第27話 1月11日 日曜日
早起きしてマラソン会場に来た。
先日、祥太に言われた事が気になって、ネックレスは着けずに来た。
「こっちです!百花さん!」
佐藤さんが手招きをしてくれて、一礼してから駆け寄る。
「応援に来てくれたんですね」
「はい。皆さんお揃いなんですか?」
「ああ。祥太もそろそろ合流すると思うよ」
なんとなく顔を合わせたくなかった。怒っているわけではないけど、少なからず私は傷ついている。こんな時に喧嘩を吹っ掛けるようなこと言いたくないし、祥太には集中して練習の成果を発揮してもらいたいから。
「私、沿道で見てるねって、祥太に伝えてください。皆さん、頑張ってくださいね!」
そう言って、その場を離れた。
ものすごい人の数だ。ランナーっぽい人と、ボランティア団体なのか、ビブスを着た関係者みたいな人達が入り混じってごった返している。
「百花さん!」
名前を呼ばれて振り返ると、祥太の妹、舞子さんが手を振っていた。
「お兄ちゃんに会いました?」
「ううん。お仲間さんには会ったんだけど、本人とはすれ違っちゃって」
「逆に良かったかも!お兄ちゃんってばすごい緊張してて……ウケたよね、マナビン」
「はい。おもろかったっす」
あの祥太が緊張?思いも寄らなかった。ちょっと見てみたかったな。
「舞子さん達も祥太の応援に来たの?」
「そうそう!両親も一緒に来たんだけど、なんか、はぐれちゃって……」
舞子さんと学さんが目配せをして、何かを確認したようだった。
「百花さん、お一人ですか?」
「はい」
「この後、スタートしたらしばらく時間あるので、どっかでお茶でもしませんか?」
「いいですね。そうしましょう」
スタートと言っても盛大なのは最初だけで、あまりの参加者の数に、全員がはけるまでは相当な時間がかかった。
「お兄ちゃん、分からなかったね」
「うん。ゆっくりだから分かるかなって思ったんだけど、あんなにいたらさすがにね」
3人で近くのコーヒーショップに入った。
私はホットコーヒー、舞子さんと学さんは季節限定のフラペチーノを頼んだ。
「この前の家での事、ごめんなさい。父が突然変なこと言って」
結婚が決まっている舞子さんと学さんより先に、祥太と私の結婚式を優先させたいと言われたことだ。古風な考え方とは思ったけど、別に気を悪くしたわけではない。ただ、結婚が決まっていない私たちの状況を上手く説明できずに困ってしまった事は確かだ。
「舞子さんが謝ることじゃないよ。結婚式は予定通り6月なんだよね?」
「はい。あれからお兄ちゃんが、何度もお父さんを説得してくれて」
そうだったんだ。私にはそんな素振り見せなかったのに。
「実は、あの後……」
言い澱む舞子さんの背中を学さんが摩っている。
「どうしたの?」
「その……お兄ちゃんは言うなって言うんだけど……」
舞子さんを励ますように、学さんが強く肩を抱いた。
「お父さんが病気だって分かって……」
「え」
「なんか、余命とか言われちゃったみたいで、詳しくはお母さんが話してくれないから分かんないんだけど、お父さん、あんま長生きできないっぽくて……」
すらっとした背の高い祥太のお父さんを思い出す。
「だから、子どもたちの結婚式見たいって焦っちゃってたみたいで、私のはもう決まってるから、お兄ちゃんにも早くって言い出して……百花さん、あの、お兄ちゃんと結婚したくないんですか?」
「えっと」
「お兄ちゃん、マメだし真面目だし、いい人じゃないですか?」
「そうだね」
「どうせ結婚するなら、早くしてあげてもらえませんか?お父さんのこと安心させてあげたいねってお兄ちゃんと言ってて……」
「お義父さんに出来たら孫の顔見せてくれって言われたっす」
「……」
とんでもないプレッシャーだ。設定されたゴールは『孫』で、『結婚』は通過点にしか過ぎない。私はスタートすら切れずにいると言うのに。
「だから、お兄ちゃんの事が嫌いとかじゃなければ、早めに気持ちに応えてあげて欲しいなって。以上、妹からのお願いです!」
舞子さんが頭を下げ、学さんもそれに倣った。
お願いされて何とかなるもんじゃないけど、曖昧な態度が祥太とご家族に対してあまりにも失礼で不誠実な対応であることは分かる。
「うん……ちゃんと考えてみるね」
舞子さんたちとは別れて、一人、ゴール地点に戻った。
少し離れたところから、髪の長い女性に会釈をされた。あまり記憶には無いけど、直感的に佐々木さんの彼女さんだと分かった。
「祥太君の……」
「如月です」
「やっぱり、そうだった。百花さんだよね。私は蓮池すみれです」
すみれさんも一人のようで、私たちは並んで立ったまま沿道を眺める事になった。
「こんなとこに、ただ何時間も立ってるだけなんて時間の無駄だと思いません?私が来ても来なくてもマサ君のタイムは変わらないのに、『応援に来てくれたら嬉しい』って言われて……『嬉しいだけ』なら正直勘弁してよねって感じです」
「ふふ。分かります」
思ったことをそのまま口にする、正直な人なんだな。
「走ってばっかいないで、ちょっとは家のこともやって欲しいって思いません?もう2年も同棲してるのに、結婚の話しないし、その割には家事とか全部こっち任せで、もう、私はあなたのお母さんじゃないんですけどって……あ、すみません、つい、火がついちゃって」
「いいえ。分かります。私は同棲はしてないから家事の分担とかはないけど、自分がパーツとして相手の生活に組み込まれていく感じはあります」
「ですよね!いいように使われて、なんか腹立つんですよね」
おそらく私とすみれさんは逆の立場で物事を見ている。ちゃんとしているのは祥太であり、すみれさん。現実逃避……というか、将来を考えず、自分の好きを貫いているのが私と佐々木さん。だけど、話が噛み合うのは、結局、結婚という他人と一生を一緒に過ごす覚悟を決めるには、ストレスがかかるという共通点があるからだ。どっちがより負荷がかかるとかじゃない。違うものを受け入れるというのは、それ自体が誰にとっても苦痛なのだ。




