第50話:撤退する魂狩り
地下神殿が完全に崩落した。
その地響きは、遠く離れた砂漠にまで届いていた。
魂狩りの科学者ギデオンは、生き残った数名の部下と共に、その光景を忌々しげに見つめていた。
彼の顔は怒りと屈辱に歪んでいる。
「……ありえん」
彼は吐き捨てた。
「我が完璧な計算が。我が緻密な計画が。たった二人の小僧と小娘に打ち破られただと……?」
彼の目的は神器の確保だけではなかった。
あの古代の封印術式。
神々の叡智の結晶。
その貴重な研究サンプルが今、永遠に失われてしまった。
そして何よりも、彼の科学者としてのプライドを傷つけたのは、あの『ブランク』の戦い方だった。
力でも魔法でもない。
ただのハッタリと奇策。
そんな非論理的なものに、自分は敗北した。
その事実がギデオンを苛んだ。
「ギデオン様。今後の指示を」
部下の一人が恐る恐る尋ねた。
「……決まっている」
ギデオンは冷たく言い放った。
「撤退する。そしてこの屈辱的な失敗の全てを、ありのままカイン様に報告するのだ」
その言葉に、部下たちは恐怖に顔を引きつらせた。
魂狩りの指導者、カイン。
彼の前で失敗を報告すること。それは死を意味していたからだ。
*
魂狩りの隠れ家は、次元の狭間に作られた異空間にあった。
『解放区』と呼ばれる彼らの理想郷。
その中央にある聖堂で、ギデオンは一人の男の前に膝まずいていた。
玉座に座るその男は、神々しいほどの美しさを持っていた。
白銀の長髪。
穏やかな表情。
だがその瞳の奥には、世界の全てを見通すかのような深い知性と、そして全てを無に還そうとする底知れない虚無が宿っていた。
彼こそが魂狩りの指導者、カイン。
その隣にはいつものように、感情のない人形のような少女エヴァが寄り添っている。
「――というわけです。神器の欠片は規格外の魂に奪われ、我が部隊は壊滅的な打撃を受けました。全ての責任は、この私にあります。いかなる処罰もお受けいたします」
ギデオンは覚悟を決め、全てを報告した。
聖堂に重い沈黙が落ちる。
やがてカインは、ゆっくりと口を開いた。
その声は意外なほど穏やかだった。
「……罰だと? なぜかね、ギデオン」
「……は?」
「私は君を罰するつもりなど毛頭ない。むしろ感謝しているのだよ」
カインは微笑んだ。
その神のような笑みに、ギデオンはただ困惑するしかなかった。
「これは失敗ではない」
カインは言った。
「これは我々の計画を次の段階へ進めるための、素晴らしいデータだ」
彼はギデオンが記録した戦闘データを興味深そうに眺めている。
「規格外の魂が神器と共鳴する。剣聖の末裔が過去の魂を捨て、個として戦う。実に興味深い。神々の作ったゲーム盤が、ようやく面白いバグを生み出し始めたようだ」
カインの思考は常に常人の理解を超えている。
彼は目先の勝利や敗北には興味がない。
彼が見ているのは、ただ自らが掲げる壮大な理想。
『全魂魄解放計画』の成就だけだ。
「神器は確かに強力な道具だ。だが我々の目的を達成するための手段の一つに過ぎん」
彼はギデオンに言った。
「あのゼノという少年。彼は誰よりも一度きりの生の重さを知っているはずだ。ならばいずれ、我々の理想を理解する時が来るやもしれん。今は泳がせておけばいい」
カインの言葉はまるで預言のようだった。
*
「さて、ギデオン」
カインは話題を変えた。
「君の本来の任務。ヴァレリーが『魂の揺りかご』から集めた膨大な魂のエネルギー。その解析はどこまで進んだ?」
「はっ。最終段階に入っております。エネルギーを純粋な『反魂魄粒子』へと変換する装置は、間もなく完成いたします」
その言葉に、カインは満足そうに頷いた。
彼は玉座から立ち上がると、聖堂の壁にかけられた巨大な世界地図の前へと歩いた。
「……小さな小競り合いは、もう終わりだ」
彼の声が静かな聖堂に響き渡る。
「神器の欠片を巡る戦いは、あの少年たちに任せておけばいい。彼らが集めれば集めるほど、神々の目はそちらに向く。それは我々にとって好都合だ」
カインは地図の一点を指さした。
それは大陸の中心。全てのディヴィナ・サイクルの情報が集まる聖域。
『中央神殿』だった。
「我々は我々の計画を進める。次の標的はここだ」
彼のその一言が、魂狩りの新たな方針を決定づけた。
神器争奪戦という局地的な戦闘から、世界そのものを揺るがす大規模なテロリズムへ。
「ヴァレリーとレギオンにも伝えよ。準備を始めろ、と」
「……はっ!」
ギデオンは深々と頭を下げた。
彼の心にはもはや敗北の屈辱はない。
主君が示す新たな計画への、狂信的な興奮だけがあった。
魂狩りは撤退した。
だが、それは敗走ではない。
より大きな絶望をこの世界にもたらすための、戦略的撤退。
ゼノとフィオラが砂漠で傷を癒している、その裏側で。
世界の歯車は彼らの知らぬ間に、また一つ、大きく軋みを上げていた。
本当の嵐はまだ来ていない。
それは今、大陸の中心で静かに、そして着実にその破壊のエネルギーを蓄え始めていた。




