第2話 11月25日 火曜日
サブリナ丈の緑のタータンチェックのパンツ、厚手の黒タイツに5cmヒールの皮の紐靴、上は白いシャツにもこもこの黒いショート丈のセーター、いつものぱっつん前髪に高いポニーテール。よし。お気に入りのケープコートを羽織って出勤する。
「おはよ、百花」
駅前で後ろから声を掛けられる。
「あ、昨日はどうもご馳走様。良平、顔どう?」
「ん……?」
赤みは引いてるようだけど、頬は少し腫れたままで、口の端が黄緑色になっている。
「ちょっと分かっちゃうかもね」
「彼女に全力で殴られたことが?」
「はは。誰も彼女とは思わないんじゃない?」
「ならいいよ。猫が激突してきたことにするから」
「ひど。ネネロンはそんなことしないでしょ」
ネネロンは、良平が飼っているアメリカンショートヘアだ。
「いいんだよ。ウチのアメショーは年の割に元気いっぱいだから、こんなこともあったりなかったり……」
「なにそれ。ははっ」
身長169cmの私が5cmヒールの靴を履くと、良平より少し大きくなる。祥太も同じくらいの背丈だけど、祥太は私がヒールを履くのを嫌がる。
友達は自分より大きくても良いけど、彼女には小さくあって欲しいのか、それとも良平は気にしないけど、祥太はそういうのが嫌なタイプなのか……男って難しい。
「またネネロン預かってもいいよ?」
「もういいよ。振られたんだから」
「あ、そっか」
良平が彼女と旅行に行くとき、私はネネロンを預かっていた。
グレーの気ままな猫が私の部屋で自由に過ごす様子は、まるで自分の分身が好き勝手しているようで、気にはなったけど腹が立つことは全くなかった。
「頑張って彼女に合わせてたのにね」
「んあ?旅行?」
「うん。だって好きじゃないんでしょ?苦痛って言ってなかった?」
「まぁな。だいぶ断って……あれだよ。まじで、毎週行こうって言ってくるから、付き合いきれねーよな」
「毎週か。好きじゃないとね。さすがにちょっとキツイよね」
「だろ?これでしばらく自由だよ。ネネロンと家で映画見まくる」
「ははは。良平らしい」
振られて凹んでると思いきや、予想外にスッキリした表情の良平に安心した。
仕事が終わり、祥太と夕飯を外で食べる。
お互いの家は離れていて遠いけど会社の最寄り駅が同じだから、週末よりも仕事帰りの方が会いやすい。
「いつものところでいい?」
「そうだな」
『Le Nid』は私の幼馴染が昨年始めたビストロ。フランス語で『巣』という意味らしく、小さくて居心地の良い場所をイメージしているそうだ。駅からは少し離れてるけど、それが故に地元に住むお客さんたちに愛されるアットホームなレストランになっている。
「みぃーなみ!今日のおすすめなぁーに?」
「あ!百花!祥太くん!来てくれたんだね!ありがとう!」
美波は白いコックコートにチョコレート色のエプロンを着ている。150cmちょっとの美波が私の近くに来ると、可愛くて、つい「いい子いい子」したくなる。小・中と同じ学校で、高校からは違う進路に進んだけど、自分の店を持ちたいという夢を叶えてゆく様子を間近で見させてもらっている。
「今日はエスカルゴがお勧めだけど、ニンニクがきいてて……百花駄目でしょ?」
「ごめん。苦手かも。ちょっとならいいんだけど……でも、せっかくだから祥太だけでもどう?私はいつもと同じになっちゃうけどカスレとパテドカンパーニュにしようかな」
「じゃ、俺、エスカルゴに挑戦してみるよ。あと、鶏モモのコンフィ頂戴。飲み物はビールでいいよな?」
「うん、まずはビールをお願い」
グラスビールで乾杯し、サービスしてもらったサラダで食事を始める。
「良平のほっぺ大丈夫だった?」
「うーん。ほっぺは痛そうだったけど……なんかちょっと吹っ切れたみたいな?そんなに凹んでないみたい」
「へえ。そんな好きじゃなかったのかもな」
「なんで?」
「だって、俺だったら、百花に振られたらショックで一生立ち直れる気しないよ?」
「何それ。大袈裟」
出てきたパテドカンパーニュを笑いながら二人で摘まむ。
「旨いよなぁ。何度やっても再現できないんだよ」
祥太は料理が趣味で、なんでも手作りしようとする。そして、それが実際できてしまうから尊敬する。
「祥太くん、やめて。お店の味盗まれたら、商売あがったりだから!」
「俺が家で一人で食べるんだから、美波ちゃんの店に実害はないだろ?」
「そうだけど!百花と一緒に来てくれた方が、私的には嬉しいもん!」
ぷくぅとほっぺを膨らます美波は本当に可愛らしい。
私にはこんな仕草一生出来ないだろうし、万が一やったとしても可愛くないに決まってる。
エスカルゴとカスレが出てきた。
「コンフィはもうちょっと待っててね」
私はビールのお代わりを、祥太は赤ワインをグラスで頼んだ。
「ねぇ、それ、どうやって食べるの?」
ひっくり返ったカタツムリの殻を前に固まっている祥太に声をかける。
「さ……さあ……」
顔が引きつっていて、笑っちゃ悪いけど、おかしい。
「フォークで中から引っぱり出して、ソースと一緒に一口で食べちゃって」
美波のアドバイスに従って、祥太が左手にエスカルゴ、右手にフォークを持って挑む。
「手が……震えてない……?ぷぷぷ」
「笑い事じゃないよ。まさかこんなグロいと思ってなかったから」
と言い終わった瞬間に、祥太は一気にフォークで中身を引っ掛けて一口でいった。
「……どう?」
「!」
祥太は目をパチッと開いて、もぐもぐと勿体ぶって食べてから、ワインを一口飲んだ。
「で?どう?」
「旨いよっ!」
「でしょ、でしょ」
美波が嬉しそうにこちらを見ている。祥太が親指を立ててグーのポーズをしてから、手の平をヒラヒラさせて美波を呼んだ。
「なに、なに?」
美波が瞳を輝かせてやってくる。
「バターとニンニクとパセリだろ?」
「あーっ!企業秘密!」
「いいだろ。誰にも言わないから教えてよ。あと何入ってんの?」
こうしてレシピを聞き出そうとするのはいつもの光景で、本当に聞き出そうとはしていない祥太のフリも、なんだかんだ言いながら隠すつもりは全くない美波のノリも見ていて楽しい。




