第10話:諦める者たち、抗う者
魂狩りの襲撃という嵐が過ぎ去った後、王立転生学園は静かな、しかし深刻な後遺症に包まれていた。
駆けつけた王都の警備騎士団によって敷地は封鎖され、負傷した生徒たちの治療が makeshift の救護所で行われている。あちこちで建物の壁が崩れ、魔法の痕が生々しく地面を抉っている。悪夢のような光景だった。
だが、その惨状の中で、ゼノは奇妙な違和感を覚えていた。
生徒たちの間に、悲壮感は驚くほど薄いのだ。
「いやー、死ぬかと思ったぜ! 俺の魂、前世は『宮廷道化師』だったから戦闘はからっきしでさ。次はもっと戦闘向きの魂だといいなあ」
腕に包帯を巻かれた男子生徒が、悪びれもなく笑う。
「本当に。わたくしの『女侯爵の魂』に、あんな野蛮な連中の魔力が触れたなんて、屈辱ですわ。早く転生して、この汚れを洗い流したいものです」
ドレスを汚されたことを嘆く令嬢は、命の危機に瀕したことよりも、魂の「格」が傷ついたことを問題視している。
彼らにとって、今回の襲撃は「死の恐怖」ではなかった。「現世の失敗」であり、「来世への課題」でしかなかったのだ。
魂が回収されなければ、死んでもまた生まれ変われる。神々が創った『ディヴィナ・サイクル』は、この世界から、本当の意味での死への恐怖を奪い去っていた。
(……こいつら)
ゼノは、救護所の隅で、その光景を冷え切った心で見つめていた。
自分だけが、全く違う世界を生きている。
自分だけが、失えば二度と戻らない、たった一度の命を懸けて戦っていた。
この、埋めることのできない溝。彼我の断絶。
諦観は、時に人の心を強くするのかもしれない。だが、それは同時に、今を必死に生きる意志を、いともたやすく奪い去る劇薬でもあった。
諦める者たち。
この学園の、いや、この世界のほとんどの人間が、そちら側に属している。
そして、自分は――。
「ゼノ」
リィナが、彼の隣にそっと寄り添った。彼女の顔色はまだ悪いが、その瞳はゼノを真っ直ぐに見つめている。
「大丈夫? 怪我は……」
「かすり傷だ」
ゼノは短く答えた。肉体の傷よりも、今目の当たりにしている光景の方が、よほど彼の心を蝕んでいた。
そこに、おずおずと近づいてくる影があった。レオ・ハインツだった。
彼の顔には、いつも浮かべている自信過剰な表情はどこにもなく、深い自己嫌悪と、困惑が浮かんでいた。
*
「……なあ」
レオは、絞り出すように言った。その視線は、ゼノの足元に落とされている。
「俺……怖かった。魂狩りに囲まれた時、頭に浮かんだのは、どうやって戦うかじゃなくて、来世でどうやってあいつらに復讐するか、だった」
それは、痛々しいほどの告白だった。
「俺も、あいつらと同じだ。いざとなったら、今の命を平気で捨てようとする……諦める側の人間だった。なのに、お前は……」
レオは、初めて、ゼノの顔を真っ直ぐに見た。
「お前は、違った。なんでだ? なんでお前だけが、諦めずに戦えたんだ?」
その問いに、ゼノは答えるべきか一瞬迷った。だが、目の前にいる少年は、自分の弱さを認め、それでも答えを求めている。
ゼノは、静かに、そして残酷な事実を告げた。
「……俺には、逃げる先の来世がないからだ」
「え……?」
レオは、言葉の意味が理解できないといった顔で、目を瞬かせた。
「俺は『ブランク』だ。それは、前世がないというだけじゃない。俺の魂は、ディヴィ-ナ・サイクルに登録されていない。死ねば、それで終わり。消滅するだけだ。お前たちのように、次はない」
衝撃の事実に、レオは完全に言葉を失った。
目の前の少年が、常に死と隣り合わせで生きてきたという、その意味を、彼は初めて本当の意味で理解した。
ゼノの強さの根源。それは、才能でも、血筋でもない。
ただ、ひたすらに「生きる」ことへの、渇望と執着。
自分たちが、当たり前の権利として享受している「次」を、彼は持たない。
だから、抗うしかなかったのだ。
「……そうか」
レオは、それだけ言うと、唇を強く噛みしめた。
今までゼノに対して抱いていた、嫉妬や侮蔑といった感情が、粉々に砕け散っていく。後に残ったのは、理解を超えた存在に対する、畏怖にも似た、複雑な感情だった。
彼は、何も言わずに踵を返すと、ふらふらとした足取りで去っていった。
彼の魂は、今日、初めて「一度きりの生」の重みを知ったのだ。
*
「ゼノ君、フィオラ・フォン・アストリア嬢。学園長がお呼びです」
教師の一人が、ゼノとフィオラを呼びに来た。
二人は、警備騎士団によって設営された、臨時の対策本部へと向かう。道中、どちらからともなく、言葉はなかった。先ほどの共闘が、まるで嘘だったかのように、気まずい空気が流れている。
テントの中では、学園長イライザと、戦術教官グッドマンが待っていた。
「二人とも、よくぞ戦ってくれた。特に、君の働きは目覚ましかった、ゼノ君」
イライザが、その意味深な瞳でゼノを見つめる。
「君の、魂への干渉を一切受け付けないという特異体質……それが、今回の勝因の一つであることは間違いない」
「……たまたまです」
ゼノは、それ以上を語ろうとしなかった。
「魂狩りの目的は何だったのか、何か聞いてはいないかね?」
グッドマンの問いに、ゼノはリーダー格の男との会話を思い出す。
「……彼らは、神々の輪廻システムを破壊し、全ての魂を『解放』することが目的だと」
「解放、だと? 馬鹿馬鹿しい。それは、ただの大量虐殺ではないか」
グッドマンは、吐き捨てるように言った。
「その通りです」
今まで黙っていたフィオラが、口を開いた。
「ですが、彼らの力は本物。特に、魂に直接干渉する術は、並の騎士では防ぎようがありません。……ですが」
彼女は、ちらりとゼノの方を見た。
「彼の存在は、魂狩りにとって最大の誤算であったことも事実。彼の戦い方は、型破りではありましたが、この学園を守ろうとする意志は、本物でした」
それは、紛れもない、フィオラからの援護だった。彼女自身の口で、ゼノの価値を認めた瞬間だった。
その言葉に、グッドマンは満足げに頷いた。
「ああ、俺も同感だ。おい、小僧」
彼は、ゼノに向き直ると、真剣な顔で言った。
「お前のあの戦い方は、学生のそれじゃねえ。生きるか死ぬかの瀬戸際を知っている、本物の『生存者』の動きだ。どうだ? 卒業後は、俺が指揮する王都の治安維持特殊部隊『ソウルガード』に来い。お前のような奴こそ、本当に民を守れる男だ」
ソウルガード。
それは、騎士団とは違い、魂歴や家柄に関係なく、実力のみで選抜されるという特殊部隊。
ゼノにとって、それは初めて示された、具体的な未来への道だった。
*
対策本部を出ると、夕暮れの赤い光が、破壊された学園を照らしていた。
ゼノとフィオラは、並んで歩きながら、どちらともなく足を止めた。
「……なぜ、かばった?」
ゼノが、静かに尋ねた。
フィオラは、視線を合わせようとせず、夕焼けの空を見上げたまま答えた。
「……言ったはずですわ。わたくしの務めを果たしただけ。それ以上でも、それ以下でもありません」
彼女のプライドが、それ以上の言葉を許さない。
だが、ゼノには、それで十分だった。
「……そうか。それでも、礼は言う。助かった」
「……ふん」
フィオラは、小さく鼻を鳴らすと、今度こそ、迷いのない足取りで去っていった。
その背中には、もうゼノに対する明確な敵意は感じられなかった。
一人残されたゼノが振り返ると、そこにはリィナが心配そうに立っていた。
ゼノは、破壊された学園の惨状と、救護所で「来世」を語らう生徒たちの姿を、もう一度見渡した。
諦める者たち。
そして、自分は――。
「行こう、リィナ」
ゼノは、リィナに手を差し伸べた。
「俺は、抗う。この理不尽な世界にも、俺たちの運命にも、そして……諦めることで平穏を得ようとする、全ての者たちの弱さにも」
彼の瞳には、かつてないほど強く、そして確かな決意の光が宿っていた。
自分は、一人ではない。守るべき少女が隣にいる。好敵手と認めるべき令嬢がいる。そして、自分の背中を追いかけ始めた少年がいる。
『ブランク』の物語は、孤独な生存劇から、運命に抗う者たちの、戦いの物語へと、その様相を変えようとしていた。




