叫び
風が強く、今日は家から出たくない。いや、庭に生えていること自体邪魔で、見栄えを悪くする雑草が地面にこれほどかとしがみついて大きく揺れている。だから私は、少しの慈悲と自分自身の名誉のため、家からは出なかった。ううん、違う。今日は仕事に行きたくないから自分自身の保身のため。
仕事が嫌な人なんて、9.5割の人類が思っていることだと勝手に考えている。じゃ、いっそのこと辞めてしまえよ。馬鹿を言うな。こちとら生活がかかっている。辞めたところでやりたい職などない。ただ、今の職場で、精神がズタボロになるまで働いて自分を壊す寸前まであらがってやりたい。働いている人たちに心配されながら、お前らがこうさせたんだ。心配するな。偽善者共。そう心の中でつぶやいて、表情は白目で口は少しニヤッとあざ笑うかのように、この顔を夢の中で思い出せ。と念じながら辞めてやりたい。それまでの辛抱だ。大丈夫。まだ余裕はある。
仕事は嫌だから仕事なんだろ。と日本語にも成りえない日本語をつくって、仕事というものを定義付けしている。このまま、定年までしょうもないことを思いながら車で出勤して、前の車が遅いとか、頭悪いのかこの運転手とか思いながら、だらだらと過ごして、今の若者はとか年寄りの定型文を口ずさむようになって死んでいくのかと思うと、もう死にたい。
いや、人生の結末と今の感情を叩いただけで、死ぬまでの過程において楽しいことや嬉しいとはそこら辺の雑草より多いだろうと勝手に思っている。そう、勝手に。明日死ぬかもしれないのに。
未来は明るいなんて無責任にもほどがある。明るい未来が待っているかなんて行動した末に起こる現象に過ぎなくて、その中で分岐点がやまほどあるのに、何も知らない年上から、生きてれば未来は明るい。なんてアニメの主人公にでもなったつもりかよ。だったら、困っている年寄りを助けて、お礼にたまたまポッケに入っていたワンコインの500円をもらえる方が、今後自分の未来が明るいかどうか嘆くより、よっぽど5分先の未来が明るいって確信だけでアニメの主人公感が味わえる。だから無責任に君の未来は明るいなんて言うもんではない。だったら一言でいい。行動しろ。と、言え。
こんなしょうもないことを、誰が読むか、いや誰一人読まないかもしれないサイトに殴り書いてるの、笑える。




