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第7話:交わらない三つの視線

暫定資格試験が終わり、学園には奇妙な均衡が訪れていた。

ゼノ、リィナ、レオの『落ちこぼれ』チームの番狂わせは、伝説として、あるいは「まぐれ」として生徒たちの間で語られ、やがて日常の喧騒の中に埋もれていった。

だが、水面下では、三人の関係性と、彼らを見る周囲の視線は、確実に変化していた。


講義室。魂の歴史に関する退屈な授業が、今日も繰り返されている。

ゼノは、窓の外を流れる雲を眺めていた。相変わらず彼は一人だ。だが、以前のようなあからさまな侮蔑の視線は減り、代わりに、得体の知れないものを見るような、警戒と好奇の視線を感じるようになった。彼は、その全てを意に介さず、ただ自分の世界に閉じこもる。それが、彼が平穏を保つための処世術だった。

しかし、そんな彼にも、意識せざるを得ない視線が二つあった。


一つは、斜め後ろの席から注がれる、リィナの視線。

彼女は、授業そっちのけで、ただじっとゼノを見つめていた。その瞳は、まるで陽だまりのように穏やかで、温かい。彼女の《魂魄共鳴アニマ・レゾナンス》は、ゼノの魂が持つ「今を生きる輝き」だけを、純粋に捉えているのだろう。その視線は、ゼノの孤独な心に、小さな灯りをともすような感覚を与えていた。


そして、もう一つ。

教室の最前列、完璧な姿勢で座るフィオラ・フォン・アストリアからの、鋭く、しかし迷いを帯びた視線。

彼女は授業に集中しようとしながらも、時折、振り返るわけでもないのに、その意識がゼノに向けられているのが、肌を刺すように伝わってくる。それは、怒りでも、侮蔑でもない。自分の理解を超えた存在を、解き明かそうとする分析的な、そしてどこか苛立ちを隠せない視線だった。


ゼノは、ただ前を向く。

リィナは、ゼノだけを見つめる。

フィオラは、ゼノという「矛盾」から目を逸らせない。


三人の視線は、同じ空間にありながら、決して交わることがない。それぞれが、それぞれの立ち位置から、それぞれの想いを抱え、見えない線で隔てられていた。



昼休み。学園のカフェテリアは、魂歴カースト制度の縮図だった。

中央の最も見晴らしの良いテーブルには、フィオラをはじめとする上級貴族たちが集っている。その中心には、フィオラの婚約者であるサイラス・フォン・ヴァレンシュタイン公爵嫡男の姿もあった。「宰相」と「将軍」の魂が統合された『合成魂コンポジット・ソウル』の持ち主である彼は、冷徹な瞳で周囲を見下し、フィオラと当たり障りのない会話を交わしている。


「フィオラ、家の名誉を守る君の姿は、いつ見ても美しい。だが、先日の試験、少々後味が悪かったのではないかね? 下賤の者たちが、君の功績に泥を塗った」

サイラスの言葉は、絹のように滑らかだが、毒を含んでいた。

「……わたくしの、不徳の致すところですわ」

フィオラは、完璧な淑女の笑みで応じながらも、内心では屈辱に唇を噛んでいた。


そのカフェテリアの隅で、ゼノは一人、黙々と食事を進めていた。それは、いつもの光景。

だが、今日は違った。

リィナが、ごく自然に、彼の向かいの席に座ったのだ。

「ここのパン、美味しいわね」

彼女は、そう言ってにこりと笑う。その無邪気な行動が、カフェテリアにさざ波を立てた。

「おい、見ろよ……」

「ブランクと測定不能のお姫様か。お似合いの『はぐれ者』同士だな」

遠巻きの囁き声が、二人を包む。


フィオラは、その光景から目を逸らした。サイラスが、面白そうに口の端を上げる。

「おや、掃き溜めに鶴、というべきか。いや、似た者同士、惹かれ合うものかな」

「……興味ありませんわ。わたくしたちとは、住む世界が違いますもの」

フィオラは冷たく言い放つ。だが、その瞳の奥には、自分でも整理のつかない感情が渦巻いていた。

サイラスとの、腹の探り合いばかりの会話。家名と魂歴でがんじがらめにされた人間関係。それに比べて、あの二人の間には、何のしがらみもない、ただ純粋な繋がりがあるように見えてしまう。

(……何を、考えているの、私は)

苛立ちを振り払うように、彼女は一度だけ、ゼノのいるテーブルに鋭い視線を向けた。

その一瞬、ゼノもまた、何かを感じたように顔を上げた。

二人の視線が、刹那、交錯する。だが、フィオラはすぐに、まるで汚らわしいものでも見るかのように、その視線を逸らした。

交わったはずの視線は、再びそれぞれの世界へと断絶された。



昼食後、ゼノとリィナは、人通りの少ない中庭のベンチに座っていた。

「ゼノは、どうしてそんなに本を読むの?」

「……生きるためだ」

「生きるため?」

「ああ。俺には、前世から受け継いだ知識もスキルもない。だから、自分の頭で考えて、自分の力で生き抜くしかない。本は、そのための武器だ」

彼の言葉に、リィナは少し寂しそうに微笑んだ。

「そっか……。私は、逆。思い出したくなくても、忘れたくても、魂が勝手に記憶しているから。知識は、私にとって呪いみたいなもの」

無限の輪廻を生きる少女と、一度きりの生を生きる少年。二人の間には、対照的でありながら、どこか似た孤独の匂いがした。


「寂しくないの? 誰とも、過去を分かち合えないのは」

リィナが、そっと尋ねた。

その問いに、ゼノは少しだけ考えた後、静かに答えた。


「……大勢に囲まれていても、誰も本当の自分を見てくれない方が、よっぽど寂しい」


その言葉は、誰に向けたものでもなかった。ただ、彼の心から漏れた、偽りのない本音だった。


だが、その言葉を聞いてしまった者がいた。

近くの植え込みの影で、偶然その場に居合わせてしまったフィオラだった。

彼女は、サイラスとの息の詰まる昼食から逃れるように、この静かな場所へ来ただけだったのだ。


――誰も本当の自分を見てくれない方が、よっぽど寂しい。


ゼノの言葉が、雷のようにフィオラの心を貫いた。

それは、彼女が心の奥底で、ずっと叫び続けていた言葉そのものだったからだ。

父も、婚約者も、誰も『フィオラ』という個人を見ようとしない。彼らが見ているのは、『剣聖の魂』という過去の栄光だけ。


(この男も……私と、同じ……?)


初めて、彼女は知った。

最も軽蔑していたはずの『ブランク』が、自分と全く同じ種類の孤独を抱えているということを。

衝撃に、フィオラは思わず息をのんだ。そのかすかな音に、ゼノとリィナが同時に振り返る。



三人の視線が、静かな庭で、今度こそはっきりと交わった。

気まずい沈黙が、空間を支配する。


ゼノは、フィオラの瞳に、今まで見たことのない動揺の色を見て取った。それは、いつものような、プライドの高い令嬢のそれとは全く違っていた。


リィナは、ゼノとフィオラを交互に見つめる。彼女の《魂魄共鳴》は、フィオラの魂が激しく揺れ動き、ゼノの魂とわずかに共鳴したのを感じ取っていた。


そして、フィオラ。

彼女は、ゼノの目を見て、動けなくなった。彼の瞳の奥に、自分の孤独と同じ影を見た気がした。そして、隣にいるリィナが、なぜかその孤独を理解しているように見えて、胸がざわついた。

混乱、怒り、そして、芽生えてしまった、認めたくない共感。

彼女の頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。


「……っ」

フィオラは、何も言えなかった。

ここで何かを言えば、自分の鎧が、完全に剥がれ落ちてしまう気がした。

彼女は、ただ唇を強く結ぶと、踵を返し、足早にその場を立ち去った。その背中は、誰が見ても分かるほど、硬直していた。


見えない壁は、まだ厚く、高い。

交わった視線は、理解し合うことを拒絶されたまま、再び逸らされた。


残されたゼノとリィナの上に、影が差す。

空を見上げると、まだ昼過ぎだというのに、太陽が厚い雲に覆われ始めていた。


そして、

――ウウウウウウゥゥゥゥーーーーーンンンン。


突如として、学園中に、不気味で甲高い警報が鳴り響いた。

それは、創立以来、一度も使われたことのない、最高レベルの非常事態を告げる音。


「な、なんだ……!?」

ゼノが叫ぶ。

平穏な日常が、音を立てて崩れ去っていく。

三人の視線が、まだ交わらないうちに、世界は、彼らに否応なく同じ脅威を突きつけようとしていた。

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