峠のラブホテル
「ふぅ……。」
ICのゲートを抜け、高速道路を下りる。
国道へ入る最初の交差点で、信号は赤だった。
千葉からの長距離ドライブの緊張が解け、ようやく息を吐く。
GWは仕事で潰れ、帰省は連休明けになった。
そのぶん、道は空いていた。
信号が青に変わり、左折する。
ハンドルを戻しながら、煙草に火を点ける。
実家に直行するなら、二つ先のICで下りたほうが早い。
だが、帰省のたびに立ち寄る蕎麦屋がある。
今年も暑くなってきた。
ざる蕎麦が楽しみだ。
煙草を一本吸ったところで、トンネルを抜けた。
この先は長い下り坂が続く。
やがて、左手に廃墟が見えてくる。
ここを通るたび、思い出す。
二十年前、まだ何者でもなかった、大学二年の、暑い夏の夜を。
******
「おおっ……。マジやべぇ……。」
「やっぱり、帰ろうよー」
「大丈夫だってぇ~。平気、平気」
田舎の夜だけに、もっと静かだと思っていた。
だが、ときおり車が国道を通り過ぎていく。
二車線の道の両脇は、深い森。
トラックが通るたび、腹に響く音に、思わず身が竦む。
「窓に人影がって、噂だけど……。全部、割れてるな」
「おしっこしたい。私、戻る」
「一人でか? まあ、あそこは電気があるけどよ」
駐車場として使われているチェーン脱着所に車を止め、そこから少し歩く。
二本の懐中電灯に照らされ、汚れきった白い二階建てが、闇の中から浮かび上がった。
夏休みの帰省。
暇を持て余した地元の連中が集まった。
中学校のグラウンドで花火をして、流れで飲み会になった。
「誰か一緒についてきてよぉー……。」
「そこでしたら?」
「死ね!」
午後九時が過ぎ、半数は帰った。
残ったのは、なんとなく帰りたくない六人。
そのうち二人は女だった。
酒は飲み尽くし、買い出しの必要があった。
田舎なので、近くのコンビニでも車を出すしかない。
「ここから入れそうだな」
「一階は駐車場か……。」
「……ってことは、全部で十部屋もないんじゃないか?」
そこで、俺は『肝試しに行こうぜ』と提案した。
前から、気になっていた場所があった。
県境の橋を越えた先。
峠の森の中にある、ラブホテルの廃墟。
父の話では、昭和のバブル期に建てられたらしい。
俺が子どもの頃には、もう営業はやめていた。
その時点で、すでに廃墟だった。
「なんだ、この細い通路?」
「あれじゃないか? 従業員通路」
「ああ、ラブホだからか」
民家から離れた、森の中。
そんな場所だからか、暴走族のたまり場になっていた。
いろいろと、事件があったらしい。
ラブホテルという場所柄、そういう話だ。
「どういうこと?」
「客と顔を合わせないようにしているんだよ」
「ふーん……。詳しいんだね?」
詳細は分からない。
隣県のことだから、すぐ近くにありながら、噂だけが耳に入ってきた。
いつしか、こんな噂が加わった。
凄惨な目に遭い、自ら命を絶った女の幽霊が出るという。
現場に来てみて、実感した。
昼間に見る姿とは、別物だ。
「荒れてるなー……。」
「あれ、回転ベッドってやつだろ?」
「昭和の臭いがする」
最初の部屋に入ると、噂通りだった。
テーブルの上には、いくつものビール缶。
それを灰皿代わりにして、吸い殻が山のように押し込まれている。
かつて、暴走族たちがここで寛いでいたのだろうか。
俺の持つ懐中電灯とは別に、もうひとつの光が壁を照らしていた。
「来た、これ!」
「キャっ!?」
「やだ、もーっ!?」
そこにあったのは、ヘタウマな裸婦の絵。
これも、噂通りだ。
その隣には、哲学的なポエムが書かれている。
一説では、この廃墟で凄惨な目に遭った女たちを供養するため、高僧が残したものだとも言われている。
しかし、今重要なのは、そこじゃない。
俺の右腕に感じる柔らかさ。
高校で別々の学校に進んでも、片思いを抱き続けていた相手が、俺の腕にしがみついていた。
肝試しを提案してよかった。
正直に言えば、このシチュエーションを、少しだけ期待していた。
「二手に分かれようぜ?
全員で回っていたら、時間かかるしな」
「それもそうだな」
「じゃあ、俺たちは右側の部屋を見てくよ」
だが、失敗した。
こんなことになるなら、懐中電灯を三つ用意するべきだった。
三つあれば、彼女と二人っきりになれたのに。
「は、離さないでよ?」
「いや、くっついてるのはお前だって」
「あれ? 俺、おじゃま虫?」
廊下に出て、隣の部屋に入る。
やはり荒れていた。
壁を照らして探してみれば、裸婦の絵があった。
この部屋の絵には、二人の男も描かれており、生々しい。
「おい、これ見ろよ」
「どうした?」
「えー……。これってさ」
「……だろうな」
ガラス張りになっていたであろう隣のバスルームに、衣類が散乱していた。
ただし、女性ものばかりだ。
バスタブの中には、まるでトロフィーのように下着が山になっている。
こんなものを見せつけられると、噂に信憑性を感じてしまう。
しがみつく彼女の力が少し強くなった。
次の部屋へ向かおうと廊下に出た、その時だった。
「ちっ……。」
舌打ちが聞こえた。
思わず振り返る。
「どうした?」
「……いや」
懐中電灯に照らされて、もう一人の男が不思議そうな顔をしていた。
気のせいかと思い、振り向き直した。
「えっ!?」
廊下の奥に女が立っていた。
薄汚れた全裸の身体には、いくつもの痣。
深く俯き、長い髪が顔を覆っている。
「……おめでとう」
しがみつく彼女の密着度が増した。
右足に、生暖かいものが伝い落ちていく。
その声とは別に、女の声が確かに聞こえた。
「どうしたんだよ?」
出入り口を塞がれ、もう一人が強引に割って入ってきた。
その拍子に懐中電灯を落とし、慌てて拾う。
改めて廊下の奥を照らすが、そこには誰もいない。
「嫌ああああああああああっ!?」
彼女が絶叫し、逃げ出した。
「ど、どうしたんだよっ!?」
「な、なんだ、なんだっ!?」
「か、帰るぞ!」
俺も慌てて逃げ出す。
戸惑う仲間たちなど、構っていられる余裕はなかった
******
「いらっしゃませー」
蕎麦屋の暖簾をくぐる。
昼時を過ぎ、客は老人が一人だけだった。
真っ昼間から、優雅にビールを飲んでいる。
「ざる二枚」
「はい、ざる二枚」
席に座る前に注文する。
少し遅れて運ばれてきたお冷に口をつけながら思う。
あの時、耳にした舌打ちと、『おめでとう』の言葉。
今となっては、それが恨みだったのか祝福だったのかも分からない。
ただ、言えるのは、彼女はあの時、妊娠していたということだ。
相手は、二手に分かれたときに行動を共にしていた、もう一人の男だった。
当時、二人はちょうど喧嘩の真っ最中だったらしい。
つまり、おじゃま虫だったのは俺のほうだ。
二人は半年後に結婚した。
『GWは雨でしたが、今日は全国各地で真夏日を記録しています』
蕎麦を待つ手持ち無沙汰に、店内のテレビをぼんやりと眺めていた。
明日も、暑そうだ。




