第38話:長老エルダの教え
館の扉が閉まると、外の光は完全に遮断された。
闇に目が慣れるまでの一瞬の沈黙。
やがて二人の前に柔らかな光が灯った。
それは壁に自生する淡く光る苔や、天井から吊るされた水晶のシャンデリアから放たれる温かい光だった。
館の内部は巨大な木の洞そのもの。
古い木の香りと、静かで神聖な空気が二人を包み込む。
部屋の中央で、一人の小柄な老婆が静かに座っていた。
その皺の一つ一つに、この街の永い歴史が刻まれているかのようだ。
彼女こそが古都アイギスの長、エルダだった。
その古代の琥珀のような瞳が、まずフィオラを捉えた。
「……ラウラの娘か。母の面影がある」
その声は老婆のものとは思えぬほど澄んでいた。
彼女はフィオラをアストリア家の令嬢としてではない。ただ一人の親しい娘の子供として見ていた。
そしてその視線は、静かにゼノへと移される。
エルダは驚かなかった。
彼女は全てを知っているかのように、穏やかに告げた。
「そしてお主が『印』を持つ者じゃな。……よう参られた。ずっと待っておったぞ」
「わたくしたちはリィナを、仲間を救うために参りました!」
フィオラが切迫した声で事情を説明しようとする。
だがエルダはそれを静かに手で制した。
「分かっておる。全ては繋がっておるからの。お主たちが追うノアの足跡も、魂狩りの影も、そしてこの世界の成り立ちも」
彼女は語り始めた。
それはこの世界の誰も知らない、創世の真実だった。
「遥か昔。神々がこの世界を創り出すさらに昔。魂はただ一つの命を生き、そして母なる大地の源流へと還っていった。輪廻など存在せぬ。ただ一度きりの輝き。それが魂の本来の姿じゃった」
エルダの言葉は、ゼノの心の奥底に静かに染み込んでいく。
「だが神々はそれを良しとしなかった。彼らは、魂が放つエネルギー『アニマ』を効率よく収穫するための壮大な牧場を創り出した。それこそが『ディヴィナ・サイクル』。お主たちが常識と信じておる輪廻転生の正体じゃ」
魂は家畜。
世界は牧場。
そのあまりにも衝撃的な事実に、フィオラは言葉を失った。
「神々は魂に前世という偽りの歴史を与え、競争させ高め合わせることで、より質の良いアニマを生み出させようとした。だが、そのシステムには欠陥があった。魂の摩耗じゃ。繰り返される転生は、魂の核そのものをすり減らし、やがて輝きを失わせる。……お主たちの仲間のようにの」
エルダは深く息をついた。
「我らアイギスの民は、その神々の支配を拒み、古からの教えを守り続けてきた。魂の価値は歴史ではない。ただ一度きりの生をいかに輝かせるか。それこそが全てじゃと」
その教えは、ゼノの生き方そのものだった。
そしてフィオラが今、必死に掴み取ろうとしている生き方でもあった。
「ノアは我らの中でも最も優秀な魂魄工学の研究者じゃった」
エルダは続ける。
「彼は信じておった。魂の始まりの場所、『魂の箱舟』の存在をな。それは神々のシステムに汚されていない、全ての魂の源流。そこに辿り着き、その純粋な生命エネルギーに触れることができれば、燃え尽きた魂でさえも再びその輝きを取り戻せるやもしれぬ、と」
「その箱舟は、どこに!」
ゼノが身を乗り出す。
「分からぬ。それは場所ではないのかもしれん。だがノアはその鍵を知っていた。箱舟へと至るための唯一の道標。それこそが……」
エルダはゼノを真っ直ぐに見た。
「……神々のサイクルから完全に外れた、始まりの魂。お主のような『規格外の魂』じゃ」
ノアが残した銀のロケット。
それは地図ではない。コンパスなのだ。
ゼノの魂に共鳴し、この世界のどこかに残された古代のエネルギーの痕跡を指し示す羅針盤。
彼らの次なる旅は、そのロケットが導く未知の場所へと続く。
エルダは最後に厳しい顔で二人を見つめた。
「お主たちの進む道は茨の道じゃ。神々の秩序に弓を引く異端者の道。魂狩りだけが敵ではない。世界のシステムそのものが、いずれお主たちを排除しに来るだろう」
彼女はフィオラに問うた。
「ラウラの娘よ。お主は父の家門の全てを敵に回す覚悟があるか?」
フィオラは迷わなかった。
「わたくしの道はわたくしが決めます。そして、その道はこの者たちの隣にあります」
その瞳にはもう一片の迷いもなかった。
エルダは満足そうに頷いた。
彼女は二人に古い地図と、旅のための食料を手渡した。
そして、最後にこう告げた。
「勝者が記した歴史を信じるな。己の目で見たものと、己の魂が真実だと告げる声だけを信じるのじゃ」
館を後にした二人の心は晴れやかだった。
目的がより明確になった。
彼らの旅はもはや、ただ仲間を救うためのものではない。
この世界の偽りの真実を暴き、神々の支配から全ての魂を解き放つための壮大な反逆の旅。
その第一歩が今、この古都アイギスから始まろうとしていた。
胸元の銀のロケットが、かすかに温かい光を帯びている。
それは次の目的地を示唆しているかのようだった。




