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14/想起:第一聖女都市近辺《ウルリエ村》で(2)

 温泉は呆気なく利用できた。


 追加でイズクが金銭を支払っているからだ。男女共同の入れ替え制で時間が限定されているが女性客に時間が変わる時間帯の最初の一時間だけでもと貸し切りにした。


 店主は相変わらず羽振りのいい客であるイズクに腰は低く、やはり金の力に差別意識など無関係だった。


「あ、あの……ほんとうにいいのでしょうか――」


 だがそれでもルリリルはどこか申し訳なさそうに辺りをキョロキョロと見渡しながら浴室で震えている。


「いいの。気にしないで入りなさい」


 イズクは指を鳴らすと、着ていた黒衣が消失し――ルリリルはおそるおそる身に着けている服を脱いで綺麗に畳んでいる。


(せいじょさま……きれい……)


 ルリリルの不安を払拭するためにもイズクが先陣を切るように温泉へと向かう。そんなイズクの白い肌を前にルリリルは惚けているのだが、


(背中に……花のような――紋章?)


 よく見れば背中に六分に咲いた花のような肩甲骨あたりちょうど真ん中――黒い花の紋章が見えた。


「ルリリル? どうしたの??」

「あ、いえ……な、なんでもありません」

「そう? じゃあまずは身体を洗いましょうね」


 身体を洗って湯に浸かるまではルリリルはイズクの見よう見まねで同じようにすることでなんとかなった。初めての体験でわからないことだらけだが、イズクは優しく教えてくれる。


「ふわぁ……これ、とけちゃいますねぇ……」


 そしてついに待ちに待った温泉に浸かったのだが、これまた初めての経験で水浴びしかしたことのないルリリルにとっては至福すぎる瞬間であった。


 熱い水に身体を浸けることなどこれまでの人生で一度もなかった。身体のこりがほぐれて、湯に全身を揉みしだかれているような感覚。つい無意識に表情は恍惚に口元はふにゃりと蕩けているのを見てイズクは笑った。


「気に入ってもらってよかったよ」

「あ~……はいぃ……すごくいいですぅ~……」


 イズクはそのままルリリルの横で腕を組んだまま、


「なにか、見たかい?」

「え……、あ、はい……」


 イズクの言葉にそれまで溶けていたルリリルの表情は堅くなり、


「聖女さまの背中……花のようなその……紋章? ……でしょうか」

「ああ、これ? 今の《聖女》にあるかはわからないけれど《一桁位》の《聖女》には刻まれているようでね。私は背中で……他の――」


 と、言いかけてイズクは言葉を噤む。


 他の《一桁位》の《聖女》は全て敵であるが故の嫌悪。そしてそんな進まぬ顔にルリリルは心苦しくなり、


「ごめんなさい……へんなことを、聞いてしまって……」

「気にしないで。私も……露骨に顔に出てたね。こちらこそごめん」


 ルリリルは気付いていた。イズクの右眼がピクリと何度も痙攣していた。これはイズクが《奇跡》を持った時からある悪癖であり《()わら()》の《奇跡》のせいで死ぬことは無く終わらない。


 しかし痛みや苦しみも他者と同じように感じるのだが、幾度と無く数え切れぬ死を経験しすぎたせいで痛覚に関しては完全に消失してしまった。


 そのせいか感情だけは消えぬようすぐ公にしてしまうのだろう。だからこれまでもすぐに目元を痙攣させて苦虫を嚙み潰すような顔は何度もしている。


 それからは暫く互いに沈黙したまま、イズクは両目を閉じルリリルはイズクから視界を逸らしたまま――それからついルリリルの身体をまじまじと見つめるが、


「……あ」


 なぜ、もっと早く気付かなかったのだろう。


「ん? どうしたの??」


 イズクが首を傾げているのを他所にルリリルがイズクの前に移動していた。そしてそのままイズクに抱き着いていた。ルリリルの目にはイズクのこれまでの《聖女》としての全てが刻まれているのだ。


 初めて温泉に入るときに緊張してよくイズクの身体を見ていなかったのと顔には傷がなかったから気が付かなかった。


 だが身体の至る所に刻まれた火傷のように爛れながら這うように沿った継ぎ接ぎみたいな傷痕が両腕や両脚にも、そして胸を中心に喉、両脇、臍下(せいか)にまで奔った十字の傷痕。


 もし拷問によって与えられた傷ならば(おおよ)そ人は痛みに耐えられず発狂して死に至るだろう。ルリリルが見た夢の中でイズクが再びこの世界に蘇るまでの道程は知っている。残酷がイズクを殺し続けても、イズクはこうして生きてくれている。


 復讐が彼女を生かしているとしても、ルリリルはイズクと巡り会えたのはその想いのおかげ。


「なにか、あった……?」


 イズクはルリリルが悲しそうに見つめる顔にどうしていいかわからず戸惑っている。


「聖女さま、いっぱいそんなに、傷だらけで……それなのにみんなは、どうして……」


 誰よりも早く、誰よりも前へ立って《堕天》の脅威に立ち向かっていた。死なないというだけで死ぬほどの傷を負い続けてきた。それでもイズクは《聖女》であることを止めなかった。


「私も、なんでこんなことしてるんだろうって思ったこともあるんだよ」

「え…………」


 そこで明かされるイズクの本心。


「でも、私が動くのをやめたらいつか……両親や妹の住んでいる町に《堕天》が現れたとき助けてもらえないって……思ったんだ。だから、ね――――」


 《聖女》として選ばれたからには責任が伴う。それがどのような《奇跡》であれ、力を持つ者は世界を救済する為に戦わなくてはならない。


 その責務を放棄した先に、イズクの本当に守りたい人たちを護れない。そう思っていたからずっとずっと傷つきながらも歩いて来れたのだと。


「――なんで、こんなことになっちゃったのかな」


 なのにイズクは何も知らずに裏切られた。


 責任を果たすことなく知らぬ間に奪われた。


 ルリリルの前ではイズクは本心を吐露するに躊躇いはなかった。夢を見たと言われたことでもう隠す意味はないと理解しているからだ。


「ルリリルは……だいじょうぶ?」


 イズクほどの地獄を経験しているわけではないが、それでも同じように両親を喪い、帰るべき村も無くなった。そして独りになって奴隷にされた。


「眠っている間に奴隷の首輪は外したけど……ルリリルは……ずっと、独りだったんだね」


 元々ルリリルの首には奴隷を証明する錆びた銀の首輪が付けられていたが目を醒ましたときに外れていた。


「はい……でもわたしはまだ他の亜人の子たちよりは優遇されてたんです……廻廊(ダンジョン)に潜るようの道具として扱われたので」


 ルリリルの持つ名称すら与えられない聴覚を強化するだけの《奇跡》は《聖女》や《探求者》たちのコンパス代わりだった。だが結局のところ彼ら彼女らの扱いはぞんざいだ。


「いろいろ乱暴な目には遭いましたけど……」


 思い通りにならなければ八つ当たりされることはいつものことで、殴られ蹴られるのは当たり前の日常だった。廻廊から戻れば用が済んだと同時に檻の中へ閉じ込められる。


 それでも、


「でも…………()()()()()()()――」


 ルリリルの両目から光が失われて他人事のように冷たくそう言っている。イズクは何も言えなかった。《奇跡》を持たない奴隷となった他の亜人がどんな扱いをされていたのかイズクには想像することすら恐ろしかった。


「あ、ごめんなさい……そもそも人族は触れるだけで腐るとか呪われるとかいう人ばかりですし亜人に()()()()()()()はしない、かと……だからわたし以外の亜人の子たちも怖い目には、あってないと、おもいます……」


 そこからフォローするようにルリリルは言うが、それでも結局殴る蹴るの暴力は振るうのなら奴隷になった時点で詰みであろう。


 イズクはルリリルに掛ける言葉が見つからなかった。だからもうただ黙って、何も言わずルリリルを正面からギュっと抱き締めることしかできない。


「……せいじょさま、あの――こうしてていいですか」

「いいよ。ふわふわしててルリリルは気持ちがいいよ」


 水に濡れた黒猫の毛を何度も手で掬いながらイズクはルリリルの頬に自分の頬を寄せていた。


「せいじょさま……」

「こんな私に、ついて来てくれてありがとうね……ルリリル」


 イズクは心の底からルリリルに感謝を述べた。言葉でしかルリリルに伝えることは出来ないけれど、それでもイズクは《聖女》としての行いは間違っていなかったのだと――その答えが目の前にいることにイズクは救われていた。


 それからまた二人は静かに抱き締めたまま、ゆっくりと温泉を堪能するのだった。

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