12/想起:第一聖女都市近辺:旅路(2)
それから少しの静寂。
「だいじょうぶ、ですか?」
「はい……すみません……取り乱してしまって……」
落ち着きを取り戻したイズクは大きく息を吸い込み、そして静かにそれを吐き出している。そのまま再び沈黙。
しかしルリリルはイズクの言葉を待ち続けている。決して急かすこともせず、ただひたすらにイズクの顔を見つめたまま静観していた。
「あのルリリルさんは……本当になんともありませんか?」
「とんでもないです! このとおり元気です!!」
イズクの問い掛けに水を得た魚のように身体を震わせて、グっと両手に力を込めてイズクに迫るようにそう言った。
ちなみにルリリルは本当に元気である。今まで生きて来ていちばん活力に満ちているまである。
「ルリリルさんは……」
「ルリリルとお呼びください聖女さま。わたしはあなたの信者なのです……お願いですから呼び捨てで――」
「ですが……」
「だめ、ですかぁ…………?」
うるうると瞳を潤ませながら祈りながらルリリルは言う。イズクは初めて逢った時とはまるで別人のようだった。
ルリリルは考える。自分は何の力にもなれない。強くもないし、ただの足手まといだろう。だけど心の支えになりたい。
夢の中でイズクの過去を見た。酷く恐ろしい光景を垣間見た。ならば少しでもイズクの心の支えになりたい。そのためなら人格を多少変異させることも厭わない。
イズクの味方であると信じてもらいたい。誰一人味方のいない世界を生きて来たのなら自分が最初の味方になりたい。
「あと敬語もおやめください」
「は………、はい…………」
イズクは確固たる意志を見せるルリリルを前についに折れた。
「本当に、なんとも、ない、の?」
たどたどしく何度も同じ問いを投げかけるイズクにルリリルはそっと身を寄せる。ふわふわの毛並みがイズクの肌に触れて、ふと無意識にルリリルの腕を手のひらで摩ってしまった。
「あ、ご、ごめんね……」
勝手に触ってしまったことにすぐにイズクは手を離そうとしたけれどルリリルはすぐにその手を掴んで、
「聖女さまがよければいくらでも触ってくださって構いませんから」
そう微笑むとイズクはやっとルリリルに寄り添って、ぎゅっと抱き締めてくれる。
ルリリルが目を醒ますまでは彼女の身を案じて守るために抱き締めていただけだった。だが今は関係なく、ただルリリルの優しさを感じながら熱を得ている。
「ふわふわ……」
綿のように柔らかいルリリルの毛に、イズクは頬を寄せて感じていた。温かくて、ずっとこうしていたかった。イズクの華奢な身体を壊さないように両手で抱き締めていた。
ふとルリリルの胸元に目をやる。シーツの隙間から見える胸の中心には本来ならば刺さっていたはずの刃は無い。傷痕すら跡形も無く、
「話を、聞いて……もらえるかな――」
そう言うとイズクの手がまた小さく震えていた。ルリリルに伝えたい言葉がある。
だけどルリリルは無言のままコクリと首を縦に振った。この目の色のこと、死んだはずの未来が覆されたこと。知りたいことはたくさんある。
「私はその……《聖女》なんかじゃないの」
「いえ《聖女》です」
そこは譲らない。ルリリルにとってイズクは《聖女》以外の何者でもないのだから。
「いや、あのね……私は――」
「夢を、見ました」
だからルリリルは正直に話す。深い眠りの奥、目を醒ますまでルリリルはイズクの過去を見てしまったことを。
《聖女》ではなく《魔女》と呼ばれる経緯、そして腐れた竜の正体は《七虹》の一翼。ついにはその竜そのものを取り込んで人ですら無くなった存在。
イズク・フォーリンゲインが《聖女》ではないと頑なに否定し続ける理由はルリリルも理解している。それでも何を言おうが、ルリリルが否定する。ルリリルを救ってくれたこのヒトが《聖女》だということを。
「そっか……そう、なんだ……」
ルリリルの告白にイズクは疑うことはしなかった。夢の内容はイズクが体験したものと全て同じ。それをまだ生まれてもいなかったルリリルがまるで見てきたかのように言い当てるのだから信じるしかない。
「うん、そう、だよ……私は、《聖女》だった。けれどいまは――《七虹》の一翼をこの身に宿してる」
夢は現実となり、こうしてルリリルはイズクと巡り会った。しかしそれでもルリリルが生還した理由はまだ明確になっていない。
「《七虹》は、自分の血肉を分け与えると――その者を従者にできるの」
その一翼を取り込んだことで《七虹》の力と記憶も刻まれているからこそイズクはそれを知っている。
「《七虹》の大半はもう《極光》との戦いで殆ど身体が動けないほどに疲弊しているの。《極光》に与えられた傷は癒えることなくまるで呪いのように蝕まれている――」
そっとイズクはルリリルの手を握り、
「《極光》は斃された――だけど、まだ……」
月の傍らに生えるようにこちらを見ている目だけになった金色の月が見える。それは《極光》の瞳。その瞳が未だ人類史を見下ろし続けている。
「でも心配性なのかな。動けなくて、きっと他の《七虹》もどこかで傷ついて身を隠しているのだろうけど――世界の行く末を見守るためにもし《七虹》を見つけてくれた者に女神の《奇跡》とは違う《七虹》の力の与えようと……」
もしも力を望むなら、もしも《七虹》を見つけることが出来る者が現われたそのとき《七虹》は人類史のために力を貸す。
おとぎ話の竜は本当に世界の為に戦う存在だった。だがルリリルは違う。力を望んではいなかった。世界の為に戦うなどと崇高な願いもない。
だからイズクはルリリルから目を逸らすことなく真っ直ぐ見つめたまま、
「ごめんなさい、それなのに……私、ルリリルに死んでほしくなくて……望んでもいないのに、むりやり……」
イズクは自分を《魔女》ではなく《聖女》と呼んでくれたこの小さな少女を救いたかっただけだ。
一度でもあの優しさに触れてしまったから、もうひとりで歩けなくなってしまったのだ。一度でも知ってしまえば、もう戻れない。
私を信じてくれた――この子を助けたい。
私を信じてくれた――この子と一緒にいたい。
そこにルリリルの意志など存在しない。ただイズクはひとりになることを恐れて、またひとりで歩くことを怖れて、ルリリルをヒトの道から外してしまったのだ。
《奇跡》ではなく自身の身に宿る《七虹》の力の一端でルリリルを強制的に従者にすることで傷ついた心臓を治しこの世に留まらせた。
「あの綺麗な青い瞳も……これからの未来も、なにもかも……私は、私の願いを押し付けて繋いでしまった。だから、私は……」
瞳の色が黒いのはイズクの身に宿る《七虹》が黒色だったから。未来はイズクと共に歩ける。願いを押し付けた――ルリリルと共に生きたいと願ったから。
「わたし、聖女さまといっしょにいていいんですか?」
「え……ええ、ルリリルが望んでくれるのなら――」
何度言ってもわかってくれない。
何度も何度もルリリルはイズクのことを信じているのに。それなのに《聖女》として身を呈していた頃の過去がイズクに他者を信じるという勇気を欠損させてしまった。
「聖女さまの旅にわたしもお供させてください。頼りになれないけれど……それでもいっしょにいさせてください」
これは復讐の物語。
この旅に明るい未来は無いのかもしれない。
それでもルリリルの物語はイズクと出逢うことで大きく変わった。死んだはずの結末を覆して、ルリリルはまだこうしてイズクと並んで歩くことが出来ることに感謝していた。だからこれ以上、言葉はいらない。答えは変わらない。
「聖女さまの従者なんて、わたしは幸せ者です――」
「それは、私の台詞かな……」
そして手を取り、二人は立ち上がる。
ルリリルが微笑み、イズクはルリリルの手を握ったまま歩き始める。
「くっしゅん」
可愛らしいくしゃみをするルリリル。思えばシーツ一枚で肌を隠している状態である。
「ごめんなさい、服は……」
奴隷の頃に来ていたボロ切れの布だけで、まともな服などルリリルは持っていない。だけどイズクは突然、自身の腹部に腕を突っ込んでいた。トプンと着ている黒衣の上から指先が沼に沈むように消えていく。
「これで良かったら」
そう言って、腹部に沈んでいた腕が再び現われるとその手には一着の衣服が見える。
「ど、どこから出て来たんですかコレ……」
それはメイド服だった。白と黒を基調とした伝統的な作り。しかしそんなことよりも鞄も何もない、寧ろイズクの身体から出てきたのだが――
「人の形をしてるけど中身は《七虹》の力が詰まってるだけだから……こうやって……」
そのまま再び手を腹部に沈めると、今度は金貨の入った小ぶりの袋を取り出した。これは他の廻廊で回収したものだそうだ。
思えば軽装すぎるというか手ぶらだったのは気になっていたのだが、まさか身体の中に物資を隠し持ってるとは思わなかったのでさすがにルリリルも目が点になっていた。
すごいぞ《七虹》――これはもう人の形をしたアイテムボックスである。この時点で人智を超えている。
「それにしてもこの素敵な衣装は――」
「その……私、裁縫が趣味……なんだ」
それはまだ《聖女》と呼ばれていた過去、友達と呼べる者もおらず、頼れる人もいなかった世界で静かに針と糸で衣服を作るのはイズクの安らぎだった。
いつしか何着も仕立てている間に技術も向上して、頭の中で思い描いたものを暇あれば作れるようになっていた。
作っても誰かに着てもらえることはなかったがイズクの身体が無尽蔵に物資を詰め込めるようになっているので復活してからも同じように縫っては出来上がる服を捨てるに捨てれず持ち込んでいた模様。
「いやこれ……職人並みかと思いますが……」
趣味でこれ程のクオリティを出せるなら衣装作りだけで食べていけそうな気がする。
「サイズはちゃんとルリリルに合わせるから任せて」
「あ、はい……」
そしてルリリルは木の後ろで着替えてみるが、服のサイズは多少小さかったがルリリルの身体はもともと子供のように小さいので気にならなかった。ぴっちりと着込めているので動きやすいのでこれはこれでぴったりなのかもしれない。
「あの、どうでしょう?」
そして着替えた姿をイズクに見せると、
「すごくかわいい」
「聖女さまの衣装のおかげです。こんな素敵な服が着れるなんて……」
イズクと出会ってからルリルルは幸福の連続だった。あまりの幸せに溺れてしまいそうなほどに。
「よく妹の服を作って上げててね。もう着て貰うことは……できないけど……ルリリルの背丈ぐらいだったから――」
それでルリリルは気が付いた。イズクには妹がいた――しかし《魔女》と唆され、人類に反逆したとして両親共々家族はまとめて処刑された。その中に妹もいた。
「あ、あの!」
だからルリリルは声を上げて、
「わた、わたしでよければ……その……聖女さまの作った服は、なんでも、着たいです」
そう言うとイズクの顔がぱぁっと日出のように明るく眩んだ。そして頭にそっと手を翳して、
「ありがとう、ルリリル……また、私の願いを叶えてくれて」
「聖女さまの従者なのです。お役に立ちたいんです……だから、わたしが出来ることならなんでもしたいんです」
その言葉に偽りはない。
ルリリルの生きる理由はただそれだけだ。意味の無い人生に彩りを与えてくれたこのヒトに全てを捧げて生きていきたい。だけどイズクのような強い力は無い。
だからきっと足手まといになってしまうことの方が多いかもしれない。それでも、ただ少しでもイズクの心の傷を癒せることが出来るなら、ルリリルは別の形でイズクの役に立ちたいだけだ。
「うん、うん……ありがとう、ありがとうね――ルリリル……私の、信者……」
イズクにとって《聖女》と呼ばれていた時に現われなかった彼女を信仰する者。いや、きっといたのかもしれない。だけど記憶に無い。
イズクを信じる者は何処にいるのだろう。それでも今はこうしてひとりの少女がイズクの道を照らしてくれている。
その道の先が血に染まるとわかっているのに、ルリリルはイズクと同じ道を歩むと言ってくれた。だから、もうこれ以上は望まない。
「それで、どこへ向かうんです?」
「《第一聖女都市》へ行こうと思ってるんだ。いっしょに来てくれる?」
「聖女さまとならどこへでも」
そして二人は前を向いて、進んで行く。
こうしてイズクは独りではなくなった。
復讐という暗い旅路であったとしても、その横にルリリルがいるということが今のイズクにとって本当に頼もしかった。




