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第49話:神器、解放

地下神殿からの脱出。

それは壮絶なものだった。

フィオラは意識を失ったゼノを背負い、崩れ落ちる瓦礫の雨の中をただひたすらに走り続けた。

彼女を突き動かしていたのは、もはや意地やプライドではない。

ゼノが命懸けの奇策で自分たちを救ってくれた。

今度は自分が彼を守る番だ。

そのただ一つの想いだけが、彼女の限界を超えた力を引き出していた。


どれくらい走っただろうか。

背後で神殿が完全に崩落する地響きが聞こえた。

追手の気配はない。

フィオラは砂漠の中にぽつんと存在する小さな岩場の陰にたどり着くと、崩れるように倒れ込んだ。

彼女はゼノの体をそっと横たえる。

彼の呼吸は浅く、顔色は紙のように白い。

その手には、あの白銀の不完全な槍が固く握りしめられていた。

神器はまるで生きているかのように、淡い光を放ち続けている。

その光は美しく、そしてどこか恐ろしかった。

この古代の力が、ゼノの意識を奪っているのだ。

フィオラはゼノの体を守るように剣を構え、荒い息を整えながら周囲を警戒した。



一方、ゼノの意識は深く、そして混沌とした光の海を漂っていた。

肉体の感覚はない。

あるのはただ奔流のように流れ込んでくる、膨大な記憶と感情。

それは神器に宿された古代の意思だった。

彼は見た。

神々がまだ空にいなかった時代の、緑豊かな世界を。

彼は感じた。

神々の支配に抗い、立ち上がった名もなき英雄たちの怒りと悲しみを。

彼は知った。

この神器がただの武器ではないことを。

それは滅びゆく人々の祈り。

自由への渇望。

そして神々への呪いそのものだった。


そのあまりにも強大な意思が、ゼノの魂を飲み込もうとする。

『――我らと、一つになれ』

『我らの、悲願を果たせ』

『神々を、滅ぼせ』

古の英雄たちの声が、ゼノの意識を乗っ取ろうとする。

彼の自我が記憶の奔流の中で、溶けて消えそうになる。


(……嫌だ)

薄れゆく意識の中で、ゼノは抗った。

(俺は、お前たちの代用品じゃない)

彼の脳裏に浮かんだのは、神々への憎悪ではない。

孤児院のマスターの優しい笑顔。

ティナやレオの真っ直ぐな眼差し。

自分を信じてくれたフィオラの強い瞳。

そして、何よりも。

『生きたい』と願ったリィナの儚い微笑み。


(俺は、ゼノだ!)

彼は魂の奥底から叫んだ。

(俺は俺の意志で戦う! 誰かの復讐のためじゃない! 俺が守りたいものを守るために、この力を使うんだ!)

そのたった一つの純粋な願い。

規格外の魂が放つ、誰にも汚されていない『個』としての強い輝き。

その輝きが、神器の混沌とした記憶の奔流を打ち破った。

神器の荒々しい意思が静まっていく。

それはゼノに屈服したのではない。

ゼノという新たな主を認めたのだ。

神器の力が解放された。

だがそれは暴走ではない。

ゼノというフィルターを通して制御された、新たな力として。



フィオラは焦っていた。

陽が傾き始め、砂漠の気温が下がっていく。

このままでは夜の寒さで、ゼノの体力が尽きてしまう。

その時だった。

砂漠の静寂を破り、新たな敵が姿を現した。

魂狩りではない。

この砂漠に生息する巨大な肉食の魔獣、サンドワームだった。

その巨大な顎が二人を飲み込もうと、砂の中から飛び出してくる。


「……っ!」

フィオラは咄嗟に剣を構えた。

だが彼女の体力も限界に近い。

この絶望的な状況で、彼女は死を覚悟した。

その瞬間。

今まで微動だにしなかったゼノの目が、カッと見開かれた。

その黒い瞳には、星空のような古代の光が宿っていた。

彼はゆっくりと体を起こす。

そしてその手に握られた白銀の槍が、彼の意志に応えるように宙へと浮いた。


「……邪魔だ」

ゼノが呟く。

彼は槍をサンドワームに向けた。

特別な構えはない。

ただ静かにそこにあるだけ。

だが槍の穂先から、凝縮された純粋な力の粒子が溢れ出していく。

次の瞬間。

ゼノの腕から光の奔流が放たれた。

それは魔法ではない。

詠唱も術式もない。

ただ神器が持つ根源的な破壊の力が解放されただけ。

光はサンドワームを飲み込み、一瞬の閃光の後、その巨大な体を塵も残さず消滅させた。

そしてその余波はさらに先へと伸び、遠くの岩山をえぐり取り、砂漠の地形を永遠に変えてしまった。


「……」

フィオラはそのあまりにも規格外の力の光景に、言葉を失った。

あれが神器の力。

神を殺すための力。

だが同時に彼女は見た。

その絶大な力を放った後、ゼノがその場に崩れ落ち、激しく咳き込む姿を。

彼の腕は力の反動で、焼けただれたように赤く腫れ上がっている。


神器の力は解放された。

だがそれはあまりにも不完全で、そして危険な力だった。

今のゼノの体では、その絶大な力に耐えきれない。

下手に使えば自分自身を破壊しかねない、諸刃の剣。

二人は手に入れた力の巨大さと、その代償の大きさを同時に思い知らされた。


フィオラはゼノの元へ駆け寄った。

彼女は自分のマントを破り、彼の焼けただれた腕に手当てをする。

「……無茶をしすぎですわ」

「……お前こそ」

ゼノは痛みに顔を歪めながらも笑った。

二人は互いの無事を確認し、安堵の息をついた。

彼らの手には今、世界を変える力がある。

だがそれはまだ不完全で、未熟な力。

この力を使いこなし、リィナを救うための道はまだ遠い。


二人は再び立ち上がった。

新たな武器と新たな課題を胸に。

彼らの旅は、より過酷なものへと変わっていく。

だが二人の心は決して折れなかった。

互いが隣にいる限り。

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