第34話:リィナの覚悟
ヴァレリーが闇の中へと姿を消した。
後に残されたのは、不気味に稼働し続ける魂魄吸引装置。
そして、疲労困憊の三人の若者たち。
「……リィナ!」
ゼノの悲鳴のような声が、静かな実験室に響いた。
ヴァレリーを退ける最後の一撃を放ったリィナが、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちたのだ。
その体は以前にも増して透き通り、まるで存在そのものが薄れてしまったかのようだった。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
ゼノが彼女の体を抱き起こす。
その手を通して伝わってくる、リィナの生命力のか弱さ。
まるで風の前の灯火のようだ。
「……ごめん、なさい」
リィナはか細い声で謝った。
「少し魂を使いすぎちゃったみたい……」
彼女は自らの魂の状態を誰よりも正確に理解していた。
先ほどのヴァレリーへの抵抗。
それは彼女の魂に残された僅かな寿命を燃料にして燃やした、最後の輝きだった。
勝利の代償はあまりにも大きかった。
彼女の最期の時は、確実に、そして急速に近づいていた。
「……すぐにここを出るぞ」
ゼノは決断した。
「ガウェイン隊長に報告し、応援を呼ぶ。お前の治療が最優先だ」
彼はリィナを抱え上げようとした。
だがリィナは静かに、しかし力強く首を振った。
その薄氷のような体からは想像もできないほどの強い意志の力が、ゼノの腕を押しとどめた。
「……駄目」
「何を言ってる! お前は、今にも……!」
「駄目なの」
リィナはゼノの目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳の奥にはもう諦観も死への憧憬もなかった。
そこにあるのは燃えるような覚悟の光だった。
「わたくしたちがここを離れれば、この機械は動き続ける。ここにいる人たちの魂は完全に失われてしまうわ」
彼女はベッドに横たわる虚ろな患者たちを見た。
「あなたが命を懸けて守ってくれた、わたくしの『今』。この最後の時間を、彼らを見捨てて終わらせたくない」
それが彼女の答えだった。
ただ生き延びるのではない。
ただゼノの隣にいるだけでもない。
彼が教えてくれた一度きりの時間の尊さ。
その尊さを守るために、自らの残り少ない命を使う。
それこそが彼女が見つけ出した本当の生きる意味。
「……これが、わたくしの覚悟よ」
リィナはフィオラの肩を借り、ゆっくりと立ち上がった。
「この最後の生を誰かのために使い切りたい。あなたがそうしてくれたようにね、ゼノ」
そのあまりにも真っ直ぐな言葉に、ゼノは何も言い返せなかった。
彼はただ唇を強く噛みしめた。
*
リィナはふらつきながらも、魂魄吸引装置の前に立った。
その中央で不気味な光を放つ黒水晶。
その中には数十人分の魂の粒子が、悲しげに渦巻いている。
「……ひどい術。でも、この術の理屈はわかるわ」
彼女は静かに言った。
彼女のユニークスキル《根源魔法》は、世界の理に直接干渉する古の魔法。
この魂魄吸引装置もまた、その古の魔法の知識を歪んだ形で応用したものだった。
故にリィナは、この機械の構造を本能的に理解できた。
「この機械をただ破壊しただけでは駄目。中の魂も一緒に砕け散ってしまう。……やらなければならないのは逆流。水晶に集められた魂の粒子を、安全に元の体へと還すこと」
「そんなことが、可能なのか!?」
ゼノが叫ぶ。
「……分からない。でも、やるしかない」
リィナは静かに微笑んだ。
「そのために、この力はあるのだと思うから」
フィオラはその無謀な試みの危険性を即座に理解した。
「……正気ですの? そんなことをすれば、あなたの魂が……!」
「ええ。きっと空っぽになるわね」
リィナはあっさりと言った。
「でも、いいの。これがわたくしの選んだ最後の生き方だから」
その覚悟を前にしてはフィオラも、もはや言葉を失うしかなかった。
彼女はただ黙ってリィナの隣に立ち、その肩を支える。
それが仲間として彼女ができる唯一のことだった。
*
リィナは深呼吸をすると、その震える両手を黒水晶の上に置いた。
ゼノとフィオラは剣を抜き、彼女の背後を固める。
何が起こるか分からない。
ヴァレリーが戻ってくるかもしれない。
あるいはこの実験室そのものが暴走するかもしれない。
だが彼らはリィナの覚悟を最後まで見届けると決めていた。
リィナが精神を集中させる。
彼女の体から淡い金色の光が溢れ出した。
それは彼女の魂そのものの輝き。
その光が黒水晶へと流れ込んでいく。
「――還りなさい」
リィナの囁き声が響く。
「あなたたちの、還るべき場所へ」
すると黒水晶の中で禍々しく渦巻いていた紫色の魂の粒子が、その動きを止めた。
そしてゆっくりと、金色に輝くリィナの魔力に導かれるように、元の持ち主へと流れ始めた。
管を通って光の粒子が、ベッドに横たわる患者たちの体へと戻っていく。
虚ろだった患者たちの表情に、微かに生気が戻り始めた。
だがその奇跡の代償は、あまりにも大きかった。
魂を還すごとにリィナの体の輝きは失われ、その輪郭はどんどん薄くなっていく。
彼女は自らの魂を削り、他の魂を救っているのだ。
「リィナ!」
ゼノが叫ぶ。
もうやめろ、と。
だがその声は彼女には届かない。
彼女はただ穏やかに微笑みながら、その魂の全てをこの儀式に注ぎ込んでいた。
その時だった。
バキッと、黒水晶に大きな亀裂が入った。
魂の逆流に機械が耐えきれず、暴走を始めたのだ。
実験室全体が激しく揺れ始める。
天井から火花が散り、壁が崩れ落ちていく。
「まずい! この部屋が崩れるぞ!」
フィオラが叫んだ。
だが、リィナは動かない。
彼女は最後の一人の魂が還るまで、決してこの場を離れるつもりはなかった。
ゼノは決断した。
彼はリィナの体を無理やり抱きかかえると、フィオラに叫んだ。
「出口を確保しろ!」
ゼノがリィナを抱えたその瞬間。
黒水晶はその限界を超えた。
眩いほどの純粋な光が、亀裂から溢れ出す。
そして次の瞬間、巨大な爆発が全てを飲み込んだ。
リィナの覚悟は果たして報われたのか。
そして、彼女の魂は。
爆炎と閃光の中で、ゼノの意識は途切れた。
彼の腕の中には、もはや重さを失ってしまったかのような、少女の温もりだけが残っていた。




