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第2話:魂歴至上主義の教室

王立転生学園における一日は、魂の価値を再認識させるための時間で埋め尽くされている。昨日が歴史の講義なら、今日は魂魄理論アニマ・セオリー。教鞭を執る老教師は、自身の魂歴が45回であることを誇らしげに語りながら、熱弁を振るっていた。


「よいか、諸君。我々の社会の安定は、偉大なる魂の継承によって成り立っておる。魂歴50回以上の『上級貴族ハイボーン』は、まさに生ける伝説。魂歴20回以上の『貴族ノーブル』は、国家を支える柱石。そして、大多数の『平民コモナー』もまた、前世の経験を活かして社会の歯車となる 。これぞ神々が与え給うた、最も合理的で揺るぎない秩序なのだ」


教室は、選民思想の熱に浮かされていた。生徒たちは皆、自分がその「秩序」の上位にいることを疑わず、恍惚とした表情で教師の言葉に聞き入っている。


「例えば――フィオラ・フォン・アストリア嬢」

教師が、教室の最前列に座る一人の女子生徒に声をかけた。

夕日に照らされたような美しい銀髪。背筋を伸ばしたその立ち姿は、一輪の花のように気高い。


「君が受け継ぐ『剣聖の魂』は、王国建国以来、幾度となく国を救ってきた。その魂を持つ者として、君の責務とは何かね?」


指名されたフィオラは、優雅に立ち上がると、迷いのない透き通った声で答えた。

「『剣聖の魂』に刻まれた剣技を磨き上げ、家の名誉と伝統を守り、王国に仇なす全ての敵を打ち払うこと。それがアストリア家に生まれた私の、唯一にして絶対の使命です」


完璧な答えだった。誇り高く、揺るぎない。教師は満足げに頷き、他の生徒たちも尊敬と羨望の眼差しを彼女に向ける。

ゼノは、その後ろの席で腕を組みながら、その光景を冷ややかに眺めていた。


(使命、か……)

彼女の言葉に嘘はないのだろう。だが、それは本当に彼女自身の言葉なのだろうか。それとも、62回もの転生を繰り返してきた『剣聖の魂』が、彼女に言わせているだけなのだろうか 。


この教室では、誰も「今」を生きる個人を見ていない。見ているのは、その魂が持つ過去の経歴キャリアだけだ。まるで、履歴書を眺めて悦に入っている面接官の集まり。個人の意志や努力よりも、前世の功績が絶対的な価値を持つ。それが、この『魂歴至上主義の教室』の正体だった。


(くだらない)

ゼノは誰にも聞こえないように呟き、静かに目を閉じた。この教室にいると、自分がまるで存在しない人間であるかのような錯覚に陥る。いや、彼らにとっては、実際にそうなのだろう。前世キャリアのない『ブランク』は、白紙の履歴書と同じ。評価のしようがない、無価値な存在なのだから。



午後の授業は、実技訓練だった。

広大な訓練場に集められた生徒たちは、魂に刻まれたスキルを解放し、模擬戦闘を繰り広げている。炎の剣が舞い、風の刃が走り、守護の障壁が輝く。前世から受け継いだ力と力がぶつかり合う光景は、壮観ですらあった。


もちろん、そこにも魂歴カーストは存在する。魂歴の高い者同士が組み、互いの技を高め合う。魂歴の低い者は、それを羨望の眼差しで見つめるか、同じような境遇の者と地味な打ち合いに終始する。


そして、ゼノは――そのどちらにも属さず、一人壁際に立っていた。

誰も、『ブランク』と組みたがる者などいない。彼と組むことは、時間の無駄であり、魂の成長を放棄することだと考えられていた。教官ですら、腫物のように扱う彼を放置している。それはゼノにとって好都合でもあったが、同時に、突きつけられる孤独を実感する時間でもあった。


そんな中、もう一人、訓練の輪から外れている生徒がいた。

噴水の縁に、ただ静かに座っている少女。先日、ゼノが中庭で見かけた転校生、リィナだった。


彼女もまた、この教室では異質な存在だった。

魂歴は『測定不能』。魔力総量(MP)は学園歴代最高のSSSランクを記録したが、魂魄強度(HP)は最低のEランク 。あまりに極端なステータスに、教官たちも彼女の扱いを持て余していた。



結果として、彼女もまた、ゼノと同じく「輪の外の人間」となっていた。


「――おい、そこの二人」

しびれを切らしたのか、教官が声を張り上げた。

「いつまでも見学気分でいるな。そこな『ブランク』のゼノと、転校生のリィナ! お前たちで組め。どうせまともな戦闘にはならんだろうが、何もしないよりはマシだ」


面倒なことになった、とゼノは舌打ちする。だが、教官命令には逆らえない。彼はリィナの方へ、気乗りしない足取りで歩み寄った。

リィナは静かに立ち上がると、感情の読めない瞳でゼノをじっと見つめた。その視線は、他の生徒たちが向ける侮蔑や好奇とは全く違う、何か魂の芯を直接覗き込むような、不思議な色をしていた。


「……よろしく」

ゼノが儀礼的に言うと、彼女は小さくこくりと頷いた。そして、囁くような声で言った。


「あなたの魂……静かね。過去の音が、響いてこない」


その言葉に、ゼノは思わず息をのんだ。

彼女のユニークスキルは《魂魄共鳴アニマ・レゾナンス》。他者の魂の輝きや色を感知できる知覚能力だ 。他の誰もが「空っぽ」と断じるゼノの魂を、彼女は「静か」と表現した。初めてだった。自分の本質の一端を、肯定的に言い当てられたのは。


「……君は、一体何者だ?」

ゼノの口から、思わず問いが漏れた。

リィナは答えず、ただ静かに微笑むだけだった。その表情は、やはりどこか寂しげだった。



「はじめ!」

教官の号令が響く。

周囲の生徒たちは、嘲笑を隠そうともしない。

「おい、見ろよ。出来損ない同士のお遊戯会だぜ」

「片や空っぽのブランク、片や魔力だけの虚弱人形か。どっちが先に倒れるか賭けるか?」


ゼノは、リィナに向き直る。彼女はただ、そこに立っているだけだった。戦う意思も、構えるそぶりもない。彼女の魂魄強度(HP)はEランク。ゼノの一撃ですら、彼女にとっては致命傷になりかねない 。


(戦う意味がない)

ゼノも、抜いていた訓練用の剣を下ろした。こんな茶番に付き合う気はない。何より、彼女を傷つける理由がなかった。

二人がただ見つめ合うだけの奇妙な時間が流れる。周囲の嘲笑が、次第に苛立ちに変わっていくのが肌で感じられた。


その空気を切り裂いたのは、凛とした、しかし氷のように冷たい声だった。

「――見苦しい。そこをどきなさい」


声の主は、フィオラ・フォン・アストリアだった。

彼女は自身の対戦相手を一瞬で打ちのめし、その足でゼノたちの元へと歩み寄ってきた。その美しい顔は、怒りと侮蔑に染まっている。


「ここは神聖な訓練場。次代の国を担う魂が、その技を磨く場所です。戦う意志のない者が、この場を汚すことは許しません」

彼女の視線は、主にゼノに向けられていた。

「特にあなた、『ブランク』。あなたのような存在が、この学園にいること自体が間違いなのです。何の遺産も持たず、ただ無為に時間を過ごすだけのあなたに、一体何の価値があるというのですか?」


正論だった。この世界の価値観で言えば、彼女の言葉は何一つ間違っていない。

ゼノは言い返す言葉もなく、ただ黙ってその視線を受け止めた。


「もし戦う度胸がないのなら、今すぐここから立ち去りなさい。次に私の前でその無様な姿を晒したら……今度は、私の剣が火を噴くことになるわ」


それは、最後通牒だった。

ゼノは肩をすくめた。望むところだ。

「……ああ、そうさせてもらう」

彼はフィオラに背を向け、その場を去ろうとした。その時、隣にいたリィナが、彼の袖を軽く引いた。

そして、ゼノにしか聞こえない声で、そっと囁いた。


「それでいい。あなたの命は……ひとつしかない。とても、尊いものだから。こんな場所で、賭けるべきものじゃない」


ゼノの足が、止まった。

心臓を、直接掴まれたような衝撃。

彼女は、なぜ。

なぜ、俺が転生できないことを知っている?

いや、違う。これは彼女の《魂魄共鳴》によるものか。俺の魂が、他の魂と決定的に違う「一度きり」の輝きをしていることを、感じ取っているのか。


振り返った時には、リィナもまた静かに彼に倣って歩き出していた。

残されたフィオラは、ゼノのその態度が気に食わなかったのか、忌々しげに舌打ちをすると、近くにあった訓練用の木人を相手に、怒りを叩きつけるかのような激しい剣閃を浴びせ始めた。



訓練場を後にして、ゼノは歩きながら、先ほどのリィナの言葉を反芻していた。


『あなたの命は、ひとつしかない。とても、尊いものだから』


生まれて初めて、誰かに言われた言葉だった。

孤児院のマスターでさえ、「お前だけの命を輝かせろ」とは言ったが、「尊い」とは言わなかった。

自分のこの呪われたような特異体質を、肯定されたような感覚。それは、ゼノの心を今まで感じたことのない形で揺さぶっていた。


(リィナ……一体、何者なんだ)


彼女の魂は、999回以上の転生を繰り返し、摩耗の末期にあるという 。永すぎる時を生きた魂。だからこそ、一度きりの命の重さが分かるというのだろうか。


分からない。

分からないことだらけだ。

そして、分からないことは危険だ。平穏に生き延びたいと願うなら、これ以上彼女に関わるべきではない。


そう頭では理解しているのに、なぜか、もう一度彼女と話してみたいという気持ちが、心の隅に芽生えていた。

ゼノは足を止め、訓練場の方を振り返る。

夕日の中、フィオラが鬼気迫る表情で剣を振り続け、その少し離れた場所では、リィナが噴水の縁に座って、静かにその光景を――いや、その先にいるゼノを、見つめているような気がした。


交わるはずのなかった三つの魂。

魂歴至上主義の教室で、それぞれの孤独を抱える少年と少女たち。


彼らの運命が、静かに、だが確かに交差し始めたことを、まだゼノは知らなかった。

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