第62話:熾天使ガーディアン
システムの深淵に響き渡る絶対的な死の宣告。
《――対象領域の全データを完全消去する》
その無機質な言葉と共に熾天使ガーディアンがその六対の光の翼をゆっくりと広げた。
それは世界の理そのものが二人を拒絶しその存在を消し去ろうとしているかのようだった。
「……来るぞ!」
ゼノが叫ぶ。
だが熾天使は動かない。
その代わりゼノとフィオラが立っている足元の空間が音もなく消滅した。
まるで最初からそこには何も無かったかのように。
「……っ!」
ゼノは咄嗟にフィオラの手を引き後方へと飛び退いた。
二人がいた場所は今完全な虚無となっている。
これが神の使いの戦い方。
物理法則を捻じ曲げ存在そのものを削除する絶対的な権能。
「……ふざけていますわね」
フィオラは恐怖に震えながらもその瞳には不屈の闘志を宿していた。
彼女は剣を構え熾天使へと突進する。
だがその剣が熾天使に届くことはない。
見えない壁が彼女の行く手を阻む。
《――抵抗は無意味。エラーは速やかに修正されなければなりません》
熾天使が炎の剣を振るう。
その一振りは空間そのものを切り裂き次元の断層を生み出した。
絶望的なまでの力の差。
もはや戦いにすらなっていない。
ただ一方的な駆除。
「……くそっ!」
ゼノは神器を構えた。
今この神の使いに対抗できる唯一の希望。
彼は神器に自らの魂を注ぎ込みその力を解放した。
「――行けぇっ!」
白銀の槍が光の奔流となって熾天使へと突き進む。
神殺しの一撃。
それはついに熾天使の光の体に届いた。
甲高い不協和音が響き渡り熾天使の翼の一部がわずかに欠損する。
神器の力は確かに通用する。
だが。
《……対神性兵装による損傷を確認。自己修復プログラム起動。脅威レベルを更新します》
熾天使の傷は一瞬で再生した。
このシステムの深淵にいる限り熾天使は無限のエネルギーを供給され不死身も同然なのだ。
そのあまりにも理不尽な戦いだった。
*
(……駄目だ。このままではジリ貧だ)
ゼノの脳が高速で回転する。
(奴はただの生命体じゃない。このシステムが生み出した究極のアンチウイルス・プログラムだ。プログラムを倒すにはその本体を叩くかそのプログラムの脆弱性を突くしかない)
ゼノの視線が戦場の中心にそびえ立つ巨大な光の柱へと向けられた。
アカシックレコード。
この世界の全ての情報が記録された巨大なサーバー。
そしてあの熾天使を動かしているソースコードもまたあの中にあるはずだ。
(……賭けるしかない)
ゼノは覚悟を決めた。
あまりにも無謀で自殺行為とも言える最後の賭け。
「フィオラ!」
彼は叫んだ。
「奴の注意を引きつけてくれ! 全力で頼む!」
「……! 何をする気ですの!?」
「システムの心臓部に直接ハッキングを仕掛ける!」
その狂気の沙汰としか思えない言葉にフィオラは一瞬呆然とした。
だがすぐに彼女は不敵に笑った。
「……面白い! あなたのそういう常識外れの発想、嫌いではありませんわ!」
フィオラはゼノに背中を預けると一人熾天使へと向き直った。
彼女の全身から黄金の闘気が溢れ出す。
それは彼女の魂の最後の輝き。
「――行かせはしませんわよ! このアストリア家の名誉に懸けて!」
彼女は自らの全てを懸けてゼノのための時間を稼ぐ覚悟を決めた。
*
フィオラが死闘を繰り広げているその背後で。
ゼノはアカシックレコードの光の柱へと走った。
そして彼はためらわなかった。
その手に握る神殺しの神器を光の柱の中心へと全力で突き刺した。
ズブッという奇妙な手応え。
そして次の瞬間ゼノの意識は肉体を離れ光の奔流の中へと飲み込まれた。
そこは情報の海だった。
何億何兆という魂の記憶が津波のように彼に襲いかかる。
喜び悲しみ怒り愛。
全ての感情が彼の自我を飲み込み溶かそうとする。
(……これがアカシックレコード)
彼はこのまま情報の海に溺れ消滅するのか。
そう思った時、彼の魂の奥深くで一つの温かい光が灯った。
リィナの手に握らせた銀のロケットとの共鳴。
そのか細い光はまるで灯台の光のように彼の進むべき道を示してくれた。
(……リィナ)
彼はその光を頼りに情報の嵐の中を進む。
そして彼は見つけた。
この世界のシステムの設計図を。
そしてその中に存在する熾天使ガーディアンのプログラムコードを。
その膨大なデータの中で彼は一つの小さな矛盾を発見した。
神々が気まぐれで残したのか。
あるいは意図的に仕組んだのか。
それは熾天使をこの空間に繋ぎ止めているただ一つの座標データ。
『絶対座標アンカー』。
熾天使の本体はあの光の体ではない。
ただの一点の座標。
それこそが奴の唯一の弱点だった。
*
「――フィオラ!」
ゼノの意識が現実世界へと帰還した。
彼の瞳は無数の情報を取り込み青白く輝いている。
「奴の弱点が分かった! 本体はあの光の体じゃない!」
彼は何もない空間の一点を指さした。
「あそこだ! あの座標が奴の核だ!」
フィオラはもう限界だった。
だがゼノのその確信に満ちた言葉に彼女は最後の力を振り絞った。
「……承知!」
彼女はゼノが指し示した座標へと自らの最強の剣を放つ。
そしてゼノもまた神器に最後の力を込めて同じ座標へと光の槍を撃ち出した。
二つの渾身の一撃が何もない空間の一点で交差する。
その瞬間、今まで無敵を誇っていた熾天使の動きが完全に止まった。
そしてその神々しい光の体がバグを起こした映像のように激しく乱れ始める。
《――絶対座標アンカーに致命的損傷を検知。システム維持不可能。……エラー、エラー、エラー……》
熾天使は断末魔の叫びと共に光の粒子となって消滅した。
いや消滅ではない。
ただのデータとして削除されたのだ。
静寂が戻る。
二人は勝った。
神々の最強の守護者を打ち破ったのだ。
だが勝利の余韻に浸る時間はなかった。
主を失ったアカシックレコードが暴走を始めたのだ。
光の柱が激しく明滅し空間そのものが崩壊を始める。
「……ゼノ! 早く!」
二人は崩れゆくシステムの深淵から脱出するために必死に走り出した。
彼らは神を殺すための引き金を引いてしまった。
そしてその代償として今世界そのものが終わろうとしていた。




