第3話:前世発表会という名の処刑台
王立転生学園には、年に一度、生徒たちにとって最も重要と言っても過言ではないイベントが存在する。
その名は、『前世発表会』。
それは、生徒が自身の魂に刻まれた最も輝かしい『深層記憶(魂の刻印)』を、全校生徒と貴族や教職員たちの前で披露する晴れ舞台。ある者は、前世で編み出した秘伝の剣技を。ある者は、賢者だった時代の叡智を。またある者は、大芸術家だった頃の作品を再現してみせる。
この発表会での評価は、生徒の魂の格、ひいては家門の名誉に直結する。エリートである彼らにとって、自らのルーツの偉大さを証明する、一年で最も誇らしい日。
――だが、ゼノにとっては、その告知は死刑宣告に等しかった。
「……前世発表会、だと?」
掲示板に貼り出された告知を見つめるゼノの背筋を、冷たい汗が伝う。
周囲の生徒たちは、すでに興奮気味に自分たちのプランを語り合っていた。
「よし、俺は前世の『竜騎士』の魂に刻まれた、模擬竜を使役する降竜の儀を披露するぞ!」
「私は『宮廷薬師』だった頃の記憶から、万能薬エリクサーの調合を再現してみせるわ」
熱気に満ちた喧騒が、ゼノの耳にはまるで遠い世界の音のように聞こえる。
前世を持たない。
魂に刻まれた記憶など、何一つない。
この発表会は、彼にとって「持たざる者」の烙印を、全校生徒の前で改めて押されるだけの公開処刑に他ならなかった。
(どうする……)
思考が、焦りで行き詰まる。
仮病で休むか? だが、そんなことをすれば臆病風に吹かれたと嘲笑され、来年の発表会まで一年間、針のむしろに座り続けることになる。
かといって、何かを披露しようにも、彼には何もない。孤児院で身につけた護身術や生存術は、魂の輝きとは無縁の、泥臭い「技術」だ。魂の偉大さを讃えるこの場で披露すれば、さらなる侮蔑を買うだけだろう。
ステージの上で、ただ「私には何もありません」と頭を下げることしかできないのか。
それは、彼のプライドが許さなかった。いや、それ以上に、生き残るための戦略として最悪手だった。無価値の烙印を押された者に、この学園での平穏な生活など訪れない。
(処刑台、か……)
ゼノは自嘲気味に呟いた。まさしく、今の彼にとって、華やかな発表会のステージは断頭台以外の何物でもなかった。
*
その日から、ゼノの図書館通いは、さらに切実なものとなった。
彼が探すのは、もはや生存術の本ではない。学園の規則集、過去の判例、式典の次第書。藁にもすがる思いで、この処刑から逃れるための抜け道を探していた。
「……前例なし、か」
分厚い記録書を閉じ、ゼノは深いため息をついた。過去数百年の歴史の中で、前世発表会を不参加で切り抜けた生徒は、死傷やそれに準ずる重病以外に例がなかった。
(万事休すか……)
頭を抱え、書架の影でうずくまる。焦りと絶望が、じわじわと彼の心を蝕んでいく。
その時、ふわりと、本の香りとは違う、どこか儚げな匂いがした。
「……何か、探しもの?」
顔を上げると、そこにリィナが立っていた。感情の読めない瞳で、彼の手元にある規則集を見下ろしている。
彼女のユニークスキル《魂魄共鳴》 は、ゼノの魂が放つ焦燥感を正確に感じ取っているのだろう。
「別に。ただの暇つぶしだ」
ゼノは、ぶっきらぼうに答えて本を閉じた。この少女には、なぜか心の壁をやすやすと越えてこられるような、不思議な危うさがある。
リィナはそれ以上追及せず、ただ静かに彼の隣に腰を下ろした。
「過去は、誰にとっても重荷になることがあるわ。輝かしい過去は、今の自分を縛る枷に。辛い過去は、未来を曇らせる霧になる」
まるで、自分に言い聞かせるように彼女は呟く。その横顔は、999回以上もの転生で魂が摩耗しきっているという彼女の背景を、雄弁に物語っていた 。
「……持っているだけマシだろう」
ゼノの口から、苛立ちの混じった本音が漏れた。
「君たちには、語るべき過去がある。それがどんなものであれな。俺には何もない。生まれた時から今まで、白紙のままの、空っぽの魂だ」
「白紙……」
リィナは、その言葉を繰り返した。そして、初めて見るような、穏やかな笑みを浮かべた。
「素敵じゃない。白紙のページは、これから何だって書けるということよ。誰の記憶にも縛られず、あなただけの色で、あなただけの物語を。それは、誰にも真似できない、とても凄いこと」
その言葉は、ゼノの心に小さな波紋を広げた。
俺だけの物語。
今まで考えたこともなかった視点だった。常に「持たざる者」として、どうやって欠落を埋めるか、どうやって他者から隠すか、そればかりを考えてきた。
だが、彼女は「何もない」ことを「何でも書ける」と捉えた。
それは、解決策ではなかった。だが、暗闇の中に差し込んだ、一条の光のように思えた。
「……ありがとう」
ゼノは、それだけをぽつりと呟いた。
*
そして、運命の日がやってきた。
学園の大講堂は、着飾った貴族や有力者たちで埋め尽くされている。ステージの上には煌びやかな照明が灯され、これから始まる魂の饗宴への期待で、会場全体が浮き足立っていた。
発表は、順調に進んでいく。
ある者は、前世の『大魔導師の魂』の片鱗を見せ、詠唱なしで複雑な属性魔法を披露した。
またある者は、『将軍の魂』が持つユニークスキル《絶対指揮》 の模擬戦術を盤上で再現し、喝采を浴びた。
そして、ひときわ大きな拍手と共にステージに現れたのは、フィオラ・フォン・アストリアだった。
凛とした立ち姿で一礼すると、彼女は一本の剣を構えた。
「我が魂に刻まれしは、初代『剣聖』の剣技。その一端、ご覧ください」
次の瞬間、彼女の体が舞った。それは、ただの剣舞ではない。彼女の魂そのものが、剣と一体化しているかのようだった。パッシブスキルである《剣聖の魂》 が、彼女の身体能力を極限まで高め、歴代の剣聖が振るった剣筋を完璧に再現させる。
仕上げに、彼女は剣に自らの魔力を注ぎ込んだ。アクティブスキル《魔力剣》 の発動だ。青白い光を帯びた剣が空を切り裂くたびに、斬撃の軌跡が光の尾となって空間に描かれる。
それは、あまりにも美しく、そして圧倒的な「歴史」の証明だった。
万雷の拍手の中、フィオラは優雅に一礼してステージを降りた。
会場の興奮が冷めやらぬ中、司会の教師が次の名前を読み上げる。
「――続きまして、ゼノ君。魂歴……ブランク」
その瞬間、会場の空気が凍りついた。
熱気は急速に冷え、嘲笑と好奇の囁きに変わる。
「ブランク? あの特待生か」
「一体、何を披露するというのだ? 何も持っていないのに」
「見世物だな」
全ての視線が、矢のように突き刺さる。
ゼノは、ゆっくりと立ち上がった。
処刑台への階段を、一歩、また一歩と上っていく。
スポットライトの中心に立つと、まばゆい光に目が眩んだ。頭が真っ白になりそうになるのを、奥歯を噛みしめてこらえる。
彼は、何も持たずにステージに上がった。剣も、本も、何もない。
(リィナ……俺は、俺だけの物語を書けるだろうか)
彼は深く、息を吸った。そして、静まり返った会場に向かって、はっきりと告げた。
「俺の魂には、過去がありません。語るべき英雄の記憶も、再現すべき賢者の魔法も、何一つ刻まれていません」
ざわめきが大きくなる。やはり、何もできないのだと、誰もが思った。
だが、ゼノは続けた。
「ですが、過去を持たない魂は、過去に縛られない魂です。過去の栄光に頼ることも、過去の失敗に怯えることもない。ただ、ひたすらに『今、この瞬間』にのみ、全ての意識を注ぐことができる」
彼は司会の教師に向き直った。
「先生。そのポケットに入っている銀貨を一枚、お借りできますか」
教師は訝しげな顔をしながらも、銀貨を取り出す。
「それを、できるだけ高く、上へ投げ上げてください」
教師が、言われるがままに銀貨を宙に放った。銀貨はきらりと光を反射しながら、放物線を描いて上昇していく。
その瞬間――ゼノは、彼のユニークスキルを発動させた。
《瞬間集中》
世界から、音が消えた。
彼の思考だけが極限まで加速し、周囲の時間の流れが、まるで固まったかのように遅くなる。宙を舞う銀貨の、不規則な回転の一つ一つが、コマ送りの映像のようにスローに見える。
身体能力は変わらない 。だが、それで十分だった。
彼は、ゆっくりと歩き出した。
観客の目には、ゼノの姿がブレて見えるほどの、瞬間的な踏み込みに見えただろう。
彼は、回転しながら上昇し、やがて重力に引かれて落下に転じる、その一瞬――銀貨が空中で完全に静止する、物理法則上のただ一点――に向かって、正確に手を伸ばした。
指先が、冷たい金属に触れる。
次の瞬間、ゼノは元の場所に戻っていた。加速した思考を停止させると、世界の時間が再び正常に流れ出す。
彼の掲げた右手の人差し指の上には、あの銀貨が、ぴたりと静止して乗っていた。
会場は、水を打ったように静まり返っていた。
何が起こったのか、ほとんどの人間が理解できていない。ただ、ありえない光景が目の前で起きたことだけは分かった。
ゼノは、指の上の銀貨を観客席に向け、静かに告げた。
「これは、過去の記憶の再現ではありません。ただ、この一度きりの生を生き抜くために、俺自身が磨き上げた技術です」
彼はそこで言葉を切ると、真っ直ぐに客席を見据えた。
「魂に過去がないのなら、今、この瞬間から、俺の歴史を始めればいい。これが、俺の『前世発表会』です」
沈黙。
やがて、客席の一角から、パチ、パチ、と拍手が響いた。
それは、学園長イライザ・マーロウだった。彼女は面白そうに口元を歪め、ゼノに称賛の拍手を送っている。
それにつられるように、まばらな拍手がいくつか起こった。それは、称賛というよりは、理解を超えたものへの困惑と、ほんの少しの畏怖が混じった音だった。
フィオラは、信じられないものを見る目で、ステージ上のゼノを凝視していた。
そして、客席の後ろの方で、リィナが、ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑んでいた。
ゼノは、一礼すると、静かにステージを降りた。
処刑台から、生きて還ってきたのだ。いや、処刑台そのものを、己の始まりのステージへと変えてみせたのだ。
彼の、誰にも真似できない、一度きりの物語が、今、確かに始まった瞬間だった。