47/最果:《第六位》だけが知っている(1)
「ルリリルを私の瘴気で穢したくない」
それはただの暴力だった。
イズクの撃ち出した拳は、ただ痛みを与えるためのものだった。
「ゆっくり、眠らせてやりたいんだ……」
だから、
「ゆっくり、お前を殺すことにするよ」
痛みに耐えられず、のたうち回るクロウディアにただ終わりを告げるように再びイズクは腕を振り上げる。
大の字に仰向けになったクロウディアの鼻に全体重を乗せえてイズクは拳を振り下ろした。鼻の骨が砕ける音がする。《奇跡》や《赫黒》など関係無く、ただ一心に拳に憎悪を乗せただけの殴打だった。
クロウディアの悲鳴が吐血と共に吐き出される。しかしイズクはその手を止めることなく、二度、三度とクロウディアの顔面が潰れるまで殴ることを止めなかった。しかし、殺しはしない。それで終わらせてはつまらない。
「何か、言いなよ……」
クロウディアは何も言わなかった。いや、言えなかった。血まみれのイズクの拳。歯も、骨も折れたまま赤く染まるクロウディアの顔面。
しかし、イズクはクロウディアの胸倉を掴んで無理やりに立ち上がらせる。
「た、たすけ……」
今更そんな言葉を投げ掛けたところで、何も変わりはしないと。
彼女を止めることはできない。
止める者などいない。
「どうして《赫黒》を起こした」
イズクは知っている。
《赫黒》をこの身に宿したとき、全て視た。
傷ついた《赫黒》は凍り付き眠っていた。しかしそれを割り、解放し、クロウディアの《奇跡》を使って幻覚を見せた。
「この世の全てが……《極光》に見えるようにした」
傷つきながらも世界のためにと《赫黒》は瘴気を撒いた。だから世界は腐り落ちて行った。人類はこの世の終わりだと嘆いた。
「お前が《赫黒》を操った。そしてそれを止めたのは……アリシェリア――お前の妹だったな」
しかしそんな《赫黒》の瘴気を浄化し、沈黙させたのはクロウディアの妹だったアリシェリアだった。しかし瘴気によって死に至った。
「ならさっきの口ぶりはなんだ? まるで殺されたみたいに言うじゃないか――お前が殺したようなものなのに」
自ら火を点けて、水をかけたように。
「小火で済ますはずが、その炎は世界を呑み込むほどに危険なものだった。星を終わらす魔物と戦った竜だぞ……? 少し考えればわかるはずだ」
理不尽に怒りを向けられたことが気に入らなかった。
救ってやっているのに、何もかもを押し付けてくる人類が気にいらなかった。
だからクロウディアは人類を燃やしてしまおうと思った。どれだけ助けても、どれだけ救っても、一度の失敗で批判し、非難するというならそんな生き物に手を差し伸べる意味などないと。
だからクロウディアが《赫黒》を使って、この世界を腐らせたのは解る。そしてその責任をイズクに押し付けた。しかし如何せん理解し難い部分がある。
「でも、それでも……一つだけどうしてもわからないことがあるんだ」
イズクは片腕でクロウディアの首を掴みなおす。このままへし折ってしまいそうになるのをグッと堪えたまま、
「どうやって生き残っていた《七虹》が眠っている場所を特定した?」
《七虹》は本当に存在している。
この星が存命しているのがその証だ。
だが誰もが竜の姿を見た者はいない。おとぎ話だと誰もがその存在を知ろうとはしなかった。
「……はは」
そこで顔面の至る所から血を滴らせながらもクロウディアは嗤った。
「……《声》さ」
返って来た言葉は――どこか聞き覚えのある言葉。
「声……?」
「ある日、突然聞こえてきたんだ……竜が、眠っている場所を……教えてやるって――それを使って、やりたいことをすればいい、って」
そして、それを聞いたイズクは全てを理解する。
してしまう。
なんということだ。
これは、本当に最悪だ。
「なぁ……クロウディア……お前は、さ――――」
何処からともなくそれは突然、聞こえると言われている。
そして選択を迫られる。
しかし、クロウディアは選んでしまった。
《聖女》がその声を耳にした時点で、もう墜ちているじゃないか、と。そう言いたかったがイズクは口を噤んだ。最初から、何もかも手遅れだった。
《一桁位》は――《聖女》の堕落と共に、初手で滅ぼされていたのだ。
「クロウディア……もう、いや、クロウディアじゃ――ないな」
力の無い者にしか囁かないと言われていたのは偽りだった。《極光》は、ずっと、ずっと月の傍らから人類を見下ろし、力無き者だけではなく穢れた心を持つ者に声を届けるのだ。
「……声の言うことを聞いた時点で、《堕天》と同じだよ《第四位》……」
そして手を離し、地面に転がるクロウディア。いや、クロウディアだったモノ。
散々、命を弄び、他者の人生で遊び続けた者は――イズクが復讐を誓ったあの日から既に、終わっていた。
「《聖女》を皆殺しにすれば……あとは《堕天》を撒いて人類は終わるはずだったんだがね」
醜く歪んだ貌をしたままクロウディアの形をしているだけの別物がイズクを見つめている。
「キミは、あまりにもしぶとい」
《極光》はただ星を終わらせるために生まれた魔物。しかし《七虹》によって瞳だけになって宙に置き去りにされた。
しかし囁き、その声を受け入れた者を《堕天》にするという嫌がらせを人類に行った。
にも、関わらず――人類は《奇跡》などという異能に目覚めたせいでそう上手くは滅ぼせなかった。
挙句には《聖女》と呼ばれる存在まで生まれてしまった。《堕天》は否応なく滅ぼされ続けていた。なら《聖女》自身に声を届ければ、この声を受け入れさせれば。
「私の《奇跡》は、何の役にも立たないだろうに」
しかし《極光》は《第六位》を最も警戒していた。
「キミは《聖女》として最も正しい行動を繰り返していた――献身、自己犠牲、滅私奉公……力無きキミの行いはね、他者を最も奮い立たせる」
いつか、キミが世界を動かす――と。
そんなわけがあるか――イズクは舌を打つ。
「所詮は憶測……だが、ボクはいちばんキミが危険だと判断した」
だから《第四位》を唆し、穢れた心を抱いたその瞬間を狙い囁いた。クロウディアは受け入れた。そして《堕天》させた。
異形の怪物にするのが《堕天》ではない。
《極光》の操り人形になることをそう呼ぶのである。あとは《極光》の思い通りに創造できる。
基本的には怪物の形にするのがいちばん暴力的で単純に動かせる。
しかし《聖女》は違う。
人の形のまま《奇跡》を上手く使い、ましてや想像した効能の《薬》を創造し、精製できる能力など便利にもほどがある。
現に他の《聖女》は簡単に籠絡し、《第六位》を孤立させることができた。
そして《赫黒》を解き放った《魔女》と仕立て上げ《聖女》としての信頼と信用を略奪し、そのまま《赫黒》の死体と共に遺棄し、瘴気を浴び続けさせて縛り上げる。
これにて《第六位》は、殺し切れるとそう思っていた。
「だって、死なない《第六位》は――こうしないと、殺せないと思ったから」
《極光》による間接的に人類を終わらせる計画は果たされるはずだった。
「《聖女》の数さえ減らせば残りはどうせ、ちょっと強い《堕天》を被せばご覧の通り。でもぉ《蓋》のままでいてくれればもっと楽だったんだけどな……」
クロウディア――いや《極光》は頭を掻き毟りながら、
「《赫黒》を懐柔するとは、思わなかったよ――余程、我慢強い」
「この星の最初で最後の魔物に褒めてもらえて光栄だ」
イズクは復讐する為に終わりを受けれなかった。
「私に囁けばよかったじゃないか。お前の言葉は心地が良いのだろう?」
心が穢れた者ならば《極光》の声が通るのならば、きっとイズクもその言葉を受け入れていたかもしれない。正直なところ否定できるか自信もなかった。
復讐するためだけに終わらずここまで来たのだから。
「何度も試したよ」
「なに?」
「でも、キミはそもそも反応すらしなかった」
無視したわけでもなく、そもそも声は届いていなかった。
イズクは一度として《極光》の声を耳にしたことはない。
「さて、そろそろお話は終わりにしようか」
復讐すべき相手は《聖女》ではなかった。
この形容しがたい怪物を――このまま放置するわけにはいかない。しかし、それは宙の向こう側にいる。
なら、ここで終わりか。
イズク・フォーリンゲインの復讐は果たされない?
いや、違う。
それは、違う。
「それでも選んだのは《第四位》だ。お前もろとも殺せばいいだけさ」
「好きにしなよ。こちらもせっかくここまで準備したんだ。ちょっとでも人類を滅ぼすとするかな」
そんなイズクを他所にクロウディアは動かない《堕天》の最高位の死骸に触れる。
「《第四位》を満足させるために上手く動かしたんだけど……自我を残して《堕天》にするべきではないね。思い通りに動いてくれないし――やっぱ、最初からこうすればよかった」
そしてクロウディアはそのまま突如動き出す《リ・オニペ》に丸呑みにされた。死んでいるのなら動かないはずだ。しかしそれは唐突にクロウディアを喰らった。
『なにって、これはボクが作ったんだから……ボクの思い通りにできるに決まってるだろ?』
回りくどいことはせずに、最初からそうすればよかった。
だが《極光》は《第四位》を使って物語を描き、脚本に沿って《一桁位》を破壊した。
そしてこれが最後。
これで最期だから、もうあとは力押しで無理やりに完結させようとしている。
「では、お互い終わりにしよう。イズク・フォーリンゲイン!!」
《リ・オニペ》と同化したクロウディアだったモノが高らかに声を上げる。
イズクは、ルリリルの小さな身体を抱きしめたまま空中に浮かぶ災厄を見上げていた。




