがある。だからセシル様より身分の低い私が婚約者であることを、好ましくは思っていないようだった。
表向きは友好的な態度で接してくれるけれど……纏う雰囲気からは、本心が伝わってくる。そんな気がして、私自身も苦手意識を抱いていた。
「……手短に済ませる。お前もはやく戻ってこいよ」
セシル様の言葉に小さくうなずいて、私は目が合ったサイモン様に軽く挨拶をしてから、この場を離れた。
給仕の男性に声をかけて、ノンアルコールカクテルを用意してもらう。二人分のグラスを手にしてセシル様のもとに戻れば、まだサイモン様とお話し中のようだった。
邪魔をするのも悪いので、少し離れた場所で待っていようと踵を返す。
「……そうだな。確かにヴィオラは、俺には相応しくない」
――だけど。
セシル様の口から私の名前が聞こえてきたその瞬間、心臓にひやりと冷たいものが流れてきた。
(……そう、よね。セシル様の婚約者として、私は相応しくないわ。分かっていたことだけど……セシル様の口から直接聞くと、こんなにも胸が痛むのね)
痛みを訴えてくる胸を抑えたいけれど、生憎今はグラスで両手がふさがっている。壁際に寄って静かに佇んでいれば、サイモン様との会話を終えたセシル様が歩いてきた。
「ヴィオラ。こんなところに一人でいないで、俺のそばにいればいいだろう」
「いえ、お話の邪魔をしたくはなかったので」
「別に大した話はしていない」
「……ねぇ、セシル様」
「なんだ?」
「婚約を、破棄しましょうか」
「……は?」
「突然すみません。ですが、ずっと考えていたことです。セシル様もそれをお望みでしょうし……とりあえず、詳しい話は、また後日にいたしましょう」
笑って告げた言葉に、セシル様は何も返してはくださらない。
美しい青の瞳は驚きに見開かれていたけれど、セシル様がうつむいたので見えなくなってしまった。その肩は小さく震えている。
私の方から婚約破棄を切り出してしまったから、プライドを傷つけてしまったかもしれない。……怒らせてしまったかしら。そうだとしたら、謝らないと。
「あの、セシル様。私……」
口から飛び出た言葉は、それ以上は続かなかった。
――顔を上げたセシル様が、泣いていたから。青色の瞳から、ぽろぽろと真珠のような涙をこぼしているので、私はぎょっとしてしまった。
(だけど、泣き顔まで何て美しいのかしら……じゃなくて!)
周囲の貴族たちの注目を集めていることに気づいた私は、グラスを近くのテーブルに置き、慌ててセシル様の手を引く。
「セシル様。とりあえず、こちらに」
賑やかな会場を抜けて、セシル様を人のいないバルコニーに連れ出した。セシル様の涙は止まっているけれど、その表情は硬く険しい。
「あの、セシル様。その……すみません。私のほうから婚約破棄を切り出したせいで、不快な気持ちにさせてしまいましたよね」
「……ああ、とんでもなく不愉快だ」
「あの、先ほどの言葉は撤回します。セシル様のほうから、再度申し出ていただければ……「そもそも」
セシル様は語気を強めて、私の言葉を遮る。
「お前の口から婚約破棄なんていう言葉が出てきたこと自体、不愉快極まりない。今すぐに撤回しろ。それに大前提として、俺がお前に婚約破棄を申し出るつもりはない」
「え? だって、セシル様は……私のことがお嫌いでしょう?」
「嫌い? ……はっ、俺がいつ、お前のことを嫌いだと言った?」
「だ、だって先ほど、私はセシル様に相応しくないと……サイモン様に、そう仰っていましたよね?」
「……ああ、さっきの会話を聞いていたのか。確かにそう言ったな」
「では、やはり……」
「サイモンのクソ野郎が、お前よりもっと似合う女を紹介すると抜かしてきたから、言ってやったんだ。むしろ俺の方が、ヴィオラに相応しくないってな。だが、それでも……俺はお前を手放すつもりはない。絶対にな」
ハイライトの消えた目をしたセシル様に、手首をつかまれた。
「あ、あの、セシル様……痛い、です」
「……お前が他の男に笑いかけている姿を見れば、それだけでも虫唾が走る。いっそお前のことを嫌いになれたら、こんな胸糞悪い思いをすることもなかっただろうな」
心の奥底に隠していた思いを吐露するような、低い声音。薄っすらと笑っているセシル様が、少しだけ怖い。
どうすればいいのか、何と返すのが正解なのか分からなくて、戸惑ってしまう。
そんな感情が伝わってしまったのかもしれない。
私の頬に触れようと手を伸ばしてきたセシル様は、けれど触れる前に、その手のひらをぎゅっと握りしめた。
「……そんな目で、俺を見るな」
――私はセシル様に、嫌われているのだと思っていた。そうでなくても、揶揄いがいのある玩具くらいに思われているのかなって。
だけど実際のところは、違ったみたい。むしろ想像以上に、自分がセシル様に深く愛されていたという事実に気づいてしまった。
「頼むから……俺から離れていこうとするな」
また泣き出しそうな顔をしたセシル様に、そっと抱きしめられる。毛先が首筋に当たってくすぐったいけれど、身をよじれば抜け出そうとしていると思われたのか、抱きしめる力が強くなってしまった。
「はじめて会った時から、俺はずっとヴィオラだけしか見ていない」
「ですが私、初対面でセシル様に失礼なことを言ってしまった覚えがあるのですが……」
「ああ。いきなり“作り笑いがお上手ですね”なんて言われて、場の空気が凍り付いたのを覚えている。あんなことを言われたのは初めてだったが……上辺だけ着飾って生きてきた俺のことを一瞬で見抜いてみせたお前なら、本当の俺自身を受け止めてくれると思った。あの時にはお前に惹かれていたんだ。だから俺が現当主に頼み込んだ。お前との縁談を組めるなら、これまで適度にサボっていた稽古事すべて、完璧にこなしてみせると約束してな」
まさか、セシル様が直々に希望していた婚約だったなんて。お父様に尋ねても婚約の理由についてははぐらかされていたので、お家柄の複雑な事情があるのだろうと思っていたのに。
「セシル様は……不器用すぎます。いつも意地悪ばかりおっしゃるから、てっきり嫌われているものだとばかり思っていました」
「ヴィオラが可愛すぎて、素直になれなくて……つい正反対の言葉を口にしてしまった。……許してくれ」
「……私って、可愛いんですか?」
「ああ、この世で一番、いや、何者とも比べようがないくらい可愛い存在だ」
「……何だかセシル様、キャラが違いすぎませんか?」
「隠していた俺の想いも、もうバレてしまったからな。要らないプライドのせいでヴィオラに嫌われるくらいなら、そんなもん捨ててやる」
泣いて色々と暴露したことで吹っ切れたらしいセシル様が、よく目にする不遜な笑みを浮かべて顔を近づけてきた。
「ヴィオラ。お前が欲しいものは全部やる。俺のすべてを以てして望みを叶えてやる。お前に何一つ不自由はさせないし、お前を傷つけるものがいたなら、俺が排除してやる。だから、生涯俺のそばにいてくれ。一番近くでヴィオラを守り、愛する権利が欲しい」
――ああ、何て深くて重い愛の言葉だろう。
セシル様から伝わってくる感情は、私の心をがんじがらめにしようとする。
窮屈で仄暗い色を纏っているそれは、これから先、私が抱えていくには荷が重い気もするけれど……その愛が存外嫌ではないことにも気づいてしまって、肩をすくめた。
「私、今欲しいものは特にありません。ですが……セシル様のことを、もっと知りたいです。好きなものや嫌いなもの、それに普段の生活の何気ないことでもいいので、色々なお話がしたいです。一緒に色々な場所へも行ってみたいです。それから結婚式は……青色のドレスがいいです」
「……ああ、そうだな。俺もだ。ヴィオラのことをもっと教えてほしい。休日にはたくさん出かけよう。結婚式のドレスは、また俺に選ばせてくれるか?」
「ふふ。はい、喜んで」
嬉しそうに笑ったセシル様の美しい顔が、ゆっくりと近づいてくる。私はそっと目を閉じて、その甘い熱を受け入れた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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