5/邂逅:鎧の廻廊《アデメルドウワン》にて(5)
彼女は確かにこう名乗った――イズク・フォーリンゲイン、と。
それは《第六位》を冠する《一桁位》の聖女である。
《一桁位》と呼ばれる聖女は、現在存在する三桁を超える聖女たちの持つ《奇跡》とは比べ物にならない絶大なる力を宿した異能の持ち主とされている。そしてイズクもまた《第六位》という位置にいることからおぞましい《奇跡》の所有者である。
ルリリルはどれだけ凄まじい力を持っていたとしても今まで全ての聖女は助けてはくれなかった。だからあれは贋者だと諦めて、もう望むことを止めてしまった。けれどルリリルの目前に立っている聖女こそが――
「す、すごい……」
廻廊の最奥にてルリリルは奇跡の根源を目撃している。これを奇跡と呼ばず、何と言うのだろう。
ルリリルが元より小さな身体の種族ではあるが、それでも背高い女性だとしてもイズクよりも遥かに巨体である怪物のような《堕天》相手にどのように対抗しているか――それは徒手のみである。
ヘイルバイトの巨岩の如き身体に対して、針のように細い柔い腕で殴り飛ばすということは肉体を完全に限界を超えた使い方をしているということだ。案の定、そんな質量を受け止めたまま殴り返せばイズクの両腕は歪んで潰れて微塵になる。だが、そんな結果は瞬時に無かったこととなる。
腕が潰れても、足がへし折れても元に戻る。
四肢が崩壊する結果が起こったとしても、身体が潰れるほどの威力で脳の使用率を十割で行いながら殴り、蹴っている。これまでの《奇跡》の所有者のようにイズクは祈らない。祈ることすらなくただ殴り続けている。何も持っていない。素手だけで巨大な《堕天》相手に対抗している。
「卑しいその口をとっとと閉じろ」
ヘイルバイトは抵抗し続ける餌に苛立ちを覚えていた。
《奇跡》など容易く喰らい尽くすこの口が対峙する者の《奇跡》を喰らえば絶望し、泣き喚きその様を見ながら食事をすることこそが歓喜だというのに、イズクと名乗る《第六位》の奇跡を喰い潰せない。寧ろ彼女が繰り出す拳に自身の巨木のような腕が押し負けているのが気に入らない。
恐ろしいのは腕や足を打ち付ける度に身体が壊れるほどの強さで攻撃しているどころか着ている黒衣すら破れているのに元に戻っているところだ。本当に時間が逆行し、イズクという存在そのものが終わる度にそれを無かったことにするように異常は正常へと逆転する。
ルリリルも今まで見てきた《奇跡》というものは火や水を操ったり、武器を出したり、他者を操作すると確かに《奇跡》と呼んで差支えのない魔法のような力だった。しかし《第六位》であるイズクの《奇跡》はもはや魔法と呼ぶにはいびつすぎる。
ただ終わらない。どれだけ終わってしまう行動を取っても、イズク・フォーリンゲインは終わりは不い。
死なない――終わらない――それが《第六位》である聖女イズク・フォーリンゲインの《奇跡》――《終わら不》である。
だが《一桁位》の《奇跡》でありながら、その不死性は凄まじいが決定打に欠ける。
どれだけ拳を打ち付けてもヘイルバイトに致命を与えることは出来ない。所詮、殴打だけではこれほどの質量をほこる《堕天》を破壊することは叶わない。ヘイルバイトもそれを理解しているのか嘲笑うように咆えていた。そして顎から腹部にかけて縦に割けながら巨大な口を開く。
「もう我慢できないか? なんと情けない……」
猟奇じみた口内を前にしても怖気づくことなくイズクが鼻で笑うのも束の間、イズクはヘイルバイトに掴まりそのまま乱暴に口の中へ入れてしまえば勢いよく大口は閉じられイズクは噛み砕かれる。
「いやああああああああッ! 聖女さまッッ!!」
ルリリル自身が死ぬ間際まで声を上げることはしなかったというのに、イズクが噛み砕かれた光景を前に悲鳴を上げていた。他の命同様に平等にヘイルバイトの飢えを満たされる。
はず、だったのだが、ヘイルバイトはそのままもがくと勢いよくイズクを吐き出していた。
「おいおい、好き嫌いはいけないなぁ……」
どんな肉であれそれが腐り果てた肉ですら食していたヘイルバイトがイズクに噛みついた瞬間に何かに耐えられず口内へ入れることを拒絶した。
だが吐き出されたとはいえ腹上から生え伸びる無数の牙に確かに貫かれていたはずだ。その時点で絶命しているはずだというのに、立ち上がった頃には貫かれた身体も黒衣すらも喰われる前の状態に戻っている。
ヘイルバイトはただその場でもがき苦しんでいる。イズクを噛み潰したときに溢れ出た血が口内へ入り込んだその瞬間からイズクを喰うことを止めたのだ。
「どうした? ん?? 喰わないのか???」
しかしイズクはヘイルバイトに向かって首を傾げながらゆっくりと近付いていく。遥かに自分よりも小さな存在を前に、ヘイルバイトは後ずさりをしていた。形勢が明らかに逆転している。ルリリルはそんな状況を前に驚きを隠すことができない。
「せ、聖女さま……は、いったい……」
「私の《奇跡》は死なないだけ――死ねないだけ。ただそれだけ。それなのに、どうして《堕天》は苦しむのか」
イズクの血肉を喰らうだけでまるで猛毒を口にしてしまったかのように転がり回る。
そして振り向いてルリリルの見つめている。その表情は先程まで《堕天》に向けられていた猛禽類のそれとは違い、女神の如き優しい表情だった。
「私が処刑された理由は、知っていますか?」
口調すらも、聖女のようにゆっくりと語り掛けるようにルリリルが喋るのを急かすことなく静かに待ってくれている。
「は、はい……しってます……」
だからルリリルは正直に答える。
まだ生まれたばかりのルリリルでもそれだけは知っている。《第7終止符》を超える災害級どころか世界終焉に匹敵する正体不明の腐れた竜を世界に招いたとして、その罪で他の《一桁位》の聖女らに《魔女》と汚名を着せられ処断されたことを。
「私……その死体と一緒に棄てられましてね」
腐れた竜は草木も湖も村も町も腐らせ終わらせた。だがイズクを含む《一桁位》の聖女たちと共に倒すことができた。だが倒しても瘴気は消えることなく溢れ出ており、竜の死骸はそれだけで世界に悪影響を及ぼした。
そのとき死なない奇跡を持つイズクは処刑――と、言うよりは身動きが取れないように他の聖女らに拘束されてそのまま腐れた竜の放つ瘴気の《蓋》にされたのである。
死して尚も世界を腐らせ続ける呪いを撒き散らし続け、いくら殺し続けても終わることのない奇跡を持つ聖女であるイズクは処刑としてその呪いを全身に受け続け、世界の《蓋》になることで浄化されるそのときまで永遠の苦行を受け続けていたということだ。
そのおかげあって世界は清浄に保たれ、正常になるまでイズクは呪いを浴び続けていた。いつしか誰も知らぬ地の底で人々から忘れさられるまで人知れずイズクは世界救済のための礎にされていたのである。
「そ、んな……そんなのって……」
「十数年そのままにされてしまいましてね。目が覚めた頃には竜の死骸は消えてまして……ただやっぱり私それでも死ねなくて――浴び続けていた瘴気はいまだに身体の中にずっと残っているんですよ」
平然とした顔でルリリルが体験してきた地獄なんてものは余りにも生温いのではないかと――思ってしまうほどの吐き気を催すほどの地獄を彷徨っていることを知ってしまった。
だが、おかしいことがある。ルリリルはこの話を聞いておかしな点に気づいた。
「なら、わたしは……なんで、あれ? なんとも、ない……」
ヘイルバイトと格闘する際に腕をや足を損壊しても、口に入れられて噛み千切られても、もし瘴気を内包しているというのなら器が壊れてしまえば、そこから漏れ出てしまうはずだ。ルリリルも一緒に吸っているはずなのに特に何も起きず存命している。
「すごいんですよぉ……私の任意で無害にできるんですよ瘴気」
イズクは人差し指を唇に当てたまま微笑んでいた。
「そ、そうなんですね……」
「まぁ……詳しい話は後にしますか――」
そしてヘイルバイトは眼から血を迸りながら、
「収穫もないし……さっさと終わらせますね」
そして優しく微笑んでいたイズクがルリリルから視線を外し、そのままヘイルバイトに視線を移した途端信じられないほどに別人にすら思えるほどに表情が歪んでいた。右眼がピクピクと痙攣したまま、眼球の中にもう一つ眼球が、眼球が、眼球が、見えたような――――
(いま、たしかに……目のなかに……目が……)
だが瞬きをすればイズクの眼は元に戻っていた。ルリリルは見間違えたのだろうとそう自分の言い聞かせる。入口の扉の近くでぺたりと座り込んで、イズクは一歩また一歩と部屋の奥に震え怯えるヘイルバイトに向かっていく。
本当に信じられない構図である。数多の人間を喰い殺して来た怪物が、一人の女性の接近を拒んでいる。腕を振り上げ勢いよく叩き潰そうとしてもイズクは避けることすらせずそのまま圧死する。
しかし死んだ事実は無かったことにされる。ヘイルバイトが腕を振り上げ、もう一度圧殺しても、やはり終わらずイズクは口元が裂けるほどに嗤いながら、
「マナーが、なってませんね――食事は静かに、スマートに……でしょう?」
イズクは千切れた腕を放り投げ、ヘイルバイトの口の中に放り込む、異物に対して今すぐに吐き出そうとするヘイルバイトが嘔吐しようと嗚咽を鳴らす――だが、イズクは右足が自身の額に触れるほどの勢いでヘイルバイトを蹴り上げている。開いていた口が閉ざされる。
それでもイズクの攻撃自体にヘイルバイトを倒すには至らない。ゆっくりとヘイルバイトは立ち上がる――しかし、これはもう詰みだ。
イズクの腕を体内に入れてしまった。
ただわけもわからず両目から血を吹き出し、割けた腹の口から体内が溶かされて爛れながら、自身の肉を吐き出していく。
ヘイルバイトは思考している。《奇跡》を喰らう特性を持った《堕天》であるはずだ。炎であろうが、なんであろうが《奇跡》はたらふく喰い尽くしてきた。
そして《奇跡》が通用しないことに絶望し、その恐怖と諦めと共に肉を喰らう。これこそ至高。肉の味と質はこれで決まる。今日も愚かな人間の自信と覚悟を丸呑みにするつもりだった。
これは、なんだ?
答えは出ない。イズクの肉を取り込まされた時点で腐敗し、腐食していく命の様子をただ黙って見ていることしかできない。
廻廊の奥底で、来る人間を喰い続けていた。これまでも、これからも――しかしこれが最後の晩餐。腐敗した肉に囲まれながら、自身も同じ肉となる。
これは《奇跡》なのではない――《奇跡》の効かぬこの身を滅ぼせる代物など《奇跡》なわけがない、と。
ならば、これはなんだ?
「呪われろ、呪われろ、呪われろ――」
イズクは朽ち果てていく堕天に向かって救いの祝詞を告げる。イズクの持つ《奇跡》は死ぬことのない呪いの力。しかしてその身に腐れた竜の呪いを内包している。
ならその呪いは――竜、とは――
「ありえない……こんなこと……」
扉の向こうから爛れて溶けて行くヘイルバイトの顛末をこの目で見ているロレイメリアは目の前で起きている全てが偽りだと信じることができなかった。
「あれ、は……あれが……あの御方の、言っていた《魔女》だと、いうの……?」
恐ろしさにわなわなと身を震わせるロレイメリア。しかし全ての聖女がその《魔女》を知っている。知らされている。いつかそれが《蓋》の役目を終えたとき――聖女を騙った魔女は目を醒ますと。
それはただの言い伝えだと思っていた。だがそれは《第六位》を知る聖女たちの伝承の通り――死ぬことのない《終わら不》の《奇跡》の所有者。そしてあの凶悪さ、凶暴さを前にロレイメリアは理解する。
「あれを、止めるために――ワタシはここに呼ばれたのでしょう……」
《一桁位》の聖女らに他全ての聖女らは告げられていた。《魔女》と遭遇したとき、それを打ち倒すことが本当の世界の救済であると。
そして懐から取り出す何かを取り出しながら、ロレイメリアは意を決する。その瞳には狂信的な、危うい輝きを放っていた。




