第25話:新生の希望ティナ
ユリウス率いるエリート騎士団がキメラの複合属性攻撃によって壊滅的な打撃を受けた。
闘技場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。
だがその混沌のまさに中心で、ゼノは好機を見出していた。
「――今だ!」
彼の号令と共に三人は行動を開始した。
それはキメラを倒すための作戦ではない。ただ一点の勝機をこじ開けるための無謀な賭けだった。
「フィオラ、脚を狙え! 機動力を奪い、注意を引きつけろ!」
「承知!」
フィオラはもはやゼノの指示に一切の迷いを見せない。
彼女はキメラの巨大な獅子の脚へと狙いを定める。その剣筋は、以前の魂に任せた華麗なものではない。一撃一撃に明確な意志と目的が込められた、実戦の剣だった。
彼女の執拗な攻撃にキメラは苛立ち、その巨大な体を彼女へと向けた。
「リィナ、今よ!」
「ええ!――《アーツ・フラッシュ》!」
キメラがフィオラに止めを刺そうと、その大口を開けたまさにその瞬間。
リィナの根源魔法が炸裂した。
それは攻撃魔法ではない。ただ強烈な光を放つだけの目眩ましの魔法だ。
だが至近距離でその光を浴びたキメラは、たまらずその三つの目を覆い動きを止めた。
「もらった!」
その数秒の空白。
ゼノはその刹那の好機を逃さなかった。
彼はキメラの懐へと深く潜り込み、その胸の中心にある魂の核の位置を正確に確認すると、そこに目印として持っていた小刀を突き立てた。
これで弱点は白日の下に晒された。
だが同時に、ゼノはキメラの最も危険な間合いに足を踏み入れてしまっていた。
光から回復したキメラが、怒りの咆哮と共にその鋭い爪をゼノへと振り下ろす。
万事休す。
誰もがそう思ったその時だった。
*
闘技場の反対側。
そこはエリートたちの華々しい戦場とは無縁の、ただ恐怖と混乱が支配する場所だった。
多くの平民出身の受験者たちは、ただ遠巻きに戦いを見つめ、あるいは隅で身を寄せ合って震えているだけ。
だがその中に、たった一人違う行動を取っている少女がいた。
新生のティナだった。
彼女は戦っていなかった。戦う力など彼女にはない。
彼女はキメラの炎のブレスの余波を受け、腕に火傷を負った別の受験者のそばに駆け寄っていた。
「だ、大丈夫ですか!しっかりしてください!」
「……う、水……水が、欲しい……」
火傷を負った男子生徒が苦しげに呻く。
ティナは必死に周囲を見渡した。
水などどこにもない。
いや、一つだけあった。
闘技場の高い壁に設置された、古びた巨大な水道管。施設のメンテナンス用のパイプだろう。
(あれを、壊せば、水が……!)
それはあまりにも突飛で子供じみた発想だった。
だが目の前の苦しんでいる人を助けたいという彼女の純粋な善意は、彼女に無謀な行動を選択させた。
彼女は足元に転がっていた瓦礫の塊を拾い上げると、狙いを定めた。
水道管の継ぎ手部分。そこが一番脆そうだ。
「えいっ!」
彼女は渾身の力を込めてその瓦礫を投げつけた。
それは本来なら分厚い鉄の管に傷一つつけられないであろう、か細い一投。
だが、奇跡は起きた。
彼女のユニークスキル、《初心者の幸運》。
その瓦礫はまるで意思を持ったかのように吸い込まれ、寸分たがわず継ぎ手の最も錆びついて脆くなっていた一点に命中した。
そしてあたかもその衝撃を待っていたかのように、その日王都の水道局が年に一度の水圧テストを行っていたせいで、管内の水圧は異常なまでに高まっていた。
いくつものありえないほどの幸運が重なり合う。
――ゴッシャアアアアアアン!!!
水道管は凄まじい破壊音と共に破裂した。
*
そこから噴出したのは、もはや水というよりは暴力的なまでの鉄砲水だった。
激流が闘技場の中央へと殺到する。
その濁流はまずティナが助けようとしていた男子生徒の火傷を癒し、その命を救った。
そして闘技場全体に混乱とパニックを巻き起こした。
だが何よりも、その最大の効果は、闘igi場の中心で暴れ回っていたキメラに対して発揮された。
獅子の炎、山羊の大地。その二つの属性を併せ持つキメラにとって、水の奔流は最悪の天敵だった。
突然の濁流にその動きは完全に麻痺し、自慢の炎のブレスも虚しく水蒸気となって消えていく。
そしてその水の奔流は、ゼノに振り下ろされようとしていたキメラの爪を横からなぎ払い、彼を絶体絶命の危機から救い出したのだ。
「な……!?」
ゼノもフィオラもリィナも、そのあまりの偶然に言葉を失う。
だが、ゼノはすぐに我に返った。
これは計画外の事態。
だが、これ以上ない最高の好機だ!
キメラは水の奔流に翻弄され、完全に無防備な姿を晒している。そしてその胸には、自分が突き立てた小刀が弱点の位置を示している。
「――今だ! 全員、俺に続け!」
ゼノは叫んだ。
それはもはや仲間内だけの指示ではない。その場にいる全ての受験者たちへの檄だった。
「奴の弱点は胸のコアだ! 全員でそこを叩け!」
その声に最初に反応したのはフィオラだった。
次にリィナが最後の魔力を振り絞って援護の魔法を放った。
そしてキメラの攻撃で打ちのめされていたユリウスが、その瓦礫の中からふらつきながらも立ち上がった。彼はゼノを一瞥すると、悔しげに、しかし何かを認めたように頷き、再び剣を構えた。
オリヴァーが、ティナが、そして今までただ怯えていた名もなき受験者たちが、ゼノの声に導かれるように一斉に立ち上がった。
「「「うおおおおおおおおっ!!!」」」
それはもはやエリートも平民もブランクも新生も関係ない。
ただ一つの目的のために心を一つにした若者たちの魂の咆哮だった。
全員の渾身の一撃が、キメラの胸のコアへと叩き込まれる。
キメラはこの日一番の断末魔の叫びを上げると、その体は内側から崩壊し、やがてただの塵となって消滅した。
闘技場に静寂が戻る。
後に残されたのは、水浸しの床と疲れ果てて座り込む受験者たちだけだった。
誰もが何が起こったのか理解できずに呆然としている。
ただ自分たちが勝ったという事実だけを噛みしめていた。
その時、闘技場にガウェインの腹の底からの大爆笑が響き渡った。
「――ガッハッハッハッハ! 最高だ! 最高じゃねえか、てめえら!」
彼はエリートであるユリウスやフィオラではない。闘技場の隅でずぶ濡れになりながら、自分が何をしでかしたのか分からずにきょとんとしている一人の少女を指さしていた。
「おいそこのチビ! お前だよお前! てめえのその無茶苦茶な一撃が全員を救ったんだ! 最高にイカした戦い方だったぜ!」
その言葉に全員の視線がティナへと集まる。
ゼノもまた彼女を見ていた。
そして、初めて理解した。
この世界の理不尽なゲーム盤の上では、計算や論理だけでは決して辿り着けない答えがあるのだと。
歴史を持たない魂。
何の力も持たない少女。
だがその純粋な善意とありえないほどの幸運が、最強のエリートたちでさえ成しえなかった勝利をもたらした。
『新生の希望』。
彼女の二つ名は伊達ではなかった。
それはこの魂歴に縛られた世界に新しい風を吹き込む希望の光。
ゼノはその光の眩しさに、少しだけ目を細めた。




