第28話 1月12日 月曜日
「轟、如月、今日の午後セノヴィクスに訪問に行くから、時間空けとけ」
「「はい」」
あまりにも急な業務命令に戸惑ったけど、部長はいつもこんな感じで、初めてではない。
「なに話すんだろうな」
「さあ」
「祥太に会うよな」
「会うね」
昨日はマラソンの後、皆で軽く食事をした。私はすみれさんと近くに座り、話が弾んだけど、祥太とはあまり話せないままに解散になった。ちゃんと考えると決めた結婚の事も、考え出すと嫌な気分になり、あまり向き合えていない。お義父さんの病気を知ってしまった今となっては、祥太の焦る気持ちも頷けるし、もう全部投げ出したい。逃げ出したい。
「なあ、ちょっと早いけどメシ食い行かない?混む前に」
「そうだね」
11時ちょっと過ぎ、私たちは最近話題のファストフード店にハンバーガーを食べに来た。
「祥太、驚くだろうな」
「あ、本人はもう知ってるよ」
「そうなの?買収されたって?」
「うん。この前、転職しようか迷ってるって言ってた」
「へぇ、意外。迷わず転職すると思ってたわ」
「私も」
転職をためらっているのは結婚を意識しているからだ。ひょっとしたらお義父さんの病気が無ければ、祥太の選択は変わってたかもしれない。
社長と部長と人事と私と良平。5人で祥太の会社に訪問に来ている。
Cenovix Precision セノヴィクス・プレシジョン
「我が社は2009年に創業して以来、業界に革新的なアイディアをもたらし、それを精密な技術をもって具現化して参りました。市場規模は大きくないですが、そのニッチなマーケットでほぼ100%のシェアを誇り、これまで多くのユーザー獲得に成功してきています」
医薬品関係の会社とは聞いているけど、詳しい製品情報は知らない。
「セノヴィクスの技術とノウハウは、クアントレックス・コーポレーションにとって大きな財産になると同時に、今後の発展に間違いなく寄与するに違いありません。つきましては、社員全員の移籍後の待遇は決して過小評価されませんよう、重ねてお願いいたします」
おそらくセノヴィクスの社長は退任される。この社長は自分以外の社員が皆、新しい会社で困らないように配慮してくださっているのだ。いい会社だな。
「はい。精一杯努めさせていただきます」
部長がお答えし、私たちに指示が下る。
「轟は技術部のデータ管理方法を確認して、うちとどうやったらコンバージョンできるか教えてくれ。如月は営業部の顧客管理を見せてもらって、我々の顧客管理ソフトにマージできるか確認して欲しい」
「「はい」」
ようはセノヴィクスのデータをクアントレックスに引っ越しさせる手伝いだ。
祥太が座っているデスクに近付く。
「お疲れ様です」
「ああ。お疲れ。なんでお前なの?」
「さあ、部長に頼まれただけ」
デスクが4つ、田の字になっている。
「ここに居るのが営業の4人」
「クアントレックスの如月です。今日はよろしくお願いします」
一番片付いている祥太のデスクでパソコンを覗かせてもらう。
「販管ソフトはおたくと同じだよ。なんなら、うちの方がバージョンが上」
「そっか」
「ちなみに4人とも移籍する予定だけど、ぶっちゃけ営業4人もいると思う?」
「さあ。その辺は人事に聞いて。私には分からないよ」
丁寧に入力がなされていて、データの移行には支障は無さそうだ。
「お前さ、ここが買収されたっていつ聞いたの?」
「……」
「俺が言う前に知ってたろ?」
「……」
「どうせ良平と一緒になって俺のこと笑ってたんだろ」
「まさか」
部長に言われた仕事は済んだから、席を離れようとした。
「お前さ、本当に俺のこと好きなの?」
耳元で囁かれる。
怒りを含んだ声だったからか、ただの条件反射なのか、耳がかっと熱くなった。
「俺のこと、馬鹿にしてない?」
「してないよ」
他の人に聞こえないよう、精一杯トーンを押さえてしゃべる。
「普通さ、身内にはこういうこと言うよな?早く知らせてあげようとか思わなかったわけ?」
「言っちゃダメだから……」
「そこだよ!」
急に祥太が大きな声を出した。
オフィスじゅうの視線が集まる。
「ちょっと来て」
祥太に連れられて、小さな会議室に入った。
「一般的には言えないことだって俺にも分かってるけどさ、仮にも、俺はさ……お前と俺は付き合ってるんだよな?」
「そうだよ」
「お前はさ、彼氏の仕事がどうなっても関係ないって思うの?ま、そうだよな。結婚したって、きっと夫の仕事なんて関係ないんだろうな。自分で稼いでいくんだもんな」
「そんな言い方……」
祥太が冷静で無いことは分かっている。いつもならこんなこと言わないし、本心じゃないはずだ。だけど、今の私にはそれを受け流せるほどの余裕がない。
「祥太には祥太の事情があるかもしれないけど、私だっていろいろ考えて生きてるんだから、祥太の思い通りにならないからって、私に当たらないでよ」
「俺はお前と一緒の将来を考えてるけど、お前は自分の事しか考えないじゃんか。お前の未来に俺はいないわけ?」
「分かんないよ。それって今、決めなきゃだめ?」
「今じゃないだろ。ここんとこ、ずっと確認してる事じゃないか。それとも、そんなに考えても決められないほど俺って魅力ない?」
「ズルい」
「は?」
「そんな言い方ヒドイよ。私が悪者みたいじゃん」
「ぶっちゃけお前が悪いだろ。俺、結構傷ついてんだけど」
私だって傷ついてるのに。
私たちの緊張が臨界点に達した時、ドアがノックされた。
「失礼します。如月さん、いますか?」
「良平……」
「なんだ、祥太と一緒か。帰社するってよ」
「うん」
私は祥太の顔を見られなかったし、祥太は声を発してくれなかった。
次はどんな顔をして会えばいいのだろう……途方に暮れながら会議室を後にした。
「百花、大丈夫?」
「うん。大丈夫」
祥太との雰囲気はあきらかにおかしかったから、良平が気遣ってくれる。
クアントレックスとセノヴィクスは最寄り駅が同じで、徒歩で行き来できる。
駅に着いたところで、同行していた上司たちが振り返った。
「定時には少し早いけど、仕事に支障が無いなら、今日はこのまま帰って構わないよ」
社長がそう言い、部長と人事が頷いていた。
「ありがとうございます!」
すかさず良平が言って、ふいっとこちらを見た。
「あ、私も、お言葉に甘えて今日は……」
「はいはい。お疲れ様ね。また明日」
3人のオジサンは会社とは違う方向へ消えていった。
「自分たちが飲みに行きたいだけだろ」
「それでも、ラッキーだね」
「俺たちも飲み行こうぜ」
「家の近くにしようよ」
17時前の電車はこんなにも空いているのかと、がらすかの車両を見て、鉄道会社の経営状態を憂いてしまう。
黙って隣に座っている良平に癒される。
携帯を見るでもなく、ぼんやりと車窓を眺める。
「祥太と上手くいかないかも」
言葉が勝手に口を衝く。
「結婚しようって言ってくれてるんだけど、無理っぽ」
「なんで?」
「価値観が……合わないって言うか」
「誰でもそうじゃね?」
「そうかもだけど」
あなたにはあまり『それ』を感じないんだよね。
「だったらさっさと別れればいーじゃん。なんで無理って思いながら付き合い続けんの?」
「別れ話とか……したことないし。祥太が悪いわけじゃない気もするし」
「ふーん」
駅を出てすぐの立ち飲み屋は『営業中』となっていたのに、中に人がいなくてぼんやりと立ち尽くす。
「すいませーん」
声を掛けても店員は現れない。
「ま、いっか」
良平と向かい合って立ち話。
「美波とは上手くいってんの?」
本当は聞きたく無いことを、この間を持たせるために口走ってしまった。
「うーん。上手く、いってる、と思うけど」
「よかったね」
「本当にそう思ってる?」
「うーん。思ってる、と思うけど」
「はあ?ウケんだけど」
ケラケラと笑っていたら、扉が開いて、長ネギを持った店員さんが入ってきた。
「あ!どうもすみませんでした!いらっしゃいませー!」
取り合えず、生ビールを2つ頼んで、乾杯。




