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第16話:初めての勝利

激闘の末に訪れたのは、深い、深い静寂だった。

ゼノ、フィオラ、リィナの三人は、学園の医務室に並んで横たわっていた。アドレナリンが切れ、全身を襲うのは、鉛のような疲労感と、筋肉の悲鳴。だが、その痛みすら、どこか心地よく感じられた。


彼らは、勝ったのだ。

あの絶望的な状況で、三人の力を合わせ、格上の敵を退けた。

その事実が、じわじわと、しかし確かに、三人の心に温かい光を灯していた。


看護師たちが、慌ただしく三人の手当てをしていく。その眼差しは、以前、彼らに向けられていたものとは全く違っていた。特に、ゼノを見る目には、侮蔑や憐憫ではなく、明確な尊敬の色が浮かんでいる。

「すごいわ、あなたたち……! まさか、あの魂狩りのエリート部隊を退けるなんて!」

「フィオラ様はもちろんのこと、ゼノ君、あなたも本当に……!」

その賞賛の言葉に、ゼノはどう反応していいか分からず、ただ黙って治療を受けていた。


これが、『勝利』の味か。

ゼノは、包帯を巻かれた自分の腕を見下ろした。

今まで、彼の戦いは、常に「敗北しない」ためのものだった。死なないための、ぎりぎりの生存。そこに、勝利の喜びなど入り込む余地はなかった。

だが、今回は違う。

自分のためだけではない。隣にいる仲間を守るために戦い、そして、掴み取った勝利。

それは、彼の乾いた心に、初めて、誇りという名の感情を芽生えさせていた。


隣のベッドでは、フィオラが静かに目を閉じていた。

彼女もまた、自らの勝利の意味を、噛みしめていた。

今までの彼女の勝利は、全て『剣聖の魂』がもたらしたものだった。歴史と伝統に裏打ちされた、約束された勝利。そこに、彼女自身の意志が介在する余地は少なかった。

だが、今回は違う。

彼女は、魂の囁きではなく、自分の意志で、あの『ブランク』の無謀な作戦を信じることを選んだ。自分の判断で、最大奥義を放った。

この勝利は、誰あろう、『フィオラ』自身が掴み取った、初めての勝利だったのだ。


そして、リィナ。

彼女は、消耗しきって、まだ顔色は青白い。だが、その瞳は、今までにないほど、強く、そして明るく輝いていた。

何百年もの間、彼女は、ただ消えゆく運命を受け入れるだけの存在だった。戦うことは、魂の摩耗を早める、ただの愚行でしかなかった。

だが、彼女は戦った。ゼノと共に、「今」を生きるために。

そして、勝った。

それは、彼女にとって、魂狩りに対する勝利であると同時に、永い、永い間、自分を支配してきた「諦観」という名の、もう一人の敵に対する、初めての勝利でもあった。


三者三様の、初めての勝利。

その意味の重さを、三人は、言葉もなく、ただ静かに共有していた。



看護師たちが去り、医務室に三人の時間が戻ってきた。

気まずい沈黙を破ったのは、意外にも、フィオラだった。


「……あなたの作戦、無謀で、突飛で、全くもって、正気の沙汰ではありませんでしたわ」

その声には、いつものような棘はない。ただ、呆れと、ほんの少しの感嘆が混じっていた。

「だが、上手くいった」

ゼノが、ぶっきらぼうに返す。

「……ええ。その通りよ」

フィオラは、素直にそれを認めた。そして、一瞬ためらった後、小さな声で言った。

「……わたくしの『天狼星』を、信じてくれて、ありがとう」

彼女が感謝したのは、『剣聖の魂』ではない。自分の技を信じてくれたことに対してだった。その小さな、しかし決定的な変化に、ゼノは気づいていた。


「こっちのセリフだ」とゼノも言う。

「『ブランク』の、訳の分からない賭けに乗ってくれて、感謝する」

そのやり取りを聞いて、リィナが、ふふっと、楽しそうに笑った。


「違うわ。あれは、『ブランク』の作戦じゃない。『ゼノ』の作戦よ」


その、何気ない一言が、場の空気を、ふわりと優しく溶かした。

そうだ。

もう、彼は、ただの『ブランク』ではない。

フィオラも、ただの『剣聖姫』ではない。

リィナも、ただの『無限輪廻の少女』ではない。

彼らは、それぞれの呪いを背負いながらも、自分の名前で、自分の意志で、そこに立っている。

その事実を、この勝利が、何よりも雄弁に物語っていた。


この奇妙な三人の間にあった、見えない壁。

家柄も、魂歴も、生きてきた時間も、何もかもが違う彼らを隔てていた壁は、この日、この瞬間、確かに崩れ落ちたのだ。



治療を終え、医務室を出ると、廊下で、一人の少年が彼らを待っていた。

レオ・ハインツだった。

彼は、三人の姿を認めると、駆け寄ってきた。その顔には、以前のような嫉妬や対抗心は、もうない。ただ、純粋な、少年らしい憧れの光が宿っていた。


「ゼノ! フィオラ様! リィナさんも!」

彼は、興奮気味に言った。

「すごかった……本当に、すごかったです! 俺、見てました! あなたたちが、あの化け物みたいな奴と戦ってるところを!」

彼は、まず、ゼノに向き直った。

「お前……本当に、すごい奴だよ。俺、今まで、お前のこと、誤解してた。……悪かった!」

そう言って、彼は、ゼノに深々と頭を下げた。

そして、次に、フィオラに向き直る。

「フィオラ様も! あの最後の一撃、まさしく、国を守る英雄の剣でした! ついていきます、俺、あなたたちに!」

彼の言葉には、裏も計算もなかった。

魂の格や、家柄ではない。ただ、目の前で、自分たちのために命を懸けて戦ってくれた、三人の「英雄」の姿に、彼は心を打たれたのだ。


彼らの勝利は、彼らだけの自己満足ではなかった。

それは、小さく、しかし確実に、周囲の人間たちの、凝り固まった価値観をも、変え始めていた。

魂の歴史だけが、人の価値を決めるのではない。

「今、ここで、どう生きるか」。

そのことの尊さを、三人の戦いが、無言のうちに示していた。



その夜。

三人は、まるで示し合わせたかのように、あの戦いの舞台となった、時計塔の鐘楼に集まっていた。

修復された窓から、学園の、そして王都アストルの美しい夜景が見渡せる。


「……これから、どうなるのかしら」

フィオラが、ぽつりと呟いた。

「わたくしの進むべき道は、まだ、霧の中です。父に認められることも、もうないでしょう。……でも」

彼女は、迷いのない瞳で、夜景を見つめた。

「……でも、不思議と、今はもう、怖くはありませんわ。自分の足で、自分の道を探す、その覚悟が、できましたから」


「私も」とリィナが続けた。

「いつか来る『消滅』の時は、今も怖い。でもね、その日が来るまで、一日でも長く、こうして、みんなと一緒にいたい。明日が来るのが、こんなに楽しみだなんて、何百年ぶりかしら」


二人の言葉を聞いて、ゼノは、静かに頷いた。

「これは、俺たちの、初めての勝利だ。だが、最後じゃない」

魂狩りは、また来るだろう。

神々のゲームは、まだ終わらない。

世界は、相変わらず理不尽で、残酷だ。


「だけど」とゼノは続けた。

「俺たちは、もう一人じゃない」


彼は、右にいる、自分の生きる理由となった少女を見た。

彼は、左にいる、自分の弱さと向き合い始めた好敵手を見た。

もう、孤独ではない。

この、かけがえのない繋がりこそが、彼らが、共に掴み取った、何よりも尊い『初めての勝利』だった。


三人は、もう何も言わなかった。

ただ、同じ夜景を、それぞれの想いを胸に、見つめていた。

『ブランク』が、生きる意味を見つけ。

『剣聖』が、自分自身である自由を見つけ。

『無限輪廻の少女』が、一度きりの時間の輝きを見つけた夜。


物語は、まだ始まったばかり。

彼らの戦いは、これからも続いていく。

だが、この夜の、この静かな勝利の記憶だけは、きっと、どんな暗闇の中にあっても、彼らの道を照らす、消えない星明かりとなるだろう。

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