第6話 12月4日 木曜日
朝起きたら喉に違和感があった。乾くようなイガイガの棘が刺さったような不快感をコーヒーで流し込む。こんな忙しい時期に風邪なんて引いていられない。デスクに忍ばせていた、いつ買ったか分からないのど飴を口に放り込み仕事を開始する。
「あのさ百花、忙しいとこ悪いんだけど」
「?」
喉が痛いから声を出さずに顔だけ傾ける。
「今ってパソコンって使えてる?」
『うんうん』と首を縦に2回振って答えた。
どうしたのかな、と思って、椅子をさげて良平のデスクを覗いてみる。
私たちのデスクは隣同士だけど、しっかりとしたパーティションが間に立ちはだかっていて、お互いの行動は監視しにくくなっている。
「ずっとこれ……」
パソコンのスクリーンが黒くなっていて、真ん中にクルクルと回り続ける矢印が動いたり、止まったりしていた。
機械音痴の私には、忙しいとか暇とか関係なく、お役に立てませんよ。と心の中で呟きながらITチームを指さす。餅は餅屋にどうぞ。
「それがさぁ……誰もいないんだよ……」
よくあるんだよね。サーバーの不具合だったりメンテナンスだったりで、社員が不在の夜中に作業をしている事が多いらしく、ITの人達は大抵、昼頃まで出社してこないんだよね。
「ごめん、ごめん。仕事戻って。中断させてごめんな」
良平はそう言って、パソコンを再起動させていた。
無我夢中で受注と納品の処理を繰り返していて、昼休みに入っていたことに気が付かなかった。デスクにコンビニの袋を置かれてハッと我に返る。
「休まないの?」
良平がネバネバした物がいろいろ乗っている蕎麦を買ってきてくれた。有難い!
「大丈夫?喉やられたの?」
こくこくと頷く。
「それ食ってる間さ、パソコン貸してくんない?」
あ、そうだった。良平の席には相変わらず、クルクルと自分の尻尾を追い回している矢印が映っていた。結局、午前中は仕事にならなかったんだろうな。
頂いた蕎麦を持って、良平と席を代わった。良平は自分のアカウントで入り直した私のパソコンで作業を始めた。
昼休みが終わると言うのに良平の作業が終わらず、私は良平のデスクでスマホをいじっていた。喉越しのいい蕎麦のお陰で痛みが和らぎ、そろそろしゃべれそうだなと思った時、ふと、今日の午前中は一度も電話に出ていないと思った。
たまたま鳴らなかっただけかな……
そう思っていたら、目の前の電話が鳴った。
声出るかな……んっんっん……と咳払いをして受話器に手を掛けた時、音が止んだ。
あれ……?切れたか……
「はい。クアントレックスです」
まさか……
「あぁ、今、席を外してまして、代わりにご用件を伺います。轟と申します」
やっぱり……
「はい。はい。申し伝えます。はい。それでは失礼致します」
受話器を置いて、剥がした付箋を私のデスクの隅っこに貼り、良平はパソコン作業に戻った。なんで気づかなかったのかと不思議に思うくらい、私のデスクにはカラフルな付箋が重なるように貼られていた。それらは良平が私の代わりに電話で用件をヒアリングしてくれたものだ。
自分の事でいっぱいいっぱいで、良平に助けてもらってたことに気づけなかった。
良平の「よしっ」という声と同時に、キーボードをタンッと叩く音が聞こえた。
「ありがとな。とりあえず入力終わった」
それは先日、良平が出した大きな見積案件の注文用紙だった。
おめでとう!心の中で叫びながら、音が出ないように拍手をした。
「邪魔して悪かったな」
大きく首を横に振る。折り重なる付箋の群れを指さして、ペコリと頭を下げる。
「ほとんど納期確認だよ。新しい情報が入ってたら教えてくれっていうのばっかりだったから、返事しなくていいんじゃね?」
その通り。新しい情報なんて、まるで入ってきてないもんね。
「俺、昼飯食ってくる」
そう言って良平は席を立った。
結局、ITの人は夕方になるまで誰も現れず、良平は午後も私の代わりに電話に出てくれて、私は良平の伝票処理を代わりにやってあげることになった。
『持ちつ持たれつ』ってこういう事だと思ったし、どちらが何をどうやったって、結果として営業部の数字になるのだから問題なんてないと思っていた。というか、考えもしなかった。こんなことがトラブルになるなんて……
「いい加減にしてくれないか?」
定時を過ぎるころ、ようやく良平がITからパソコンの代替機を借りてデスクに戻って来たところに、隣の島のデスクに座っている川島君に言われた。最近買収された会社から来て、営業部の一員に加わったばかりの人だ。
なんの事か分からず、きょとんとする私と良平。
「そうやって人の仕事肩代わりするの良くないだろ?」
「別に、肩代わりなんてしてないけど」
そうだ、そうだ。言ってやれ、良平!
「してるだろ?代わりに電話出たり、書類作ったりしてさ」
「何がいけないんだ?」
良平の声に刺々しさは感じない。ただ単に疑問に思っている、という言い方だった。私も同感で、声が出ない私の代わりに良平が電話対応をしてくれて、パソコンが壊れている良平に代わり私が入力をしてあげただけだ。どこがいけないの?
「体調不良の奴が出る度に、周りがサポートして当然、みたいな空気作んなっつてるの。仲良しこよしでノルマこなせるほど、こっちは簡単じゃねえんだよ」
理不尽とも思える文句を言っているこの人が売っている製品は、単価が安くて薄利多売で勝負をしている。営業部員は、もともと所属していた会社の製品を引き続きこの会社で売っているわけだから、文化や共通認識が異なるのはある程度仕方がない事だと思う。だけど、川島君の主張はあまりにもおかしいと思った。
「お前の体調が悪い時には助けてやらないから、お前も俺を助けなくて構わないけど?」
「そういうこと言ってんじゃねえよ。営業部にそういう雰囲気を強要するなって言ってるんだよ。ノルマはあくまで個人の成績だろ?」
「分かったよ。悪いんだけど、俺、パソコンぶっ壊れてて、今日あんま仕事になんなかったから、戻りたいんだけどいい?この話、今じゃなきゃだめ?お前もこんな話してて、ノルマ大丈夫なの?」
「んぐ……」
良平ってば、ひょうひょうとしているようで、こういうとこ何気に頼りになる。




