第29話 1月13日 火曜日
「来る?」って聞いたわけじゃないし、「行く」って言われたわけじゃない。だけど私たちは違和感なく一緒の部屋にいる。良平はコートを脱ぎ、ソファーに置いて、キッチンで手を洗った。
「飲み始めが早かったから酔っぱらったね」
「そう?俺、もうちょっと飲みたいんだけど」
そう言って、勝手に冷蔵庫を開けて、ビールを取り出している。
良平は缶ビールを2本ローテーブルに置いて、ソファを背もたれにカーペットに座った。
「これ、なんで今日、着けてないの?元取るんだろ?」
小皿に乗せてあったダイヤのネックレスをいじりながら、良平が缶ビールを煽った。
「それね。祥太に無駄遣いって言われちゃって。なんか恥ずかしくなっちゃって」
思い出すと、胸がちくちくする。
「別に百花が何に金遣おうが、祥太には関係なくね?」
「祥太は将来のこと考えて、計画的に行動してるんだよね。私みたいに衝動買いで、そんな高いもん買っちゃうのが信じられなかったみたい」
「へえ」
これ以上何も言わないでくれたことにほっとした。
良平にまで説教されたら辛すぎる。
私もカーペットに座ってビールを開けて『乾杯』の仕草だけした。
「さっきの話だけどさ、百花、祥太と結婚すんの?別れんの?」
「うーん。どっちもムズイ」
「なんだそりゃ」
「結婚したいわけじゃないけど、別れたいわけでも無くて……でも、そうだな。このままは続けていけなそうだから、別れるんじゃないかな」
「向こうが言い出すの待ってんの?」
「私からは言えないからね」
「悪い女だな」
分かってるよ。私は悪い。祥太を傷つけている。だけど、それを喜んでやっているわけじゃない。
「もう帰って」
良平のビールが空になったっぽいから、そう言った。
「嫌だね」
「は?美波がいるでしょ。もう帰ってよ」
「美波ちゃんとは別れるよ」
「なに言ってんの?上手くいってるんじゃなかったの?」
「このまま行けば上手くいくかなって思ってる。でも、実は俺も続ける気がないから、手を出す前に別れるのが礼儀かなと……」
立ち上がって、空の缶をシンクに置いて、良平はもう1本ビールを持って戻って来た。
「百花が祥太と結婚するなら、美波ちゃんはありだけど、別れるんなら話は別」
「なに言ってんの?」
「百花は俺と付き合っちゃえばいいじゃんって話」
いつもの軽口のように聞こえるけど、今の良平は目が笑ってない。
「考えてみろよ。俺たち相性良くない?お互いに間違った相手と付き合ってると思わないか?」
「でも……」
「そんなに祥太がいいの?真面目で出来る男だもんな。百花は相性よりスペック重視するタイプ?」
「……」
答えられない。
違うって言いたいけど、違わないって思えてしまって。
「俺、やっぱ帰るわ。これ、開けちゃったけど、口付けてないから」
持っていた缶を私の前に置いて、良平がソファのコートに手を伸ばした。
「待って」咄嗟に良平の腕を掴んでしまった。
こっちをじっと見ている良平の目を見られない。
「素直になれよ」
良平が両手で私の顔を包む。
頷くことしか出来なかった。
良平の顔が近付いてくる……目を瞑った。
「素直じゃん」
強引な良平のキスに体の力が抜けてくる。
「浮気じゃないから。言っとくけど、俺、美波ちゃんとはキスすらしてないから。ってか、そもそも付き合うってなんなんだろうな」
首から上が火照って、自分の鼓動を痛いほど感じる。
「百花に分かるわけないか」
その通りだよ。私に分かるわけない。
鞄に入れたままのスマホのアラームがかろうじて聞こえて起きた。
「やっば!良平!もうこんな時間!」
何度目のスヌーズだろう。家を出るまで30分を切っていた。
「だりぃ。今日休もうかな」
「なに言ってんの?昨日、早く直帰させてもらって、部長に目付けられちゃうよ」
「部長も来てないんじゃない?」
「んな分けないでしょ!早く帰って支度しなよ!」
良平を追い返し、急いでシャワーを浴びた。昨夜の事を思い出すと、お腹の下の辺りがきゅんと疼く。
祥太とは別れよう。私は良平と一緒に居たい。
Vネックの白いカットソーを着た。だぼだぼの赤いカーディガンを羽織って、ダイヤのネックレスを着ける。祥太への誓いは破ってしまったけど、自分の気持ちに忠実でいることを改めて誓う。
祥太には正直に、結婚を考えてない事を伝えなくちゃ。
髪の毛は少し湿ったままお団子にしてまとめて、簡単にアイメイクだけして家を出た。
駅に向かいながら、携帯を開く。
習慣で遅延情報を確認している。
(ん?美波?)
反射でメッセージをタップする。
『ケン君が百花と祥太君が同じマンションに入るの見たって。見間違いだよね?』
一気に血の気が引いて目の前が真っ白になった。
危ない……倒れるかと思った。
足に力を入れて、大きく息を吸う。
見間違いじゃないけど、勘違いして欲しくない。
私たちは、それぞれにちゃんと別れ話をするつもりだったから……こんな、浮気現場を目撃しましたみたいな……裏切り行為だと誤解をされたくない。
「百花!」
良平の声に驚いて、スマホを落っことしそうになった。
「どした?」
きょとんと可愛らしい顔をして、良平が私の手元を覗く。
「ま……じか……」
良平としばらく見つめ合った。




