第41話:語られざる神話
古都アイギスを後にしてから、数日が過ぎた。
ゼノとフィオラの旅は、これまでの人生で経験したことのない過酷なものだった。
街道を外れ、地図にも載っていない険しい山岳地帯を進む。
昼は崖を登り深い森を抜け、夜は洞窟で獣の遠吠えを聞きながら火を囲む。
だが二人の間に悲壮感はなかった。
むしろその目は生き生きと輝いていた。
ゼノは生きていくための知恵と技術を存分に発揮した。
彼は罠を仕掛けて食料を確保し、薬草を見つけては傷薬を作った。
フィオラはその圧倒的な剣技で、二人を襲う魔獣を一蹴した。
お互いが持っていないものを補い合う。
その当たり前の事実が、二人の間に言葉以上の強い信頼関係を築き上げていた。
令嬢とブランクではない。
ただ対等な二人の旅の仲間がそこにいた。
胸元の銀のロケットが時折温かい光を放ち、進むべき道筋を示してくれる。
それはまるで見えざる運命の糸に導かれているかのようだった。
そして旅が始まってから七日目の午後。
ロケットは今までで最も強い光を放った。
その光が指し示したのは、巨大な滝の裏側だった。
「……この奥に何かあると?」
フィオラが尋ねる。
「ああ。行ってみよう」
ゼノが頷く。
二人は水しぶきで全身を濡らしながら、滝の裏側へと足を踏み入れた。
そこには苔むした岩壁があるだけのはずだった。
だがゼノの鋭い目が、岩肌に刻まれた不自然な直線を見逃さなかった。
それは自然にできたものではない。明らかに人の手によって作られた、巨大な石の扉の輪郭だった。
二人が力を合わせ、その石の扉を押し開ける。
ゴゴゴゴと、永い眠りから覚めるような重い音を立てて扉が開かれた。
その奥から、ひんやりとしてどこまでも神聖な空気が流れ出してくる。
それは数千年の時を封じ込めた、古代の神殿だった。
*
神殿の内部は静寂に包まれていた。
壁には魔力で輝く鉱石が埋め込まれ、まるで星空のように内部を照らしている。
建築様式は二人が知るどの時代のものとも異なっていた。
より古く、そしてより根源的な何かの力を感じさせる。
二人は吸い寄せられるように、神殿の最深部、巨大な広間へとたどり着いた。
そして、そこで彼らは息をのんだ。
広間の壁一面に、壮大な物語が巨大な壁画として刻まれていたのだ。
それは中央神殿が教える創世神話とは全く異なる。
決して語られることのなかった、もう一つの神話だった。
最初の壁画には、生命力に満ち溢れた原始の世界が描かれていた。
巨大な世界樹のような木があり、全ての魂はそこから生まれ、一つの生を全うし、そしてまたそこへと還っていく。
輪廻転生ではない。
ただ壮大な生命の循環。
それがこの世界の本来の姿だった。
次の壁画で事態は一変する。
空から冷たい幾何学的な光の存在たちが舞い降りてくる。
神々、『天上の観測者』の到来だった。
彼らは救世主ではない。
その姿は冷酷な侵略者として描かれていた。
三番目の壁画は、壮絶な戦争の絵図だった。
古代の人々は神々に抵抗した。
神々が全ての魂を管理し支配するためのシステム、『ディヴィナ・サイクル』の導入を拒み、戦ったのだ。
そして、四番目の壁画。
人々は神々に対抗するための最後の希望を作り出す。
天から落ちてきた星の欠片と、この大地そのものの生命力を注ぎ込み、一本の輝く武具を鍛え上げた。
その名は――
『神殺しの神器』。
五番目の壁画では、一人の英雄がその神器を手に神々と対峙していた。
神器の一撃は、神の分身体を完全に消滅させ、魂をディヴィナ・サイクルから切り離す力を持っていた。
だが物語の結末は悲劇だった。
最後の壁画には、敗北した英雄たちと、完成したディヴィナ・サイクルによって魂が強制的に回収されていく人々の姿が描かれていた。
神々は勝利したのだ。
そして彼らは自らを創造主と偽り、この偽りの歴史を世界に根付かせた。
『神殺しの神器』は砕かれ、その欠片は世界のどこかへと隠された。
*
壁画の物語が終わった時、ゼノとフィオラは言葉を失っていた。
これが真実。
エルダの教えは正しかった。
神々は創造主などではない。
この世界の魂を支配する征服者だったのだ。
そして魂狩りはその支配に気づき、歪んだ形で反旗を翻した反逆者。
「……なんということ」
フィオラが震える声で言った。
「わたくしたちはずっと騙されていた。この世界の全てが、神々の作り出した巨大な嘘だったというのですか」
その時ゼノは、広間の隅に何か新しい痕跡があることに気づいた。
まだ真新しい焚き火の跡。
そしてその灰の中に、見覚えのある紋章が描かれた黒い布の切れ端が落ちていた。
魂狩りの紋章だった。
「……!」
奴らもここに来ていたのだ。
彼らもまたこの語られざる神話を追い、そして『神殺しの神器』の行方を探している。
リィナを救うための旅は、いつの間にか世界の運命を左右する神器を巡る、魂狩りとの争奪戦へと変貌していた。
ゼノは胸元のロケットを握りしめた。
その光は神殿のさらに奥、北の方向を強く指し示している。
それはもはや、ただノアの居場所を示すだけの光ではない。
砕かれた『神殺しの神器』の欠片が眠る場所を示しているのだ。
二人は顔を見合わせた。
その瞳には恐怖と、そしてそれを上回る強い決意が宿っていた。
世界の真実を知ってしまった今、もう後戻りはできない。
彼らは語られざる神話が眠る古代神殿を後にした。
その背中には、世界の秘密というあまりにも重い宿命を背負って。
旅の目的はより明確に、そしてより危険なものとなった。
光が導くその先へ。
二人の本当の戦いが始まろうとしていた。




