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龍の傳人続―奈落の龍(青木家サーガ第4作)完結  作者: 光闇居士


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共犯者の祈り

香港、九龍クーロン

ペニンシュラホテルの、バー「フェリックス」の、巨大な窓際の席で、林祖苑は、ヴィクトリア・ハーバーの、息を飲むような、夜景を、見つめていた。だが、その、宝石を散りばめたような、光の洪水も、彼女の、荒れ果てた心を、少しも、照らすことは、できなかった。

義成が、消えて、一ヶ月。

彼の、不在は、まるで、上質な、カシミアのコートに、ぽっかりと、空いてしまった、虫食いの穴のように、祖苑の、完璧に、コントロールされた、日常を、静かに、しかし、確実に、蝕んでいた。

「…馬鹿な、義成…」

グラスの、ラガヴーリンが、琥珀色に、揺れる。その、正露丸のような、ピーティな香りが、あの夜の、記憶を、鮮烈に、呼び覚ます。

オペレーション・“金蟬脱殻”。

あの、奇跡のような、救出作戦の、決行前夜。

彼は、この、同じ酒を、私に、振る舞い、そして、言ったのだ。

『あなたへの、感謝の、証を、受け取ってほしい』

私は、最初、それが、何を意味するのか、わからなかった。

私たちは、ビジネスパートナーであり、師と、弟子であり、そして、唯一無二の、共犯者だった。その関係に、男女の、肉欲が、入り込む余地など、ないと、思っていた。

だが、その夜の彼は、違っていた。

彼は、私の前に、静かに、跪くと、私の、その、ハイヒールに、隠された、素足に、まるで、巡礼者が、聖地に、口づけるかのように、その、唇を、寄せた。

あの瞬間、私の、心の中に、何十年も、築き上げてきた、氷の壁が、音を立てて、崩れ始めたのを、感じた。

これまで、私に、近づいてきた男たちは、皆、私の、頭脳か、私の、肉体か、あるいは、私の、背景にある、権力を、求めてきた。

だが、彼は、違った。

彼は、私の、魂そのものに、触れようとしていた。私の、孤独に。私の、悲しみに。

彼は、私を、ベッドへと、導いた。だが、そこに、獣のような、欲望は、なかった。

彼の、愛撫は、どこまでも、優しく、そして、丁寧だった。それは、セックスというよりも、むしろ、壊れ物を、扱うような、神聖な、儀式に、近かった。

彼の指が、私の、肌の上を、滑るたびに、私は、自分が、「林祖苑」ではなく、ただの一人の「女」であることを、思い出させられた。

彼の唇が、私の、耳元で、感謝の言葉を、囁くたびに、私の、心の、乾ききった大地に、温かい、涙の雨が、降り注ぐのを感じた。

私は、彼の、その、慈しむような、愛撫に、身を任せながら、彼の、背中にある、いくつかの、古い、傷跡に、気づいていた。それは、彼が、過去に、どれほどの、深い、闇を、彷徨ってきたのかを、雄弁に、物語っていた。

この、若く、そして、あまりにも、傷つきすぎた、龍。

私は、この、魂を、守りたいと、心の底から、思った。

だから、私の方から、彼を、求めた。

私の、すべてを、使って、この、孤独な、戦士の、魂を、温めてあげたい、と。

私の中に、彼が、入ってきた時、感じたのは、快感だけでは、なかった。

それは、二つの、孤独な魂が、ようやく、一つに、巡り会い、互いの、欠けた部分を、埋め合うような、完全な、安らぎだった。

私たちは、嵐の海で、互いを見つけた、二隻の、難破船のようだった。

そして、その夜、私たちは、互いの、温もりの中で、眠りに、落ちた。

それが、彼との、最後になるなんて、思いもせずに。

「…どこかで、綻びが、あったというの?」

いや、作戦は、完璧だったはずだ。私の、情報網は、最高レベルだ。国家機関でさえ、欺ける。

ならば、これは、彼の、意志による、失踪?

何のために?

私を、試している?

それとも、これもまた、彼の、壮大な、ゲームの、一環だとでも、いうのか。

そうだとしたら、許せない。私を、これほどまでに、心配させ、心を、かき乱す、権利など、彼には、ない。

でも、もし…もし、彼が、本当に、何らかの、不測の事態に、巻き込まれているのだとしたら…?

私は、バーカウンターで、携帯電話を、取り出した。そして、暗号化された、回線で、深圳の、楊楊に、電話をかける。

「私だ。…ああ、彼のことよ。何か、変わったことは、なかったか、と聞いているの」

電話の向こうで、楊楊の、苛立った、しかし、心配そうな、声がする。

彼女たちも、何も、知らない。

私は、電話を切ると、今度は、別の番号に、かけた。それは、私が、長年、大金を、つぎ込んできた、香港の、裏社会の、情報屋の、元締めだ。

「私よ。…ええ、最優先で。青木義成。日本国籍。彼の、この一ヶ月の、足取りを、洗いなさい。上海、北京、深圳、彼が、関わった、すべての人間の、動きを。金は、いくらでも、払うわ。二十四時間以内に、報告を」

受話器を、置いた、私の手は、かすかに、震えていた。

冷静になれ、林祖苑。

あなたは、感情で、動く人間では、ないはずだ。

これは、ビジネスだ。これは、ゲームだ。

あなたの、最も、優秀な、そして、最も、価値のある「資産」が、行方不明になった。それを取り戻すための、オペレーション。ただ、それだけのこと。

そう、自分に、言い聞かせようと、すれば、するほど、胸の、奥が、きりきりと、痛んだ。

窓の外の、ヴィクトリア・ハーバーの、ネオンが、涙で、滲んで見える。

挿絵(By みてみん)

義成。

あなたが、どこにいるにせよ、必ず、見つけ出す。

そして、問い質さなければならない。

あの夜の、誓いは、あの、温もりは、すべて、嘘だったのか、と。

あなたが、私に残していった、この、痛みは、一体、何だったのか、と。

香港の、祖苑は、静かに、動き出した。

消えた、龍の、痕跡を、求めて。


二人の、それぞれの世界の頂点に立つ才女・魔女が、同じ、一人の男を、追い求める、壮絶な、ゲームの、幕は、今、静かに、切って、落とされた。

男は、不在。

残されたのは、彼の、不在が、作り出した、巨大な、謎と、そして、彼を、巡る、女たちの、歪んだ、愛憎だけ。

龍は、どこへ、消えたのか。

その答えを、知る者は、まだ、誰も、いない。

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