第8話 12月6日 土曜日
良平が帰ったのが何時なのかは分からない。2時なのか、3時なのか……くたくたに疲れた頭と体に反し、私の心は忙しなく動き続けていた。ゆっくりと記憶を辿る……
「あれ、まだ居たの?」
シャワーから出たら、まだ良平がテレビの前でビールを飲んでいた。
「今、帰るとこ」
良平がそう言ったのを覚えている。
髪をタオルで乾かしながら、私は自分で買った最後の缶ビールを開けた。
ニュースは百貨店のクリスマス商戦を放映していて、ずいぶんと景気がいいもんだと思った。
ベッドに腰掛ける私は、ローテーブルに肘を付いている良平を後ろから見ていて、ビールを飲み切ったら歯ブラシしようとか、良平が帰ったら鍵を掛けようとかそんな事をぼんやり考えていた。
良平が立ち上がったから、玄関まで見送ろうと私も立った。
だけど、良平は玄関には向かわず、振り返って私と向かい合い、私の両肩に手を置いた。
不自然だよな……おかしいよな……と、思ったはずだ。だけど近付く良平の顔に私は背かなかった。
あまりドキドキしてなかったと思う。どちらかというと、どうしてこれが普通じゃないんだろうと不思議に思った……ような気がする。良平の手は遠慮なく私の体をまさぐるのに、怖いとか嫌だとか少しも思わず、むしろ積極的に受け入れていた。
キスをしてパジャマを脱いで、裸でベッドに横たわり、裸の良平を迎え入れた。酔いは回っていたけど意識はちゃんとしていた。祥太と間違えたとか、誰でも良かったとか、そんな愚かな出来事じゃない。私はこの時、良平としたかった。
言葉少なに体を交わし、強烈な快感に身を委ねた。まさかセックスがこんなにも気持ちがいいものとは正直知らなかった。良平が触れたところは、これまでも誰かに触れられたことがあるはずなのに、そのどれとも違っていた。
「帰るわ」
ぐったりと横になり余韻に浸ってた私に、良平が独り言のように言った。私は背を向けたまま返事もせずじっとしていた。寝てると思って欲しかった。
静かに身支度をして、良平は出て行った。ドアが閉まった後、鍵が掛かる音がして、直後にドアポストから私のキーホルダーが投函された音がした。
「参ったな」
立ち上がり、水を取りにキッチンに行く。冷蔵庫を開けると、良平が置いて行った缶ビールが1本だけ入っていた。私はそれを一気に飲んだ。
エアコンの効いた部屋は少し暑いくらいだった。裸でビールを飲み、同僚とのセックスを思い返す私は、ロマンチックとはほど遠い。だけど、心は限りなく満たされていた。
『やっと出逢えた王子様』とでも言うべき?
違うか。良平のことがずっと好きだったとかではないし、祥太と別れたいと思っているわけでもない。私はたぶん、最近の祥太との関係に不満を持っていた。自分は祥太の所有物では無いという自尊心を守りたくて、良平とのセックスを自分の意思で選んだに過ぎない。思いの外、体の相性が良かったことは想定外だったけど……
ぼんやりとベッドでゴロゴロしながら過ごしていたら、空が白くなってきた。
シャワーを浴びて、酔いを冷ました。
お気に入りの革ジャンを着て、バイクに跨る。
珍しく、決まった道じゃないルートを走りたいと思った。
祥太に懺悔すべきだろうか。
言う必要はあるのだろうか。
世の中の付き合っている男女は浮気をしたら有罪なのだろうか。結婚をしてなければ自由恋愛において、どこまでが自由なのだろうか。
祥太への告白を想像したら、冷っとした塊が胃から喉に込み上げてきて、勘弁してほしいと思った。
良平と寝たことを言うのはいいが、その後、どんな言葉を繋ぐの?そもそも謝る気など無いのだし、別れたいわけでも無いのに。
ヘルメットの中で大きく息を吸うと、冷たい空気が肺を満たして塊を押し下げてくれた。
何も考えずに、信号と標識だけを見て進み続け、いつものベーグル屋に辿り着いた。
昨年、バイクの免許を取得して以来、週末にここに来るのがお決まりになっている。
……?
どこかおかしい。
人通りは多くないし、そもそも賑わっているとは言い難い店だけど……いつになく静まり返っている。
バイクを停めて、ヘルメットを脱ぎながら近付くと、店内から貼られた案内が見えた。
『閉店のお知らせ』
……え……ガーン……
毎朝、元気に出社する為に朝食にしていたベーグルが……
泣きそうになりながら、バイクに跨り呆然とする。
またひとつ変わってしまった。
好む、好まざるに関わらず、環境は変化してしまう。
私の頑張りなど関係ない。
5年間、同じであるものなんて、何一つ無いんじゃないかとすら思ってしまう。
「よしっ」
声を出してヘルメットを被った。
凹んでいてもしょうがない。
他のベーグルショップを探すか、朝食はベーグルじゃない物にするかのどちらかだ。
私には選択肢がある。これは有難い事なのだ。




