第36話:世界の秘密の欠片
夜が明け森の洞窟に朝の光が差し込む。
ゼノは一睡もせずにリィナのそばに座っていた。
彼女は眠っているようにしか見えない。
だがその魂の輝きは完全に消え失せている。
その静かすぎる寝顔がゼノの心を締め付けた。
「……ゼノ」
フィオラが彼の隣に静かに腰を下ろした。
彼女の瞳にも深い疲労と悲しみの色が浮かんでいた。
「これからどうしますの?」
その問いはあまりにも重かった。
彼らはソウルガードとしての任務を放棄している。
王都に戻れば厳しい尋問が待っているだろう。
リィナのこの特殊な状態を軍がどう扱うかも分からない。
最悪の場合、研究対象としてどこかへ隔離されてしまう可能性さえあった。
「……戻ることはできない」
ゼノは決断した。
「俺たちは俺たちのやり方でリィナを救う。そのためにはこのノアという男を探し出すしかない」
「ええ。わたくしも同感ですわ」
フィオラは迷いなく頷いた。
その時、今まで意識が朦朧としていたドクター・アグネスがゆっくりと身を起こした。
「……あの」
彼女は三人に深々と頭を下げた。
「あなたたちのおかげでわたくしは目を覚ますことができました。そして取り返しのつかない罪を犯したことも理解しました。この罪は一生をかけても償えません。ですが、せめて……」
彼女はゼノに向き直った。
「あの子……リィナさんのことはわたくしに任せていただけないでしょうか。王都から離れた場所にわたくしの古い知人が管理する小さな診療所があります。そこならば誰にも知られず彼女の体を安全に預かることができます」
それは危険な提案だった。
だがゼノにはもはや彼女を信じるしか道はなかった。
*
ドクター・アグネスが手配した馬車が来るまでの間、ゼノとフィオラは彼女から託された銀のロケットを調べていた。
それはどんな金属でできているのか分からない。
ひんやりとして滑らかで継ぎ目がどこにも見当たらなかった。
「……これはただの装飾品ではありませんわね」
フィオラはそのロケットの表面に刻まれた微細な紋様を指でなぞった。
「この彫金技術、わたくしの知るどの時代の様式とも違う。まるで神話の時代の遺物のようですわ」
ゼノは苛立ちに任せてロケットを無理やりこじ開けようとした。
だがそれはびくともしない。
その時だった。
ゼノの指先からほんの僅かな魂のエネルギーがロケットに触れた。
それは無意識の行動だった。
するとロケットは淡い光を放った。
そしてその光は洞窟の壁に一つの複雑な紋章を映し出した。
それは鳥のようでもあり目のようでもあり、そして鍵のようでもある不思議な形。
紋章は数秒で消えた。
だがそのイメージは二人の脳裏に焼き付いて離れなかった。
「今のは……」
「このロケット、俺の魂に反応したのか……?」
世界の秘密の欠片。
ノアが残した唯一の手がかり。
それはゼノという規格外の魂にしか反応しない古代の鍵だったのだ。
だが、あの紋章が何を意味するのか。
二人には見当もつかなかった。
*
「……クロエさんに連絡を取るしかありませんわ」
フィオラが言った。
「彼女ならばこの紋章について何か知っているかもしれない」
それは大きな賭けだった。
任務を放棄した自分たちが本部に連絡を取ること。
それが何を意味するか二人とも分かっていた。
だが今の彼らに他に頼れる相手はいない。
ゼノはクロエから万が一の時のためにと渡されていた特殊な通信用の魔晶石を取り出した。
そして彼は簡潔にメッセージを送った。
『任務失敗。ヴァレリーと交戦、退却された。リィナ戦闘不能。我々はこれより独自に彼女を救うための情報を追う。ノアという男が残したこの紋章に心当たりはないか』
彼は魔晶石の機能を使って先ほどの紋章のイメージを添付した。
返信はすぐには来なかった。
一時間がまるで一日のように長く感じられる。
自分たちは見捨てられたのか。
あるいはすでに取り立てが差し向けられているのか。
ゼノが焦りを感じ始めたその時、魔晶石が微かに振動した。
クロエからの返信だった。
その文面は彼女らしく簡潔でそして衝撃的だった。
『ノアはただの伝説。公式記録には存在しない。だがその紋章……見たことがある。禁書庫の古文書で。それは神々の輪廻システムを拒絶し古代からの独自の文化を守り続ける一族の紋章よ』
そしてメッセージはこう締めくくられていた。
『その一族が住むと言われる伝説の土地の名は「古都アイギス」。行きなさい。あなたたちの追跡記録はわたくしができる限り改竄しておく。……失敗は許されないわよ』
古都アイギス。
聞いたこともない地名。
だがそれが彼らの次なる目的地だった。
*
やがてアグネスが手配した目立たない幌馬車が洞窟の入り口に到着した。
ゼノは眠り続けるリィナの体をそっと馬車の荷台に横たえる。
アグネスが彼の前に立った。
「……どうかあの子をよろしくお願いします」
「ああ。必ず助け出す」
ゼノは力強く頷いた。
馬車がゆっくりと森の奥へと消えていく。
その姿が見えなくなるまでゼノはその場を動けなかった。
フィオラが彼の隣に立った。
「……行きますわよ、ゼノ」
彼女の声が彼の背中を押す。
「わたくしたちの旅が始まります」
ゼノは胸元の銀のロケットを強く握りしめた。
それはただの金属の塊ではない。
リィナの命。
そしてこの世界の隠された真実に繋がる唯一の道標。
彼はフィオラと共にアイギスへと続く道を見据えた。
世界の秘密の欠片を手に。
仲間を救うというただ一つの目的のために。
二人の終わりも分からぬ長い旅が今静かに始まった。




