3/邂逅:鎧の廻廊《アデメルドウワン》にて(3)
「つ、ついた……」
聖女たちのパーティに強制的に離脱させられ、道に迷い、怪物に追われてそのまま終わるはずだった未来は変化し、まさか無傷で最深部まで到着できるとは思わなかった。
最深部に到達し、終点の部屋に続く扉が見える――あたかも何かありますよと言わんばかりのわかりやすい装飾がされた大きな扉。
しかしルリリルは扉の中へ入ることを躊躇する。廻廊の難易度が上がれば上がるほど決まって強大な《堕天》が居座っていることがある。
「アナタ、生きてましたの?」
そこでまさかのロレイメリアたちが遅れて現われた。二つに分かれた道の片割れ、正しい道を進んだはずの聖女パーティよりも早く到着してしまったのは失敗だった。
「アナタのせいでまた一人途中で死にましたけど?」
よく見れば残り四人いたはずの探求者も今はもう三人になっている。どうやら途中でまたも敵と遭遇し、殺されてしまったのだろう。
それでもロレイメリアは飄々とした態度でいるが残りの探求者は悔恨の念を浮かべている。仲間が死んでいるのだから無理もない。
「聖女のために死んだのですからあの世で救われますよ。だけど――――」
目の前にロレイメリアがルリリルの前に立ち塞がり、前髪を強く引っ張られる。
「い、いだっ…………」
「お前のせいで死んだようなものですよ。……救われませんね、獣なんて」
ルリリルが探求者の死の原因になっているわけではない。ルリリルが呼び寄せたわけでもない。
しかもロレイメリアの奇跡によって無理やり戦わされて死んだ者もいる。聖女の行いとはとても思えない。
「ねぇ、アナタ……これが最後のチャンスですわよ。中に入って様子を見てきなさい」
「そ、そんな…………」
両耳からはしっかりとこの扉の向こう側にとてつもない脅威が鎮座していることがわかる。戦う力も無いルリリルが中に入ったところで何かできるわけもない。
「ほら、はやくなさい……アナタの後をワタシたちがついて行きますから」
ルリリルに選択権はなかった。探求者の一人が扉を既に半分開け、そのままもう一人に両肩を押さえつけられたまま扉の前まで強制される。
そして、誰に蹴り飛ばされたのかわからぬままルリリルは扉の中へ押し込まれた。
「や、やだ……やだぁ……」
扉の隙間から漏れる光だけが灯火だった。そしてゆっくりと扉が閉められる。最後にロルリメリアの視線が合ったとき、
「役に立たないなら、死んで救われなさい」
それが聖女の言うことか――
世界を救うために戦う者が聖女だと言うのなら、なぜ他の誰かを貶めるのだろうか。亜人であるという理由だけでこの身体が猫の毛に覆われているというだけで粗末にされてしまのだろうか。
(……暗い)
部屋の光は失われている。暗くてよく見えない。しかし目を凝らせばうっすらと祭壇のような台がいちばん奥に見える。
神聖とは程遠い、狂気が内部に広がっている。これまで以上の異臭が充満し気をしっかり持たないと気絶してしまいそうだった。
ピチャリと滴り落ちる音がする。一歩進むことがなんとも恐ろしい。両耳に届くおぞましい醜悪な音を聞き取るだけで全身が怖気づく。
そして闇黒だった部屋がまるで意思を持っているかのように火の灯っていない蝋燭全てに灯りが点いた。
「そんな……」
祭壇のような台の上に赤く染まった肉が山積みにされいる。その前に鎮座する巨大な牛の頭をした怪物が立っている。
「……喰って、る?」
その怪物がルリリルの矮躯よりも遥か巨大な手で肉を掴むとそのまま無造作に口の中に放り込んで食い潰している。
その猟奇すぎる光景にルリリルは口元を手で隠し、今にも嘔吐しそうになる。なんとか堪えているが、それよりもその怪物の姿を前にルリリルは全てを思い出す。
「なんで、あれは……」
完全に光に照らされたことによって怪物の容姿がはっきりと見える。
頭は確かに牛のようだが、顎から腹部まで裂けて広がる口。全身が雪のように白いせいで頭から被った鮮血のせいで何処までが肌の色かもう解らない。
しかしそれよりもその怪物の姿はルリリルの記憶にはっきりと刻まれている。
ルリリルの村を襲い、仲間を両親を何もかもを殺し尽くし命からがら逃げたのはルリリルだけだった。結局……都市まで逃げ果せても奴隷商人に捕まって、聖女に売り飛ばされてしまったわけだが――
「うそ、うそ……なんで、なんでこんなところに、いるの……」
戦慄するルリリルに気付いた怪物が口を開いたまま嗤い出す。目の前に転がる餌を前にけたけたと嗤い、それがなんであれどんな肉であれ褒め称えるように手を叩く。
獲物に対してひたすらに酷く一方的に嗤いながら腹まで裂けた顎を開き、詰めるだけ肉を詰めては噛み続ける――故に《ヘイルバイト》と呼ばれている。
ルリリルから全てを奪い、地獄に放り込んだ元凶たる《堕天》。その巨体がどうしてこんな廻廊に潜んでいるのかはルリリルにはわからない。
そして他の探求者たちもまたこれまでの人型の《堕天》とは違う規格外の怪物を前に竦み上がっていた。
「どうしてこんなところに《第6終止符》がいるんだよッ!!!!」
探求者の一人が声を振り絞り喚き散らかす。その姿は落胆し、失意のまま今すぐに出だしてしまいそう。
《終止符》は堕天に設定されている危険度の階級である。
《第1終止符》から《第7終止符》までの階級で分けられ、数字が一番低い階級の《堕天》である生屍であったとしてもA級の探求者であろうがその数の暴力の前に呆気なく殺される。
そして数字が最も高くなれば聖女を複数人揃えなければ倒すことは難しい。その上もあるが、それはもう人類史を終わらせる存在であり、あまりにも危険な存在が故に情報を隠匿されている。
《ヘイルバイト》の危険度はあまりにも高い。《第6終止符》は聖女も単身で相手をするのは厳しい。聖女も数人は必要だ。
A級の探求者のパーティが遭遇した場合は逃走を選ぶのが妥当だ。S級のパーティであっても聖女無しでは絶対に敵わない。しかし今は堕天の危険度のことよりも、廻廊の最深部に危険度の高い《堕天》がいるのかが問題だ。
廻廊が何の為に作られたのか、誰が建造したのかわからない。突然、生えて出てきたと言ってもいい。だが一つだけわかることがある。
「これは……《堕天》の餌場って、ことなの……?」
ロレイメリアも死肉が積まれている惨状を前に理解する。ここまで辿り着いた探求者たちの亡骸か最早原形もわからない。
《堕天》に言葉を喋る知能はないが、考えて答えを出せる知性はある。獣と変わらぬ怪物ならば闇雲に暴れまわるだけのはず。
しかし廻廊の最深部で探求者が来るのを待っているのは、自分から動かずとも餌がやって来るのだから効率が良い。
各地の廻廊の最深部には決まって《堕天》が待ち構えている。難易度の低い廻廊は簡単に踏破できる。探求者たちはそれで自信に繋がるだろう。
聖女らは更に使命に燃えることだろう。だが、その上の更なる高難度の廻廊の奥底で待つ《堕天》は選ばれた者でなければ倒せないほどにおぞましい強さを誇っている。
「あ、ああ……」
ルリリルはヘイルバイトを前に脳裏に浮かぶ両親を食い潰し、村の人々を残らず口内へ詰め込んでいくあのおぞましい光景がフラッシュバックして何も出来ずにその場に倒れ込んで動けない。
だがヘイルバイトは嗤うことを止めず、ルリリルはその大きすぎる手の甲で小蠅を払い除けるように振り払うとそのまま扉の近くまで吹き飛ばされ、気付けば壁に打ち付けられ全身が砕けてしまいそうな痛みに気を失いそうになる。
なんとか意識は保っているが、痛みと恐怖が完全にルリリルの行動を停止させた。もう、動けない。
「……役立たずが」
囮にすらならないルリリルの不出来を呪うようにロレイメリアは舌打ちをし、残りの探求者に時間を稼ぐよう伝える。
しかしA級探求者がたった三人でヘイルバイトを相手にするのは圧倒的力の差がある。
案の定、探求者らはロレイメリアの命令に反し入ってきた扉から出て行こうと逃げようとするのだが――扉はまるで溶接されたかのようにびくともしない。
そのまま振り返ったころにはヘイルバイトが近くにあった瓦礫を投擲し、そのまま潰れて息絶えた。
そして今もなお嗤いながらヘイルバイトはロレイメリアと探求者二人に狙いを絞っている。餌がここまでやって来たのだ。順番に噛み喰らうつもりでいる。
探求者の一人が《焦がす炎の奇跡》を発動した。炎の壁を前方に展開しヘイルバイトが触れたと同時にその体躯は燃焼する。
そのまま全身を包むように火炎がヘイルバイトを焼き尽す。効いている――それは希望の炎にだった。
「へ?」
だがヘイルバイトはその身が焼けた程度では立ち止まらない。そして燃え尽きることなく巨岩は迫り続けている。探求者は情けない声を上げたのが最期だった。
――炎を喰っている。
燃え広がっていたはずのヘイルバイトの身体の炎が全て縦に割けた大口の中へと吸い込まれて、何も無かったように静まりながら消えていた。
それと同時に探求者は踏み潰されて圧死した。そのまま平らになった肉を一つまみして口の中へ詰め込んでいた。
そして残りの探求者の一人が《奇跡》を発動しようと構えたころには、既にもう林檎を砕くように素っ気なく破砕されていた。肉と骨がへしゃげて原形なく潰れている。
こうして聖女を囲っていた探求者パーティは全滅した。残りはロレイメリアだけである。しかし彼女の顔にまだ翳りは見えない。
自身が持つ《奇跡》の強大さを信じているからだ。この程度なんてことはない。《第九十三位》を冠する二桁位の聖女――負けるはずがない。
「どいつもこいつも使えない木偶ばかり……まぁここまで連れて来れただけマシと思うべきね」
ヘイルバイトはまだ飢えたままだ。裂けた腹の口から無数の牙がワナワナと揺れ動き、次の食事を再開しようとロレイメリアに狙いを定めた。
だがロレイメリアは両手を組み、祈りを開始する。どんな存在であれロレイメリアの《奇跡》が発動すれば――
「……自分の首を捩じり、死になさい」
それが《第九十三位》である聖女ロレイメリアの《奇跡》――《詛りし呪》。
それが生きている者ならば何であれ一体を必ずロレイメリアの言葉によって意のままに出来る呪言の《奇跡》だ。
生屍のように複数で襲い掛かってくるタイプには一体操ったところで効果が薄いが、一体で行動する大型の《堕天》には覿面だろう。
ロレイメリアはこれまでの功績で町に現われた《第3終止符》の一つ目の巨人もたった一言の命令で倒したし、他の廻廊に潜っては最深部にいた《第5終止符》の大蜘蛛も自傷させて容易に撃退できた。
だからこそロレイメリアは自分の力を信じている。この力は全てを救える。自分こそがあの『一桁位』に匹敵する至高の《聖女》なのだと。
そう、信じていた――




