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18/想起:第一聖女都市近辺《ウルリエ村》で(6)

 ルリリルは理解していた。


 逃げ切れるわけがないと――肩に刺さったダガーを引き抜いたときに察していた。


 滴る血が道を作っている。それを辿ればやがて追い付かれる。だから出来るだけ遠く、遠くと森の中へと逃げ込んでいく。大きな木を背に身体を丸めて屈んでも、どうせいつかは見つかってしまう。

 

 ()()()――ルリリルは、自分の思想が諦めに寄っているのを感じていた。


 背後から迫る暴力から逃げる。


 その暴力から逃げ切れず捕まる。


 そして何もせず、何もできぬまま全てを受け入れてしまう。


 諦めが(ひと)を殺す。未来は閉ざされる。


 だけど《本物》の《聖女》と出会って、自分で選んで、《聖女(イズク)》も選んでくれた。


 それでもイズクのような力も持たない。戦う術を持たない。肩にダガーが刺さっただけで心が折れかける。しかしその度にルリリルはイズクとの交わした言葉を思い出す。


 支えると言ったはずだ、と。


 なんとしても生き残らなければ――耐えれば、耐えれば――きっと《聖女》さまが、と。


「聞こえてるかぁ? 亜人のガキぃ……」


 ルリリルの耳にしっかりと聞こえる狂鬼の声。怒りと苛立ちに塗れた声が暗い森に木霊す。耳を塞いで今すぐ小さく消えてなくなりたい。それでもそんなことをしてしまえば捕まってしまう。


 音が少しずつ大きくなっていく。


 どれだけ離れていてもルリリルの《奇跡》は聴覚だけを強化してしまう。意識していなくとも、恐怖が――生きようとする意志が《奇跡》の使用を強制させる。


 《奇跡》は祈らなくては使えないのではないのか。


 ルリリルの《奇跡》はせいぜい聴覚を強化するだけだが、祈らずとも意識するだけで発動してしまう。


 音で全てを探知し、壁の向こうであったとしても、草木で見えずとも、如何なる状況であろうともおぼろげに頭の中で輪郭が浮かびあがるほどに全てを把握できる。


 今もそう、百メートルは離れているであろう聖女騎士の姿が輪郭のようにぼやけてはいるがはっきりと見える。


 男はただ闇雲に辺り散らかすように短剣を振り回しながら、肩口に備えたダガーを一本引き抜いて無造作に放り投げている。


(なに、これ……なんで……()()()()()


 男が放ったダガーは確かに一本だ。


 だがそのまま祈れば、一本だったダガーが複数に分裂し周囲の木々に突き刺さっている。どこに隠れていようとも数を増すダガーを雨のように降らせればいつかルリリルに当たる。そう思っているのだろうか。


 ルリリルの肩口に刺さったのもこのダガーだった。一本しか投げ放っていないはずのダガーが複数に散らばりながら飛んでいた。


 《増える刃の奇跡》――文字通り、投擲した刃を分散させる《奇跡》――だが質量が大きければ大きいほど分裂する数は減る。よってダガーのように小さな刃が最も効果的である。


 通り過ぎていく刃の雨に、ルリリルの足は震えていた。このままじっとしていたらいつかこの雨に打たれて死んでしまう。


「…………に、にげないと」


 ルリリルは音が消えるのを待つ。


 ただ聖女騎士は狙いを定めることなくばら撒くように撃ち続ける。ならば音が止まったと同時に動けば――


 そしてピタリと、音が止んだと同時にルリリルは隠れていた草木から身を乗り出すのだが、


「動くんじゃねえ」

「あ……………………」


 ルリリルの目の前にはすでに聖女騎士が立っていた。どれだけルリリルが音で判断できたとしても、体の作りが根本的に違う。既に距離は詰められていた。わざとらしく物音を立てながらルリリルが動くのを待っていただけだ。


 そしてルリリルが草木の影から飛び出したのを確認したと同時に接近。滑稽なほどにルリリルは相手の術中に嵌ってしまったのだった。


「こっちを向け」


 足元にダガーが刺さり、少しでもおかしな真似をすれば額にその凶刃が刺さるということを意味している。ルリリルは言うとおりにゆっくりと振り向いたが、


「――――――がっ?」


 気が付いたころにはルリリルは地面に転がっていた。わけがわからずただ腹部に奔った衝撃が呼吸を遮る。ただ聖女騎士は真っ直ぐとルリルルの小さな身体を蹴り抜いていたのだ。


「オレの名前はボルニカ・クルスゲイ。殺される人間の名前を憶えて死ねるんだぜ。さっさと光栄に思え」


 ならば光栄という言葉の意味を辞書で引き直せ――と、ルリリルは言いたかったが口を噤んだ。だが言葉に出さなくとも、ルリリルの視線は反抗的なものだというのは聖女騎士……いやボルニカも解ったのだろう。


 そのまま再度ボルニカは球を蹴り飛ばすような勢いでルリリルを足蹴にした。


「オレはいつか第四聖女騎士の隊長になる。そのために《第四位》サマのご機嫌は取る……だがなぁ、オマエはだめだ」


 《第四位》の聖女騎士である隊長になれば今よりも好き勝手に出来るということをボルニカは知っている。現に《第四位》が亜人を攫えというおぞましいことを命令してる時点でその下に就く者たちも暴虐に手を染めることだろう。


 しかしこれまでの道程でボルニカはルリリルに反発した。それがいけなかった。ただ一重に殺すなど味気ない。ボルニカはただこの(わだかま)りを取り除きたい。


 亜人が盾突くことなどあってはならない。所詮は行きつく先が奴隷でしかない矮小が抗ったことが気に入らない。


「どうしてやろうかな? このダガーでハリネズミみてぇになるまで刺し続けてみるのもおもしれぇか」


 気味の悪い笑みを零しながら、肩口や胸に備わっているダガーを引き抜けばクルクルと回転させながら刃先をルリリルの鼻先にまで近づける。


 ルリリルの矮躯では体重を乗せたボルニカの足を退けることはできない。腹部が潰れるほどの力で踏み抜かれルリリルは息が出来ずにいた。


「お前を殺したあとは……そうだな、あの《色無し》もいっしょにしてやるよ」


 そして舌なめずりをしたままボルニカは、


「見た目はいいのにな。《色無し》なんてもったいねぇぜ……そうだ、黙らせて好きに()()()()()()()()()()


 ルリリルはただ強くボルニカを睨みつけることしかできなかった。許せない。きっとイズクはこんな男に負けるわけがない。それでもそんな醜悪を露わにする怪物のような心を持つ人間に対してルリリルは拒絶する。


「そもそもあれが《聖女》なわけねぇだろ。《色無し》は《奇跡》を持たねぇんだからよ」


 誰も彼女(イズク)のことを知らない。


 誰も彼女(イズク)のことを知ろうとしない。


 自分(ルリリル)のことならいい。ここで殺すならそうすればいい。でもこの屑は彼女(イズク)を殺すといった。それだけは赦せるわけがない。


「――――――――――――――――い」


 これまでも、いつまでも、そんな言葉を口にすることは出来なかった。しかしあの邂逅が、イズクと出逢った奇跡がルリリルを少しずつ変えていたのだ。


 選ぶことを止め、何もかも受け入れ、変わることもせず、奴隷として、道具として、生かされているという事実だけを呑んで諦めていたルリリルは――死んでしまっても、イズクの手によって再びこの世界に生きることを許された。


 いっしょに生きることを許してくれた。


 そんな素敵な聖女(ヒト)に、おぞましい言葉を向けるな。


「させ、ない……そんなこと……ぜったいに!」


 汚れ、傷つき、絶望的なこの状況でルリリルは自分のためではなく《聖女(イズク)》のために戦うと誓う。独りでは到底、到達できなかったこの答え。


「させない? ハハ、おまえが?? どうやって???」


 そのまま馬鹿にしてボルニカは足を離した。


 そのとき、だった。


 両手は地をつき、押し出す。そのまま一気に後方へ一回転しながらボルニカとの距離を空ける。黒猫の亜人であるルリリルの柔軟な身体は人族よりもよく動く。だがルリリル自身も正直驚いていた。


 思ったとおりに身体が動く。


 いや、――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 今まで自分から動こうとしなかった。だから、気が付かなかった。ルリリルは自分の身体がこんなにも軽いことを知らなかった。


 今まで自分で自分のことを信じて生きて来なかった。だがルリリルは――リルリの民だ。《奇跡》を持たずとも、《堕天》に勇敢に立ち向かう心と――強大な敵をも打ち倒す武闘の才を持ち、しかし決して称賛されることもなく、功績を残したわけでもなく。


 だがリルリの民は間違いなく――生きる為に命を奪って来た。ルリリルは知らない。だがこの身に流れる血が憶えている。


 敵を殺せ――守るべき者のために殺せ。


 狩りで命を殺し、その命を食べることで生を繋いで来た。


 狩人の血。


 だがルリリルは父や母に武器を持たされたこともなければ、獲物を狩りに連れて貰ったことはない。経験は無い。だからできるわけがないと思った。でも、それでも、いま眼前にいるこの男は敵だ。


 《第六位》に仇名すものは――リルリの民の敵だ。


 《第六位》がいなければルリリルは生まれ来なかった。


 《第六位》は本物の《聖女》なのだ。


 人であろうが、亜人であろうが、見境なく救おうとする真の救い手。それを裏切り、蔑ろにした人類史など死にさらせ。


 そうだ。


「そうだ……」


 ルリリルは目を見開いたまま両手で顔を隠して、


「そうだよ、そうだ……そうだった……わたし……聖女さまが、わたしのすべてなんだ――」


 これから、この先、もう、何があってもルリリルの未来にイズクがいない未来があり得ないのだから。それを奪おうとする者。それを殺そうとする者。


 そんな者は、要らない。


 自分には何もないと思って生きてきたから、奴隷にされて、道具にされて、お前はこの世界に不要だと告げられることでルリリルは自身の価値を見出せなかった。


 だから、この身に流れる血すらなんなのかわからずにいた。過去の記憶すら忘却していた。


 しかしイズクのことを思い浮かべて、《聖女》である《第六位》のことを思想すれば――全ての答えに辿り着く。


 ルリリルは、遂に到着した。


 守られてばかりでは駄目だ。


 戦わなければならない。


 自分が支えになる。


 盾になる――そう、聖女の盾になる。


「なんだこいつ……もういい、さっさと死ね」


 ボルニカがダガーを放つ。


 そして最速で祈りの挙動を行うことでダガーは合わせ鏡に映るかのように二本、三本と、増えに増え、ルリリルに目掛けて目にもとまらぬ速さで狙撃された。


 だが、ルリリルは瞬き一つせず身を翻しながらダガーとダガーの合間を潜り抜けていく。一本としてルリリルの身を傷つけることなく、ルリリルは自身の肩の傷口に触れ、未だ流れる血を指先で掬い舐めとっている。


「曲芸みてぇなことしやがって……」


 唐突に中身が入れ替わったかのように動き回り、怯えては震えて今にも泣きだしそうだったルリリルはもう何処にもいない。


 そして一度、二度とぴょんぴょんっとその場で小さく跳ねながら、


「私はリルリの民――ルリリル・リルリ」


 その身にリルリの血が流れる最後の一人。


 イズクのことを知らぬなら、誰もが亜人の血など知る由もない。だが、それを知らぬ貴様らが悪い。


「《第六位(せいじょさま)》に仇名すなら……わたしが、狩る――」


 知識も、経験も――ルリリルには無い。


 だがこの身に流れる血が、自分ではなく《聖女》に意識を向け続けた結果――開放される。


 誰も黒猫の亜人のことなど知らぬ。


 なら、知らぬまま、死んで逝け――


 ルリリル・リルリは《奇跡》ではなく今ここで《才能》を開花させた。《奇跡》を持たぬ者は《堕天》を殺せない。しかし《人》を殺せる才が、確かにここで開花した。 


 それは《聖女》も人ならば、殺せるということだ。


 そしてイズクはまだ知らない――この小さな少女が《聖女》を殺せるという復讐の力を間接的に手に入れたことを。

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