第63話:神殿からの脱出
勝利の余韻は一瞬だった。
熾天使ガーディアンが消滅した直後、システムの深淵は断末魔の叫びを上げた。
主を失ったアカシックレコードの光の柱が激しく乱れ、制御不能のエネルギーを放出し始める。
空間そのものが悲鳴を上げて崩壊していく。
「……ゼノ! 早く!」
フィオラが叫ぶ。
二人が使ってきた古の道はすでに崩落し完全に塞がれていた。
もはや退路はない。
道は前方にしかない。
この狂った神殿のメインルートを突き進み地上へと脱出するしか道はなかった。
二人は走り出した。
背後で世界の記憶そのものが崩壊していく轟音を聞きながら。
だが神殿のメインルートもまた正常ではなかった。
システムの暴走は神殿全体に及んでいたのだ。
光でできていたはずの通路がノイズの走る映像のように明滅し消える。
無重力になったり数倍の重力がかかったりと物理法則が完全に狂っていた。
「……こっちだ!」
その混沌の中でゼノが叫んだ。
彼の瞳はまだ青白く輝いていた。
アカシックレコードと強制的に接続された影響。
彼の目にはこの世界の表面的な形ではなく、その根底を流れるデータの流れが見えていた。
「その床はもう存在データが破損している! そっちの壁を蹴れ!」
ゼノはもはやナビゲーターだった。
彼はこの崩壊する世界の中で唯一安全なルートを見通すことができた。
フィオラは彼の指示を完全に信じた。
彼女はゼノの目となりその強靭な身体能力で彼の示す道を切り拓いていく。
絶対的な信頼。
それが二人を繋ぐ唯一の命綱だった。
光の哨兵たちも暴走していた。
ある者は同士討ちを始めある者は融合し歪な光の怪物と化している。
二人はそれらのバグの塊をフィオラの剣とゼノの神器で打ち払いながら、ひたすら上へ上へと駆け上がった。
*
どれくらい走り続けたか。
ようやく見覚えのある神殿の上層部へとたどり着いた。
地上への出口はもう目前。
だがその時だった。
二人の脳内に、そしてこの世界の全ての魂を持つ者の脳内に、直接一つの声が響き渡った。
それは一人の声ではない。
何億何兆という魂の声が重なり合ったかのような神々しいそして冷酷な意志。
『天上の観測者』たちの声だった。
《――システム全域に通達》
《致命的エラーの発生を確認》
《その原因となったバグ因子をここに神敵と認定する》
その声と同時にゼノとフィオラ、二人の姿が全ての魂の持ち主の脳裏に幻として映し出された。
《個体名ゼノ。フィオラ・フォン・アストリア》
《この二名は世界の秩序を破壊し輪廻の約束を脅かす大罪人である》
《全ての魂に命ずる。この神敵を発見しその魂を浄化せよ》
《成し遂げた魂には来世での大いなる栄光を約束する》
それは宣告だった。
そして全世界に向けられた指名手配。
この瞬間からゼノとフィオラは世界の全てを敵に回したのだ。
神々の信者もそうでない者も。
誰もが来世での栄光のために彼らに刃を向けるだろう。
神々は自らの手を汚さない。
ただ盤上の駒に命令しエラーを処理させるだけ。
それこそが神々のやり方だった。
「……最悪ですわね」
フィオラが吐き捨てた。
「ええ。最高のお墨付きだ」
ゼノは不敵に笑った。
神々の敵。
それこそ彼らが目指していた場所に他ならなかったからだ。
*
二人はついに中央神殿の巨大な正門へとたどり着いた。
その向こうには光が見える。
地上だ。
だがその光の向こう側で何が待ち受けているか。
二人はもう分かっていた。
ゼノはフィオラに向き直った。
「……フィオラ。ここから先は本当の地獄だ。お前はまだ引き返せる」
「愚かなことを」
フィオラは呆れたように笑った。
「わたくしが誰よりもあなたを理解していると思っていましたのに。わたくしが今更あなたを一人にすると本気で思って?」
彼女はゼノの隣に立った。
「わたくしが歩むと決めたのは『君と行く道』。世界の全てが敵だというのなら結構ですわ。二人で世界を相手に戦ってやります」
その言葉だけで十分だった。
二人は頷き合うと最後の力を振り絞り正門を蹴破った。
眩い光が二人を包む。
そして光が晴れた時、二人は神殿の頂へと続く大階段の上に立っていた。
眼下には巡礼都市が広がっている。
だがそこに祈りの姿はもうなかった。
神々の神託を受けた何千何万という神官、聖騎士、そして巡礼者たちが、その顔に狂信的な怒りを浮かべ二人を見上げていた。
それはもはや民衆ではない。
神の意志の代行者として異端者を裁こうとする巨大な軍隊だった。
神殿が背後でガラガラと音を立てて崩れていく。
もう戻る場所はない。
進む道はこの敵の大群の中を突っきるしかない。
「……すごい歓迎じゃないか」
ゼノは神器を構えながら皮肉っぽく言った。
「ええ。悪くありませんわ」
フィオラも剣を構え不敵に笑う。
二人は見つめ合った。
そして同時に眼下の敵の海へと向かって駆け出した。
神殿からの脱出。
それは安息の始まりではなかった。
より巨大でそして絶望的な戦いの始まりを告げる狼煙。
世界の全てを敵に回した二人の最後の戦いが今始まろうとしていた。




