第5話:無限輪廻の転校生、リィナ
ミスリル・ガーディアンの巨体が、轟音と共に崩れ落ちる。
その中心で、ゼノは肩で息をしながら、胸のコアに突き立てた自らの剣を見つめていた。リィナの放った根源魔法の余波が、まだビリビリと柄を震わせている。
「……やった、のか?」
後方で派手な陽動を続けていたレオが、信じられないといった表情で呟いた。彼の剣は、ガーディアンの装甲に傷一つつけられなかったのだ。
「やった……やったぞ、俺たちで!」
やがて実感が追いつくと、彼は天に拳を突き上げ、雄叫びを上げた。
ゼノはガーディアンの体から飛び降りると、真っ先にリィナの元へ駆け寄った。
「リィナ、大丈夫か!」
彼女は、壁に背を預けて座り込んでいた。ただの一撃に、魂の力のほとんどを注ぎ込んだのだろう。その顔は青白く、唇からは色が失せている。
「……うん、なんとか」
か細い声で答え、彼女はゼノに微笑みかけた。それは、ひどく儚げで、今にも消えてしまいそうな笑顔だった。
ゼノは、黙って彼女に肩を貸す。レオも、気まずそうにしながら、反対側から彼女を支えた。
三人は、最深部にあった『資格の証』を手に、ダンジョンの出口へと向かった。
彼らが転移ゲートから姿を現した時、待機していた生徒や教官たちの間に、大きな衝撃が走った。
「馬鹿な……あの『落ちこぼれ』チームが、もう出てきただと?」
「フィオラ様のチームが帰還した、わずか十分後だぞ……信じられん」
賞賛よりも、困惑と疑念の視線が突き刺さる。
そんな中、戦術教官のアーサー・グッドマンだけが、大股で彼らに歩み寄ってきた。彼はゼノの肩を力強く叩くと、ニカッと笑った。
「見事だったぞ、小僧! あの土壇場での連携、そこらの騎士団でもできん芸当だ。一体どこで、あんな無茶な戦術を学んだ?」
「……本を、いくつか読んだだけです」
ゼノが素っ気なく答えると、グッドマンは「謙遜するな」とさらに笑った。
その時だった。
「……っ」
ゼノの肩にかかる重みが、不意に増した。リィナの体が、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。彼女は、ついに限界を超えて意識を失ってしまったのだ。
「リィナ!」
ゼノの叫び声が、騒然とした広場に響き渡った。
*
学園の医務室。清潔なシーツが敷かれたベッドの上で、リィナは静かに眠っていた。
駆けつけた治癒魔法の専門家によれば、極度の魔力――正確には魂そのものの消耗による気絶で、命に別状はないという。だが、その魂の輝きが、風前の灯火のように揺らいでいるとも付け加えた。
レオは、しばらく心配そうにベッドの脇に立っていたが、「俺がいても仕方ねえし」とぶっきらぼうに言い残して部屋を出ていった。彼なりに、ゼノとリィナの二人にしておくべきだと判断したのかもしれない。
静まり返った部屋で、ゼノはただ、リィナの寝顔を見つめていた。
陽光に透けるような淡い色の髪。人形のように整った顔立ち。だが、その血の気のなさが、彼女の存在の希薄さを物語っている。
(なぜ、あそこまで無茶をしたんだ……)
ゼノの問いは、心の中をぐるぐると巡る。
やがて、リィナの睫毛がかすかに震え、ゆっくりと瞳が開かれた。
「……ゼノ」
「気がついたか。気分はどうだ?」
「うん……少し、魂が軽いだけ」
彼女はそう言って、ゆっくりと身を起こした。そして、自分の手のひらをじっと見つめている。
「どうして、あんな無茶をした。君の魂魄強度(HP)はEランクだ 。あの魔法は、君の魂を削る諸刃の剣のはずだ 」
ゼノの問いに、リィナは顔を上げなかった。
「……教えなければ、駄目?」
「ああ。君がそこまでして、この試験に懸けた理由を知りたい」
リィナはしばらく沈黙していたが、やがて、諦めたように、静かに語り始めた。
それは、彼女が背負う、永すぎる時の物語だった。
「私の魂歴は、測定不能 。システムがカウントできる999回をとっくに超えているから」
衝撃的な告白だった。魂歴は、多ければ多いほど良いとされるのが、この世界の常識だ。だが、彼女の口調に、誇らしさは微塵もなかった。
「神々が創ったこの『ディヴィナ・サイクル』は、完璧じゃない。転生を繰り返すごとに、魂の核は少しずつすり減っていくの 。……それを、『魂の摩耗』と呼ぶわ 」
彼女は、淡々と説明を続けた。
感情が希薄になり、昔の記憶は混濁し、スキルは劣化していく 。数百年、数千年と転生を繰り返した魂を待つ、避けられない結末。
そして、摩耗が末期症状に至った時、魂は輝きを失い、二度と転生する力もなく、完全な無へと還る。
『消滅』と呼ばれる、本当の死だ 。
「私の魂は、もう限界に近いの。だから、この生が、きっと私の『最後の生』になる 」
彼女がこの学園に来た目的は、優秀な成績を収めることではなかった。ただ、静かにその最期の時を迎える場所を探していただけなのだ 。
ゼノは、言葉を失った。
自分とは全く違う形で、しかし同じように「終わり」を定められた存在。
無限の輪廻を生きる少女が、その輪廻の果てに待つ「無」に怯えている。
自分の、たった一度の死への恐怖が、別の意味合いを帯びて胸に迫ってきた。彼女の永い絶望に比べれば、自分の恐怖など、なんと矮小なものだろうか。
「私のユニークスキル《根源魔法》は、世界の理に直接干渉する強力な魔法 。でも、その代償として、魂の摩耗を加速させてしまう 。だから、ずっと使わないようにしてきた。静かに、穏やかに、消えていくだけのつもりだった」
「……だったら、なぜ」
なぜ、あの時、あんな大技を使ったんだ。
ゼノの問いに、リィナは初めて、はっきりと彼の目を見つめた。
その瞳には、今まで見たことのない、強い光が宿っていた。
*
「……でも、あなたに出会った」
リィナの声は、静かだったが、確かな熱を帯びていた。
「ゼノ……あなたの魂は、特別。過去の色に染まらず、未来の不安に揺らめきもせず、ただ『今』だけを燃やして、激しく輝いている。その輝きを見ていると、何百年も忘れていた感情が、心の奥から湧き上がってくるの」
彼女は、そっと自分の胸に手を当てた。
「生きたい、って。そう思ったの」
「……!」
「この『最後の生』を、ただ消えゆくためだけに終わりたくない。あなたという、一度きりの命が、この世界でどんな物語を紡ぐのか、最後までこの目で見届けたい。その記憶だけを抱きしめて、消えていけるのなら、それも悪くないって……そう思えたの」
彼女が試験に懸けた理由。それは、ゼノと共にいる時間を、一日でも長く続けるためだった。
『落ちこぼれ』の烙印を押され、学園を追放されるわけにはいかなかった。その一心で、彼女は自らの魂を削ることも厭わなかったのだ。
ゼノは、何も言えなかった。
ただ生き延びることだけを考えていた自分が、いつの間にか、誰かの生きる理由になっていた。
それは、ひどく重く、息が詰まるような責任だった。
だが同時に、今まで感じたことのない温かい感情が、胸いっぱいに広がっていくのを、彼は感じていた。
自分の目的は、『平穏に死なずに生き抜くこと』だった。
だが、今、それは静かに形を変えようとしていた。
(この少女を、このまま消えさせていいのか?)
彼女は、ゼノとの記憶を抱いて消えることを「悪くない」と言った。
だが、俺は。
俺は、そんな結末を、本当に受け入れられるのか?
ゼノは、ベッドの横で、リィナの冷たい手を、そっと握りしめた。
その手は、驚くほどか細く、頼りなかった。
「……勝手に消えるなんて、俺が許さない」
絞り出すような、彼の声。
「君が俺の物語を見届けたいと言うのなら、俺も、君の運命に抗う。君を消させはしない。方法は分からない。けど、必ず見つけ出す」
それは、誓いだった。
『ブランク』と呼ばれ、自分のためだけに生きてきた少年が、初めて他人のために立てた誓い。
リィナは、驚いたように目を見開くと、やがて、その瞳から大粒の涙をこぼした。それは、何百年という彼女の生の中で、初めて流す本物の涙だったのかもしれない。
運命は、まだ何も変わっていない。
ゼノは相変わらず、一度きりの命を生きる『ブランク』のままだし、リィナの魂は、刻一刻と消滅へと近づいている。
だが、二つの孤独な魂は、確かに手を取り合った。
それぞれの絶望的な運命に、共に抗うために。
物語は、まだ始まったばかりだった。