7/邂逅:鎧の廻廊《アデメルドウワン》にて(7)
「おい」
注射器を見たイズクがこれまでとは比べ物にならないほどに憤り、青筋を立てている。
「その《薬》に付いて知っていることを全て話せ。際限無く吐き出せ。その後に殺してやる」
イズクはそれを知っている。
それが手がかりだから――そしてついに見つけた。
「――《魔女》は、ここで終わらせる」
しかしロレイメリアは聞く耳も持たず、その小さな注射器を首筋に当ててゆっくりと中に入っている黒い液がロレイメリアの身体へ浸透していく。
「あ、はは、ああ、これかぁ……これがぁ――」
イズクは大きく舌打ちをした。それが何かを知っているからだ。そしてここからどうなるか、それも解っている。
「すごい、すごい……見えます、みえます、ミエマス、み、みええ、みえる――みえっ……えええええええええ」
人の形は保っている。
しかし中身は変わっている。
《薬》を注射し、両目の結膜が黒く変化しては全身を蠕動させ、ロレイメリアだけが見えている何かに歓喜し、そして両手は強く、更に強く手を組んだまま、
「……いマなら、もっと、はっきりと、ワタシの《奇跡》を、形にデキル」
震えが収まり、イズクを見据えるロレイメリアの雰囲気が変わった。今まさに《第九十三位》の聖女――ロレイメリアの《奇跡》――《詛りし呪》の真価が発揮される。
「《瘴気を撒くことなくその身を爆ぜろ》」
そして決着。
イズクは内部から破壊され、言葉通りロレイメリアの《奇跡》が達成される。イズクの《奇跡》そのものに攻撃力はない。だが内包している腐れ竜の瘴気は《奇跡》を喰らうことの出来るあのヘイルバイトすらも侵し殺す猛毒だ。
イズクの身体を傷つけるということは自動で瘴気による反撃が行われるといって差支えない。ならば階梯を上げた《奇跡》の価値で、ロレイメリアの理想を更なる現実に反映させればいい。ただ一言願うのではなく、更なる言葉を紡ぎ、より一層ロレイメリアの願いを確実なものとする。
それは《薬》とやらを打ち込んだことで可能となった。赤黒い血管が首筋から浮き上がり、眼球も黒く染まり、聖女というのは酷く穢れているにも関わらず《奇跡》の価値は《一桁位》に匹敵するほどの神々しさを放っていた。
膨らませ続けた風船がどうなるか誰でも解るようにそのまま爆散して四面にへばりつくイズクの残骸を前にルリリルの希望もまた同じく四散する。
「あ、ああ……そんな、そんな――」
ルリリルはただ戦いを眺めているだけだった。そして何も出来ずルリリルの目の前でイズクが一瞬でロレイメリアの言葉の通り爆ぜて塵にされる様子が戦々恐々と見ていることしかできなかった。
「はは、やった……なんてザマだ。《魔女》にお似合イのお終いダ」
ヘイルバイトとの戦いでも腕や足が砕けたり、噛みつかれて穴だらけにされたところで原形を保っているのならば完膚なきまでに身体の内側から破壊してしまえばいいだけの話だ。
ロレイメリアの《奇跡》は言葉に乗せて思い通りにすることが能力であるが、謎の《薬》を打ち込んだ瞬間――その能力はまさに女神に更なる寵愛を受けたように空想すらも実現させるほどの言葉ではなく祝詞と化した。
弾けてバラバラに散ったイズクの中に蔓延している瘴気すらも漏らさずに、完全にこの世界から消滅させた。
「……どうして、こんなことを」
「あれは世界を破滅させル者――ここで止めねバいずれ《一桁位》の方々が動かねばナらない」
同じ《聖女》だというのにイズクも同じ《聖女》だったというのに、それなのにどうしてこうも彼女に対して嫌悪を向けるのか。
「それより、も……ダ」
見下すようにロレイメリアのルリリルを睨んでいる。
「あの《魔女》を……《聖女》と謳うなどと異教徒めガ」
黒い汚泥のような眼球がルリリルを射貫く。イズクの黒い真珠のような綺麗な瞳とは違う。
ただ黒く染まった結膜も、白く点となった瞳孔に、虹彩すら浮かばない人とは思えぬ眼をした人の形をした《聖女》と呼ぶには酷く遠い者に、ルリリルはその場から動けずにいた。
「どうシテしまおうかな」
ロレイメリアが両手を組む。祈りを篭めて、言葉にすればそれが現実へと投影される。
イズクと同じように血肉の海に還すことも出来る。しかしそれでは面白くないと――卑下た笑みを浮かべロレイメリアの口元が歪んでいる。
「奴隷が信じる《聖女》は肉になった。ならその肉の上で静かに眠らせてしまおう……そうだ、それがいい」
ルリリルが信じていた者は、壊れて崩れた。もう形を失い、血と肉で溢れたイズクだったモノが《第六位》の成れの果て。
信じていた《本物》が《贋者》の悪意によって滅ぼされている。今度こそもうどこにも救いはない。救いは、消えてしまったから。よってロレイメリアは祈る。願いを言葉に乗せる。ルリリルがその《奇跡》を逃れる術はない。
「それの、なにが――いいんだ?」
凛とした声で、全てを否定する。ロレイメリアが振り返れば、片腕が得体の知れない赫黒の刀身で貫かれている。
「な、ああ、な、なに……これは……」
驚愕の彼方に四散したはずのイズクが立っている。確かに血と肉だけになって解体されたはずの《第六位》が元の形へと戻っている。
そして左肘の先端をロレイメリアに向けて、その肘先からは皮膚を突き破り骨が突出しているようにも見えた。赫黒く光る刀身はそんなイズクの身体から出ているものだ。
「如何に超越した《奇跡》であろうとも、祈らなければ使えない」
両手を組むことが引鉄ならば、それを阻止してしまえばどれだけ空想を並べ立てようとも実現できない。
ロレイメリアの窮極的な弱点は誰であろうとも把握できる。あとは言葉を発する前に左右のどちらかの手を潰せばおしまいだった。
「な、なんで……その力は、なんなんだ……」
イズクには戦うための《奇跡》を持ち合わせていない。しかし世界を滅ぼすほどの瘴気を全身に浴び続け、腐れた竜をその身に内包したことで――全てを手に入れてしまったのである。
「腐れた竜は、私に教えてくれた」
イズクだけが知っている。世界を滅ぼそうとした腐れた竜の正体を。そして《終わら不》の《奇跡》だけでなく腐敗の竜が放っていた瘴気を自由自在、変幻自在に操ることが出来ることを。
「だから《第六位|》《・》だけが知っている」
何故に罪を着せられ《魔女》と呼ばれることとなったのか。その根幹に《一桁位》の《聖女》たちがいるということも。
「悪役にされた《聖女》は誓った」
だから、この程度で立ち止まれない。
果たすべき復讐がある。その為に、まずはイズクを慕う小さな黒猫の信者を守らなくれはいけない。
そして、イズクが望むことはただ一つ。
「――死にさらせ人類史」
刃を引き抜き、両手首を斬り落とす。ロレイメリアが泣き喚きながら叫び散らかす。
もう《奇跡》は使えない。そしてイズクの左肘から生えていた刀身が消える。
イズクはそのままロレイメリアの目前まで接近していた。右腕を振り上げたと同時に肘から伸びた赫黒い刃はロレイメリアの首を落としていた。
「せ、せいじょさま……」
「私はその名で呼ばれるような――ヒトではありませんよ」
イズクは無理に笑ってそう言った。危機が去ったことで口調も、雰囲気も優しく戻る。ルリリルの前に立って、そのまま地に膝を突き同じ目線で語り掛ける。
「ただの人殺しです」
だがルリリルは力いっぱい顔を右へ左へと振り、イズクの手を取る。
何度も何度もこの身は瘴気を内包していると言っているのに、喩えイズクの任意によってそれを有り無しにできるとはいえ唐突にイズクの手に触れるルリリルにイズクは驚く素振りを見せる。
「それでも、聖女さまは――わたしの、聖女さまなんです」
泣いていたとき誰も助けてはくれなかった。両親が死んで、全て失ったあの日も《堕天》に殺されていく今日を前にしても他の《聖女》が助けに来てくれることはなく。
終には《聖女》に道具として扱われる日々。亜人に明日は無く無限に続く地獄を廻されていた。せめて夢幻の中で両親を救ってくれた本当の《聖女》に出逢えることを夢見て死ねば楽になれたのに、生きることを諦められなかった。
そして、いま――ルリリルの目の前にその《本物》の《聖女》が立っている。これは夢でなく現実だから。
イズクの身体に触れることに躊躇うことなくルリリルはイズクの手を掴んでいる。一歩前に進むことすらルリリルには出来なかった。
手を差し伸べてくれたのは聖女だった。光の無い道を照らしてくれた。だから何も無いルリリルだけれど、誰もイズクのことを知らないのなら――誰も彼女のことを《聖女》と呼ばないのならルリリルだけは彼女を信じたい。
「私を信仰しても……いいことないですよ」
――《魔女》と呼ばれることで《第六位》の《聖女》は欠番とされイズクの居場所はこの世界から消されてしまった。
彼女を信仰するということは《魔女》を信仰することに他ならない。世界に反逆するのならば、その先に待ち受けるものは――しかしルリリルの考えは変わらない。
もうあの光すら届かない闇黒の底へ戻りたくない。この命の使いどころがやっと見つかったのだ。ルリリルはイズクの手を握り締めたまま、
「いいことしかありません」
今まで自分がそんな顔が出来たのだと吃驚してしまうほどにルリリルは満面の笑みでイズクを見ていた。
「わたしの人生はいまここで変わりました」
この廻廊でイズクと出逢わなければ、ルリリルの物語は終わっていた。
それが偶然だとしても、運が良かっただけかもしれなくても、ルリリルはこれを運命と信じている。
変わることを諦めたくせに、生きることを諦められなかったのは――いつか《本物》の《聖女》と邂逅できると信じていたから。
だから、
「わたしは聖女さまの信者でいさせてください」
何の力も無くて、何の役に立たないのもわかっている。けれど《第六位》の《聖女》を信じている。
《魔女》などではない。こんな優しい人が――《魔女》であるものか。だからルリリルは何も出来ない代わりにイズクを信じ、付いて行きたい。
「……あなたは――」
ルリリルの手を握り返すか葛藤していたイズクだった。恐る恐る、空いた方の手を……ルリリルの手に触れようとしたその時だった。




