43/死闘:始まりの渓谷《エルディメ》ルリリル奪還戦(5)
「あ~あ、ほんとに来ちゃったよ」
無言のままゆっくりと歩いて来るイズクを前にそれはおどけて見せる。ここは渓谷の奥底でイズクが《魔女》として遺棄された地獄の窯の底。
腐れた竜と共に棄てられ、そこで瘴気の全てを一身で受けさせられ《蓋》とされた終わりと復讐の始まりの場所。
そんな災厄の境界の中心に両手を広げたまま待ち構える《聖女》が一人。
《一桁位》が《第四位》――クロウディア・アルカナ・ルンセント。
《一桁位》の《聖女》の中で最も人類に貢献したであろう《聖女》――それはイズクも否定しない。彼女の《奇跡》は《薬》を扱う《剤ぜり薬》によるものだ。
彼女が精製する《薬》は文字通り奇跡を生み出す。見るに堪えない傷を癒し、千切れた身体の部位さえも元に戻し、死ぬしかないはずの不治の病すら治してみせる。
死そのもの以外の終わりを否定するまさしく奇跡を扱う《奇跡》の担い手。そしてそれ故に、これまでの全ての元凶にして、イズクを《第六位》ではなく《魔女》に人類の視点から変えた最悪。
「今度は、逃げるなよ……《第三位》」
「逃げないさ、やっと完成したんだよ――《第六位》」
忌々しい渓谷の奥底で、イズクはクロウディアと対峙する。自身の瘴気で腐れた竜と化していた《赫黒》と共に棄てられたこの場所で今度こそこれを最後とする為に。
「ほら、やっとここまで来てくれたんだ。もうちょっと近くで見てよ」
だがイズクが見た景色と一つだけ違うところは、イズクが《蓋》とされた《赫黒》を内包したその場所にはクロウディアが《薬》によって作り上げた《堕天の動く死骸》とは似ているが、どこか異様な形をしている巨大な赤い繭が横たわっていたことだ。
「《聖女》と名乗り、他者の人生を弄び……挙句には《堕天》を使って狂った実験を繰り返す――何がしたいんだ、お前は」
この物語の道程で決まって《第三位》の狂気が滲み出ていた。そしてここへ来るまでに更に異常は増していく。もはや《堕天》よりも遥かに人類史にとって危険な存在と化している。
「《堕天》は元は《極光》の囁きを聞き入れた人類の成れの果て」
淡々とクロウディアが話を始める。これが最後だとイズクは黙って聞いていた。そしてそれは誰もが知っていることだった。
この世界には天使も悪魔もいない――神族も魔族も、ありとあらゆる異界の存在が跋扈することはない。だがたった一つだけ世界を滅ぼそうとする怪物がいる。それが《堕天》である。
唐突に月の傍らで地上を見下ろす眼だけになった《極光》は口もないのに囁き掛けるとされる。
その声に誘われ、力を欲したとき――人類は怪物に変えられると言われている。
《堕天》になった者しかその声は解らない。だからこそどんな言葉を囁かれるのかは変異する人類にしかわからない。
「さて、その中で最も危険だとされる《堕天》は何と呼ばれている?」
そして中央で胎動する巨大な繭の中から勢いよく突き破る二本の腕。そのままこの世に生まれるために必死にもがきながら、その身を乗り出してくる。
「これは――…………」
繭の中から姿を現したそれをイズクが見上げれば、これまで見て来た《堕天》とは遥かに異質な形をしている。そもそも規格外すぎるその大きさに息を呑んだ。
「君がこの場所で《蓋》をしていた三年後に現われた《堕天》だよ。これは本当に倒すのに骨が折れたよ」
そう言ってわざとらしくクロウディアが肩を落としているが、当然イズクは《魔女》として《赫黒》の瘴気を一身に受け止めさせられていたから知る由もない。
だがその姿はまるで竜のように見えた。巨大な二つの翼。何もかもを噛み砕かんとする顎と切り裂くであろう鋭い爪。
しかしまるで腐り果てた死臭を放つ死肉のまま動くそれはもはや幻想の向こうにいる《七虹》には程遠い。
「この《堕天》を倒すのには結構な犠牲を払ってね……《第7終止符》なんかじゃ比にならないほどの災厄だったさ」
そしてクロウディアは大袈裟に右手は五本の指を、左手で三本の指を立てて言う。
「だからこの《堕天》を《第∞終止符》に指定した。倒すことが出来たことが奇跡だった――でも、これで二度目の出現だ」
《第∞終止符》――イズクが《聖女》をしていた時ですら一度しか遭遇しなかった《堕天》の中で最も危険な階級であった《第7終止符》を超える特異点。
「最初の一体目は、あれか」
それが瘴気を撒きながらただ動き回る《赫黒》――しかしあれは《堕天》ではない。
本来ならば人類史の守護者だというのに人類の目にはあの竜は怪物として扱われてしまっている。なんとも不憫だ。
そして人類を襲うとなればそれだけで容赦なく《堕天》に分類された《赫黒》は最初の《第∞終止符》と指定し、最終的には《一桁位》によって倒すことは出来た。
そしてそれと同時にそのときにイズクがその怪物を世に放ったとされた。
「そうさ。でもあれをどうやって倒したか、憶えているかな?」
そうだ――最初の《一桁位》の犠牲者は《第五位》だった。ずっと復讐のことばかりを考えていた。
しかし、元よりイズクが復讐すべき相手の中に《第五位》だけは含まれていない。何せもうこの世にいないのだから。
「あの忌々しいバケモノはさ……ボクの妹の《奇跡》で自ら命を捧げて倒したよな」
もはや死んだ者の《奇跡》がなんだったかイズクにとっても些末でしかない。しかし、思えばそこが始まりだったのかもしれない。
《蓋》にされ瘴気を浴び続け、殺され続けたせいでイズクはその頃の記憶が曖昧になっていた。しかしクロウディアとの邂逅が、会話が、あの頃の記憶を少しずつ蘇らせていく。
このエルディメ山脈まで追い詰めることが出来たが、瘴気の前に暴走する《赫黒》と倒すまでには至らなかった。
だが、その結末は《第五位》だったクロウディアの妹であったアリシェリア・アルカナ・ルンセントの《奇跡》によって討伐できた。
「クロウディアが《薬》ならば、《第五位》は《浄》だったな……」
イズクも知っている。妹のアリシェリアの《奇跡》を。
《第五位》が持つ《奇跡》は《化わりし浄》》だった――姉であるクロウディアが人を救うなら、妹のアリシェリアは《堕天》を救う《奇跡》だった。
クロウディアが直接、注射針を刺さなくてはならない欠点と同じくアリシェリアも直接対象に触れなければならない欠点があったがそれが決まれば――如何なる命も浄化する。
まさに接触すれば確殺できる最強であった《奇跡》だ。しかし彼女自身はただの人間と変わりない。だからこそ直接触れることが身体能力の低いアリシェリアには困難を極めた。
そこはクロウディアも同じであったが、他の《聖女》と比べてあまりにも小さすぎる矮躯のせいで、姉妹だったそうだが双子に見えるほどだった。
だがそれでも世界を救済するために瘴気に触れ、それすらも浄化しながら――アリシェリアは腐れた竜の命を浄化した。
だが手に触れる前に瘴気を浴びたアリシェリアは同時に絶命。何一つ言葉を残すことなく遺体も残らずこの世から消えた亡くなった。
そうだった。
それと同時に、振り返って――イズクを見て、クロウディアは何と言ったか――
「お前はいいよなぁ。死なないんだから……アリシェリアの代わりに、なんでお前が死ななかった?」
「死なないだけで、私は……アリシェリアのようには――」
終わらないだけのイズクでは、あの時――狂った《赫黒》を止めることは出来なかった。
「ボクの妹の名を呼ぶなッ!」
クロウディアは狂ったようにそのまま髪を掻き毟りながら地団駄を踏む。聞き分けの無い子供のように苛立ちをぶつけてくる。
「そして最も許せないのはその後だ……ボクの妹が死んだのに、死んだのに――」
イズクはその先を知らない。
「アリシェリアは死んだのに、人類はさ……いつも通りだったんだぞ? お前なら、よくわかるだろ!? いちばんわかっているはずだ!!!」
助けに来るのが遅ければ立腹し、助かったところで他の誰かが死ねば非難する。だが、頭を下げていたのはいつもイズクだ。他の《一桁位》が、その人類の声から背を向けていたではないかと。
「なぁ、なんでボクらが……そんなカスを救わなきゃいけない? アリシェリアはそんなカスのために死んだってことか??」
そしてそのままクロウディアの前で翼を広げる竜の形をした何かが咆哮する。
「それで……二体目の《第∞終止符》とやらの死体を使って、滅ぼすか?」
イズクの知らない二体目の《第∞終止符》と呼ばれる《堕天》――そもそも一体目は《堕天》ではないのだが訂正するのも鬱陶しいのでイズクは黙っているが。
《堕天》の死体を操作できる方法を確立したクロウディアはもはや如何なる階級の《堕天》を操ることが出来るようだった。これまでの道中で幾度となく現われたリフレインという死体を傀儡としイズクに向けて来た。
だがこれまでのリフレインと呼ばれる死骸の駒とは遥かに違う。今までは本当に肉団子のように丸くなった原形のないあまりにも酷い見た目をしていた。
しかしこれはどうだ――腐り果てているものの竜のような形を整えたまま剥き出しの骨も見えてはいるが、これまでの目も伏せたくなるような無様さを見ればその状態は最もまともであった。
「《奇跡》が使えるからなんだ……何もかも《聖女》に押し付けるな」
クロウディアの言っていることはイズクも理解できる。イズクが《聖女》と呼ばれていたとき、《一桁位》として《聖女》はたった六人しかいなかった。
今ではもう百を超える《聖女》が存在しているが、あの頃は《聖女》は神の使いの如き象徴だった。突如として人類史を襲う《堕天》と呼ばれる怪物に唯一対抗できる《奇跡》の使い手。
人類は恐怖と不安から逃れる為に六人の《聖女》に全てを押し付けた。だから負の感情を抱けば、そんな救済を求めるべき相手に要らぬ言葉を投げ掛けたこともある。
その言葉を最も受けていたのは《第六位》なのだが。
「ならボクが押し付けてやる。人類を全部平らにしてやる」
そしてクロウディアが手を伸ばせば、
「ボクの《奇跡》の全てと人生の全てを賭けて作ったんだ。とりあえずまずは、そうだな……でも、やっぱキミを壊してからにするよ」
そして巨大な竜の形をした《堕天》の死骸がイズクの前へ一歩を踏み出した。
「……じゃあ人類だけを壊してくれ。私から全てを奪った意味は、どこにある?」
イズクもまたクロウディアたちのように《一桁位》だった。《魔女》と呼ばれる言われもない。それなのに家族を殺された。イズクにも妹がいた――名前は――
「そうする必要があったからさ。悪いことをしたヤツは、罰しないといけなかった」
ああ、お前は――と、イズクは、把握した。
クロウディアという《第四位》の本質を。
「……お前、本当は――――」
言いかけたその時、クロウディアの表情がこれまででいちばん歪んで醜悪に見えた。
「誰もキミのことだって覚えようとはしなかったろう? 今から人類殺して回るからさ、復讐はその後にしてくれない?」
なんておぞましいことをまるで今から買物に行くようなそんな軽さでクロウディアは言う。
「お前を殺して、ルリリルを連れて帰る……私の願いはそれだけだ」
しかしイズクの意志は変わりなく、どんな障害が立ち塞がってもその先の結末は変わらない。
「そう……じゃあ《リ・オニペ》――まずはこの目の前の《第六位》を静かにさせよっか」
そしてリ・オニペと名付けられた竜の形をした怪物がクロウディアの命令を受け、イズクを見下ろしている。だが唐突に竜――《リ・オニペ》が自らの首の下から胸板辺りに両腕を突き刺して、乱暴に肉を裂きながら捲り上げる。
「あの猫の亜人を連れて帰るんだろ? それならすぐに会わせてあげるよ」
イズクはクロウディアが何を言っているのかわからなかった。ルリリルの姿はどこにも無い。しかし、目を凝らして裂いた肉の中身を覗き込めば、
「………………そんな――」
「感動の再会だよ。喜んでくれよ……イズク・フォーリンゲイン」
そこには……ルリリルが――無数の血管のようなものに全身を蝕まれながら、四肢を《堕天》の肉に拘束されまま同化し繋がれていたのだった。




