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第20話:学園長の推薦

ソウルガードの選抜試験まで、あと二日。

王都アストルに集められた国中からの受験者たちの間では、一つの噂が熱病のように広まっていた。


「おい、聞いたか? 今年の受験者の中に、あのイライザ・マーロウ学園長直々の推薦で来た奴がいるらしいぞ」

「馬鹿な! あの元『賢帝』の魂を持つと言われる伝説の学園長が、自ら推薦状を書いたというのか? 一体どこの大貴族の御曹司だ?」

「いや……それが信じられないことに、魂歴を持たない『ブランク』の少年らしい」

「なんだと……!?」


その噂の渦中にいるゼノは、ソウルガードが受験者のために開放している公衆訓練場で黙々と汗を流していた。

だが、彼に注がれる視線は数日前とは明らかにその質を変えていた。

『ブランク』という単純な侮蔑や憐憫ではない。

嫉妬、疑念、そして得体の知れないものへの強い警戒心。

イライザ・マーロウの名はそれほどまでにこの国で絶大な権威を持っていた。彼女の推薦は単なる一通の手紙ではない。それは持ち主の価値を国王のお墨付き以上に保証する、絶対的な証明書に等しかった。


「――貴様か。噂の『ブランク』は」


ゼノが鍛錬を終えて一息ついていると、鋭い声が背後からかけられた。

振り返ると、そこに立っていたのは先日受付で会った金髪の青年、ユリウス・フォン・クラインだった。その手には白銀に輝く美しい一振りの剣が握られている。


「イライザ学園長の推薦、ね。一体どんな卑劣な手を使ってあの方を騙し、その推薦状を手に入れた? 言っておくが、あの方の名は貴様のような魂の歴史を持たぬ者が軽々しく利用していいものではないぞ」


その言葉は、純粋な敵意と自らが信じる秩序を汚されたことへの怒りに満ちていた。


「……俺は誰も騙していない」

ゼノは面倒を避けるように静かに答えた。

「不満があるのなら、直接学園長に言うんだな。俺に言われてもどうしようもない」

「……口だけは達者なようだな」

ユリウスはゼノを頭のてっぺんから爪先まで値踏みするように見ると、軽蔑に鼻を鳴らした。

「よかろう。試験でその化けの皮を剥がしてやる。学園長の推薦がただの気まぐれだったということを白日の下に晒してやるから、覚悟しておくがいい」


そう言い残すと、彼はゼノに背を向けた。その場に残されたのは、他の受験者たちのさらに強くなった敵意に満ちた視線だけだった。

ゼノは自分が巨大な嵐の目の中にいることを改めて実感していた。



その頃、ソウルガード本部の一室では二人の人物がゼノの ملف(ファイル)を覗き込んでいた。

戦術教官アーサー・グッドマンと、天才解析官クロエ・ラングだ。


「……たく、とんでもねえ爆弾を寄越しやがったな、あの女狐は」

グッドマンは頭をガシガシと掻きながら、イライザから届いた親展の推薦状を読み返していた。「『世界の停滞を打破する唯一無二の変数』、『魂魄干渉術理に対する究極の対抗策カウンターメジャー』……。大層なことを書きやがる」


「あら、面白いじゃないですか」

クロエは目をきらきらと輝かせている。「これはもうただの推薦状ではありませんわ。イライザ学園長は我々に戦略級の未確認兵器をポンと手渡して、『使用説明書マニュアルは自分たちで作りなさい』と言っているようなものですもの」

「おかげで上層部は大騒ぎだ」とグッドマンはため息をついた。

「学園長のこの動きを政治的なパフォーマンスだと見る連中もいる。他の貴族派閥は面白くないだろうな。今回の選抜試験、ただの実技試験じゃ済まなくなりそうだぜ」

「ええ」とクロエは頷く。

「彼への風当たりは強くなるでしょうね。他の受験者は彼を不当な特別扱いを受けたズルいライバルだと見る。試験官たちもその実力が本当に推薦状に見合うものか厳しい目で評価する。……彼にとってこの推薦状は栄光への切符なんかじゃない。むしろ、いばらの道への招待状ですわ」


二人は顔を見合わせた。

だが、その表情に憂いの色はない。むしろこの面倒で面白い状況を心から楽しんでいるかのようだった。


「……ますます気に入ったぜ。あの小僧」

グッドマンは口の端を吊り上げて不敵に笑った。



王都の下町にある古いカフェ。

ゼノは久しぶりにフィオラ、リィナと三人で顔を合わせていた。

フィオラは数日ぶりに会ったが、その表情は実家に戻る前よりもさらに険しく、しかしどこか吹っ切れたような強さを宿していた。


「……あなたの噂、貴族たちの間でも持ちきりですわ」

フィオラは紅茶のカップを置き、静かに切り出した。

「『ブランク』でありながらイライザ学園長の推薦を受けた特待生。父はカンカンに怒っていました。世界の秩序が根底から崩れ始めている、と。……そして、これ以上あなたのような素性の知れぬ者と関わるなと言われましたわ」

「……そうか。それで、お前はどうするんだ」

ゼノの問いに、フィオラは迷いなく顔を上げた。

「わたくしはわたくしの道を歩むと、そう父に告げてきました。そのためならアストリア家の名前を捨てる覚悟もできています。わたくしが仲間だと認めた相手を家の都合で切り捨てることなど断じてできません」


その言葉は、彼女が父親と、そして家と完全に決別する覚悟を決めたことを示していた。


「……重荷ね。期待されるというのは」

今まで黙って話を聞いていたリィナがぽつりと呟いた。

「過剰な期待は時にその人の魂を縛り付ける枷になる。……永い時の中で、わたくしはそういう魂をたくさん見てきたわ」

彼女の言葉はフィオラの、そして今まさに学園長からの巨大な期待という名の重圧を背負わされているゼノの心にも静かに響いた。

彼らは皆、それぞれの形で見えない期待や過去という名の重荷と戦っている同志なのだ。



選抜試験前夜。

宿屋の自室で、ゼノは一人王都の夜景を眺めていた。

街の灯りはまるで自分を監視する無数の目のように思える。

自分を引きずり下ろそうとするライバルたちの目。

自分の価値を見極めようとする試験官たちの目。

そして自分に未来を託そうとする仲間たちの目。


その全ての視線がイライザ・マーロウのたった一枚の推薦状から始まっていた。


(……試されているのか)


ゼノは思う。

学園長は自分にこの重圧を乗り越えられるのかどうか試しているのだ。

ただ息を潜めて生き延びるだけの影の存在ではない。

世界の中心、スポットライトの真ん中に立たされてもなお、自分の足で立ち抗い続けることができるのかどうかを。


もう逃げることはできない。

あの推薦状は彼を否応なく物語の主役の座に引きずり出したのだから。

それは黄金の切符などではない。

彼に突きつけられた挑戦状だった。


ゼノは固く拳を握りしめた。

恐怖はある。だがそれ以上に、腹の底からふつふつと闘志が湧き上がってくるのを感じていた。


(望むところだ)


やってやる。

誰かの期待に応えるためじゃない。

俺が俺であることの証明を、俺自身の力でこの手で掴み取るために。


学園長の推薦という名の宣戦布告。

ゼノはその挑戦を静かに、しかし確かに受け止めた。


彼の本当の戦いは、明日この王都で始まろうとしていた。

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