第12話:死ねない理由、死にたくない理由
魂狩りの襲撃から数日が経過し、学園は後片付けと復旧作業に追われていた。
生徒たちも、その作業に動員されている。ゼノとリィナも、他の生徒たちに混じり、崩れた外壁の瓦礫を運んでいた。
学園のあちこちに残る戦闘の爪痕は、あの日の悪夢が生々しい現実であったことを物語っている。だが、復旧作業にあたる生徒たちの雰囲気は、どこか現実感を欠いていた。
「はー、疲れた。こんな肉体労働、前世が『貴公子』だった俺には似合わねえなあ」
「本当よね。魂が傷ついた生徒もいるって聞いたわ。次の転生に響かなければいいけど」
彼らの関心は、壊れた校舎でも、傷ついた仲間でもない。常に、自らの魂の来歴と、その未来にしか向いていなかった。
ゼノは、黙々と瓦礫を運びながら、その光景を横目で見ていた。
もう、以前のような怒りは湧いてこない。ただ、深い、深い溝を感じるだけだった。彼らと自分との間にある、決して埋まることのない断絶。
(俺が戦ったのは……)
自問自答する。
あの時、俺はなぜ立ち向かった?
答えは、単純明快だ。
死にたくなかったから。
この世界で死ねば、俺には次がない。輪廻の輪から外れた俺の魂は、ただ消滅するだけ。
死ねない。
他の連中のように、安易に死んで、来世に逃げることなどできない。
それが、俺が戦う、唯一にして絶対の理由だった。
それは、呪いのように、彼の魂に刻み込まれた、変えようのない事実。いわば、『死ねない理由』だった。
だが、本当に、それだけだったのだろうか?
ゼノは、隣で小さな瓦礫を一生懸命に運んでいるリィナに目をやった。
彼女は、もう自分の魂が長くないことを知っている。静かに消えゆく運命を受け入れるために、この学園に来たはずだった。
なのに、彼女もまた、あの時、戦うことを選んだ。
なぜ?
「……無理するな。残りは俺が運ぶ」
ゼノは、リィナの手から瓦礫を受け取った。
「ありがとう」
リィナは、額の汗を拭いながら、はにかむように笑った。その笑顔は、以前よりもずっと、人間らしい温かみを帯びている。
その笑顔を見ていると、ゼノの胸の奥が、ちくりと痛んだ。
*
休憩時間。二人は、少し離れた木陰で、並んで腰を下ろしていた。
リィナは、復旧作業が進む校舎を、どこか寂しげな目で見つめている。
「たくさんの時間が、壊されちゃったわね。この校舎にも、きっとたくさんの思い出が刻まれていたはずなのに」
「……また建て直せば、新しい思い出ができる」
「そうね。でも、魂に刻まれた傷は、すぐには癒えないかもしれない。特に、来世にまで影響が残るような、深い傷は……」
その言葉に、ゼノは、ずっと疑問に思っていたことを口にした。
「……君は、それでよかったのか?」
「え?」
「君は、静かに消えるために、ここに来たんじゃなかったのか。魂の摩耗を加速させる危険を冒してまで、あの戦いに身を投じる必要はなかったはずだ」
リィナは、少し驚いたように目を見開いたが、やがて、その瞳に穏やかな光を宿して、静かに答えた。
「……うん。そのつもりだった。永い、永い輪廻の果てに、疲れ果てていたから。もう、何も感じず、何も望まず、ただ無に還ることだけが、私の唯一の救いだと思ってた」
彼女は、自分の胸にそっと手を当てる。
「でも、あなたを見ていたら、変わったの」
「俺を?」
「そう。ゼノは、いつも『今』を生きている。過去に囚われず、未来に怯えず、ただ、この一瞬一瞬を、必死に燃やして輝いている。その輝きが、私の凍りついた心を、少しずつ溶かしてくれた」
彼女は、ゼノに向き直った。
「あなたの生き方を見て、私も、初めて『今』を生きたいと思ったの。この最後の生を、ただの終わりじゃなくて、意味のある時間にしたいって。だから、あなたの隣で戦うことを選んだ。後悔は、していないわ」
その真っ直ぐな言葉が、ゼノの心を射抜いた。
今までは、ただ自分のためだけに戦ってきた。死の恐怖から逃れるためだけに、必死で生き抜いてきた。
だが、今は違う。
もし、俺が死んだら?
この少女の心に灯った、小さな希望の光も、一緒に消えてしまうのではないか?
彼女が、何百年、何千年ぶりに見つけた「生きたい」という願いを、俺の死が踏みにじることになってしまうのではないか?
(……そうか)
ゼノは、静かに悟った。
俺が戦う理由は、もう一つあったのだ。
死ねないから、戦うのではない。
死にたくないから、戦うのだ。
この少女の笑顔を、彼女がようやく見つけた希望を、失いたくないから。
それは、恐怖からではない、自らの意志で選び取った、初めての積極的な理由だった。
『死ねない理由』が、彼を縛る呪いだとしたら。
『死にたくない理由』は、彼を未来へと導く、温かい光だった。
*
ふと、ゼノは、遠くに立つ一人の少女の姿に気づいた。
フィオラだった。
彼女は、復旧作業に参加するでもなく、ただ一人、あの夜に自分が絶望を味わった訓練場を、ぼんやりと見つめている。
その背中は、ひどく小さく、頼りなく見えた。
いつも彼女を包んでいる、近寄りがたいほどの気品とプライドは、今は見る影もない。
(……あいつも、囚われている)
ゼオは思う。
『剣聖の魂』という、輝かしい過去の檻に。
その檻の中で、彼女もまた、自分だけの絶望と戦っている。
以前の自分なら、気にも留めなかっただろう。だが、今のゼノには、彼女の孤独が、痛いほど理解できた。
抗う者。
それは、魂狩りのような敵だけではない。この世界の理不尽な常識、押し付けられる運命、そして、自分自身の心に巣食う絶望。その全てに、人は抗わなければならない。
フィオラも、リィナも、そして自分も。
形は違えど、皆、抗う者なのだ。
*
夕暮れが、復旧作業の終わりを告げる。
ゼノは、リィナと共に、寮へと続く道を歩いていた。
彼の心は、不思議なほど晴れやかだった。
襲撃事件は、多くのものを破壊した。だが、同時に、彼に新しいものを与えてくれた。
「リィナ」
ゼノは、立ち止まって彼女を振り返った。
「グッドマン教官の誘い……ソウルガードの話、受けてみようと思う」
「……!」
リィナは、驚いて目を見開いた。
「……危険な道よ。魂狩りは、きっとまたあなたを狙うわ」
「ああ、分かってる。けど、もう隠れて生きるのはやめだ。ただ生き延びるんじゃなくて、守るために、強くなりたい」
彼は、自分の両手を見つめた。
何もない、空っぽの『ブランク』の手。
「それに……」
ゼノは、少しだけ照れくさそうに、だが、はっきりとした口調で言った。
「俺には、もう『死にたくない理由』が、できてしまったからな」
彼は、リィナの名前を口にはしなかった。
だが、その言葉に込められた意味のすべてを、彼女は正確に理解していた。
リィナの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、悲しみの涙ではない。何百年という孤独の果てに、ようやく見つけた、温かい喜びの涙だった。
ゼノの心から、死への恐怖が消えたわけではない。
だが、その恐怖は、もはや彼を縛る呪いではなかった。
守りたいもののために、最後まで生き抜くのだという、強い決意の裏付けへと変わっていた。
『ブランク』の少年は、今、本当の意味で、自分の物語を歩き始めた。その隣には、彼が生きる理由となった、一人の少女の笑顔があった。




