15/想起:第一聖女都市近辺《ウルリエ村》で(3)
「ルリリルは……リルリの民――なんだよね?」
温泉から上がり、部屋に戻ったイズクとルリリルは火照った身体を冷ますようにお互いに水を呑みながらゆっくりとくつろいでいた。
「はい。それが、どうかしましたか?」
「うん……ルリリルに初めて会って名前を聞いたとき、ちょっと気になって――――」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ルリリルが生まれる前に、イズクの記憶の中では一度リルリの民が《堕天》に襲われたときに助けに行った記憶がある。それは確かな記憶だった。
人族の町と亜人の村が同時に《堕天》に襲われたと通達があった。ルリリルがこの世に生まれるかどうかの運命の分岐点はまさにここだった。
イズクが《聖女》パーティにいた頃はまだ廻廊は存在せず《堕天》は各地に野良で彷徨っていることが殆どだった。
常に後手に回され、気付いたところで遠い場所なら手遅れになることが当たり前だった。だが気付くことが出来れば間に合う理由があったのだ。
当時はまだ《聖女》は六人しか存在しなかった。だが《奇跡》という異能そのものは人族ならば選ばれた者ならば誰であれ発現できた。《奇跡》の特性が強大である者が女性であり《聖女》と呼ばれていただけである。
そして《第一聖女都市》に所属していた《聖女》に仕える者の中に《堕天》の発生を認知できる《奇跡》の使い手がいた。
おかげで《堕天》が活動すればどれだけ遠い場所であっても把握でき、瞬間で複数人を移動させれる《奇跡》の使い手が《聖女》パーティの中にいたからだ。
だからこそ《堕天》の発生と場所さえわかれば《聖女》たちは人々を救済することが出来る。そして《堕天》が人族の町とルリリルが生まれるであろう村の二か所に現われたとき《聖女》らは前者を救いに行くと言ったのだ。
現われたのは《第7終止符》という討伐しなければ世界の崩壊は免れない脅威だった。
そしてルリリルの村は《第6終止符》だったイズクとルリリルが鎧の廻廊で出会ったあのヘイルバイト。この頃からヘイルバイトは数体確認されていたが《一桁位》の《聖女》たちの敵ではなかった。
しかし《聖女》らが《奇跡》すら使えぬ亜人の村を救うことに意味はないと一方的に切り捨てた。
ルリリルの村は《第一聖女都市》から少し離れた森の近くにあった。それでも走ったところで三時間近く掛かる距離だった。
死なないだけの《奇跡》しか持たないイズクはそれ以外は当時まだ成人したばかりの女でしかない。常に走り続けられる体力があるわけもなく、到着するのはそれ以上の時間が掛かってしまうかもしれない。
それだけの時間を掛けて向かったところで到底間に合うはずもない。それでも、イズクはルリリルの村へ向かったのだ。
あのとき初めて他の《聖女》に反抗したのかもしれない。それまでは《聖女》パーティとして人々を救済するために共に戦っていた。
しかし亜人に対しての差別的な振る舞いや、挙句には二者択一では容赦の無い人族だけを救う選択に疑心があった。
イズク自身に出来ることはない。せいぜい《終わら不》の《奇跡》によって死なないだけの所詮は囮でしかない。
《一桁位》と呼ぶには他者を救うには力そのものが他の《聖女》より劣っているのは理解している。そして傷や病も癒せないし、施しを与えるような神々しさ溢れる《奇跡》ですらない。
他の《聖女》には役立たずの烙印を捺されていた。だから何を言ってもイズクに賛同する者はいなかった。
それでも人も亜人も救える《奇跡》を持っていながら選ぶようなことばかりする《聖女》にうんざりしていたのも事実だった。
思えばこれが《一桁位》の《聖女》たちとの決別の始まりだったのかもしれない。
それでもイズクは後悔していない。
手遅れと解っていてもイズクは単身でルリリルが生まれるであろう村へ向かった。《聖女》を護る騎士すらいない。イズクは本当にたった独りで村へ向かっただけだ。
辿り着いたところで《堕天》を倒せる力は無いし、それを退ける《奇跡》ですらない。誰一人救えないとわかっていても諦められなかった。
だがイズクの選択は間違っていなかった。
リルリの民は戦っていたのだ。
ルリリルが生まれることが出来たのはイズクのおかげではない。イズクはそう思っている――何故なら、諦めず戦い続けていたから。
襲い掛かる《堕天》の群れに武器を取り、《奇跡》は持たずとも誇りは捨てず戦うことを止めない。亜人であるが故に《聖女》らは来ないと悟っていたのだろうか。
だがイズクは村の中でいちばん大きな家へ向かえば戦えぬ者たちが立てこもっている。その中に腹部が膨らんだ女性がいた。そしてそれを護るように武器を持つ男性。
イズクは自身を《第六位》の《聖女》だと告げ、亜人たちは信じられないような顔でイズクを見ていた。そして続けて他の《聖女》は来ないと告げれば憤懣やるかたないことだろう。激怒して何を言われても全て受け入れるつもりだった。
「リルリの民は、決してあなたのを救済いを忘れはしません――我が子にも語り継ぎます」
生き残っていたリルリの民たちはイズクに感謝した。イズクもまたそんなことを言われると思っていなかった。
きっとそれが《魔女》と呼ばれる前の《聖女》だった頃の最初で最後に受けた感謝の言葉だったのかもしれない。
そしてイズクは《堕天》を引き受けるため囮になり、リルリの民たちを逃がした。繋がりはこの瞬間だけだった。
イズクはただ《堕天》の攻撃を受けているだけだった。死に至る一撃を何度受けても立ち上がる。破壊衝動をたった一人で受け止め続ける。
リルリの民はついに逃げ果せる。
《第六位》の《聖女》が――未来を紡いだ。そしてリルリルはこの世に生を成した。
結局これの顛末は後から来た他の《一桁位》の《聖女》たちによって鎮圧されている。
人族の町を救済したあとに、亜人の村に来てくれたのは別に亜人を救うためではなく《堕天》がそのまま《聖女都市》に向かって襲い掛かって来られるのは面倒だからという――その程度の慈悲だ。
イズクは一人では何もできなかった。戦う力はイズクにはなかったから。そのまま他の《聖女》らに回収されたことでリルリの民との接点はここで終わってしまう。
これから先、《聖女》らによってイズクはもうリルリの民と関わることもなく世界に棄てられるのだが。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「リルリの民は《奇跡》を持たずとも懸命に生きようと勇敢に戦っていたから……」
「わたしの村は狩りで生計を立ててましたけど、でも別に特別……何かしていたわけじゃないですよ?」
そう言ったルリリルは何か考え込むように口元に手をやって、
「でも、お父さんは……」
両親が死ぬ前、次の誕生日が来たら――伝えたいことがあると言っていた。曖昧な言葉を聞かされてはいた。
子どもの頃のせいでその意味はわからなかった。そして再び現れる《堕天》によってそれを答えを知ることは出来なかった。
《堕天》からルリリルを逃がすために父と母は立ち向かった。そしてルリリルはその瞬間、《奇跡》を発現した。
どれだけ離れても、小さくなっていく父と母の姿を前に、聴覚だけが異常に発達したことで確かに父の声は聞こえたのだ。
――いつか、知ることになる。
と、父は言った。
――やがて、動くことになる。
と、父は言った。
――けれど、気付かなければ始まらない。
と、父は言った。
――お前は、父さんの子だ。きっと、その時がくれば勝手に動き出す。
と、死に間際にそう言っていたことは覚えている。
「……ルリリル? ぼーっとして、だいじょうぶ?」
「あ、ああ……え、えーっと、ごめんなさい。お父さんとお母さんのことを、思い出して――」
その言葉にイズクは沈痛な面持ちのままそっとルリリルの小さな身体を抱き留めていた。
一度だけはルリリルの両親を護ることは出来なかったけれど逃がすことは出来た。しかし二度目はなかった。そのころイズクもまた動けずにいたからだ。
「ルリリル……」
「お父さんは村でもいちばん強くて――」
そして一つずつ思い出すように目を閉じて、ルリリルはイズクに両親のことを話始める。
《奇跡》を持たない亜人は差別される。しかし《奇跡》がなくとも戦える手段を持ち合わせていた。
黒猫の亜人族であったリルリの民は――その種の通り猫のような身のこなしで《奇跡》を使わずとも早く動き、武器を持たせば熟練の騎士のように使いこなせる。
全ての亜人族がそうではないが《奇跡》を持たずとも潜在能力は高い種族が少なからず存在する。リルリの民がそうだった。
だから幾星霜の時の中でも決して滅びることはなく、人族に攫われることなく奴隷になることもなかった。追手は何度も追い返し、《堕天》も脅威度が低ければ打ち倒してきたからだ。
その中でも特に強かったのがルリリルの父だった。だがルリリルは刃物すら持たせてもらったことはないし、父に戦い方の手解きを受けたこともない。父のような才能はない。
ルリリルの身体には確かにリルリの血が流れているが、その潜在能力が覚醒することはなかった。そうでなければ奴隷になることもない。両親を喪った後、孤独になって奴隷商に易々と捕まっているのがいい例だ。
ルリリル・リルリに才能は無い。
勇敢なリルリの血は、既に潰えている。
「わたしが、お父さんみたいに強かったら……わたし――お父さんもお母さんも……まもれたのかなっ……」
しかしルリリルはそのとき生まれていなかったのだから、強かったとしても叶うはずもない。
《堕天》からルリリルを逃がすために、その身を犠牲にして――死ぬ寸前までルリリルの身を案じる母の声と、ルリリルを信じて背中を押す父の声。ずっとその声が耳朶を打っている。忘れることなんてできない。
だけど、奴隷になって――道具にされて、不変を前に全てを諦めて、イズクと出会っていなければいつか来たであろう終わりから目を逸らし生きてしまった。
そしてイズクと出会えたのに、何の役にも立てない自身を呪って――――
「ルリリル」
イズクはルリリルの両頬にそっと両手で触れている。
「あなたはここにいるだけでいいの」
お互いの鼻先が触れるほどに近く、そして真っ直ぐな瞳がルリリルを捉えている。目を逸らすことなど出来ない。眩い光のような言葉がルリリルの心を照らしてくれる。
「それだけで、いいの」
そして微笑み、イズクの額がルリリルの額にコツンと当たる。
「どうして、聖女さまは……わたしにやさしくしてくれるのですか?」
「やさしくされたことなんてなかったからよ」
ルリリルは目を見開いて、イズクを見つめることしかできなかった。だけどイズクは言葉を続ける。
「ルリリルが私を《聖女》だと言ってくれる。《本物》だと信じてくれる。《信者》であると告げてくれる――これ以上、私があなたに求めるなんて……《聖女》失格でしょう?」
と、笑ってみせるイズクを前にルリリルは自分の行いを恥じた。
何のためにルリリルはイズクと共に旅をすると誓ったのか。イズクの過去を夢で見た。
おぞましい目を閉じたくなるような凄惨の数々を前に、支えになりたいと誓ったはずだ。それなのに今は逆だ――信者として不甲斐ない。
「わたし、聖女さまといたいです」
「私もよ。ルリリルといっしょね」
そしてそのままベットに横になって、
「私の旅は……私が生きる限り酷いことばかりよ。それでも、いっしょにいてくれる?」
イズクが目指す先、その果て、黒い感情に塗れたおぞましい旅路。それでもこの瞬間だけは過去の古傷を癒す為に、二人顔を合わせたまま、今だけは痛みも苦しみも置き去りにして目を瞑る。
「聖女さま……なんだか、眠くて……」
「このままで、このままで、いいよ」
一つの寝具に二人は狭いかもしれない。いまはそれでもこの優しさに包まれたくて、ルリリルはギュっとイズクに触れたままルリリルは瞼がそのまま開かれることなく深い眠りに落ちていくのだった。




