プロローグ:来世でまた会おう
この世界、テラ・アニマにおいて「死」は終わりを意味しない。
それは、神々が構築した魂の自動循環システム『ディヴィナ・サイクル』によって、次なる生への移行期間に過ぎないからだ。
死した生物の魂は、その表層記憶の99%を「忘却の河」で洗い流され、新たな器へと再誕する。 そして、魂に色濃く刻まれた『深層記憶(魂の刻印)』、すなわち極めた技術や才能だけが、スキルとして来世へと引き継がれる。
「ぐっ……やられた!」
アストリア王国王立転生学園の訓練場で、一人の男子生徒が膝をついた。 彼の胸元には、魔力で形成された光の剣が突きつけられている。
「勝負あり。僕の勝ちだね、ルーク」
剣の持ち主であるエリート生徒は、澄ました顔でそう告げた。彼の家系は、前世で『雷光の騎士』と呼ばれた魂を受け継いでいる。その魂歴は30回を超え、学園内でも上位のカーストに属する貴族だ。
「くそっ、見事な『ライトニング・エッジ』だ。来世では僕も、もっと強力な剣技のスキルを持って生まれてやる!」
負けた生徒、ルークは悔しそうに顔を歪めるが、その瞳に絶望の色はない。むしろ、次なる生への闘志に燃えている。この世界では、それが当たり前の光景だった。現世での敗北も、来世での勝利のための布石に過ぎない。
勝者は満足げに頷き、光の剣を霧散させながら、当たり前のように手を差し伸べた。
「ああ、楽しみにしてる。――じゃあ、来世でまた会おう」
「もちろんだとも。来世でな!」
それは、この輪廻の世界で最も一般的な、友への別れの挨拶。
また明日会うかのように、彼らは軽やかに「来世」を口にする。
その光景を、訓練場の隅から一人の少年が冷めた目で見つめていた。
彼の名はゼノ。
(来世で、また会おう……か)
その言葉が、彼の胸に氷の棘のように突き刺さる。
彼らにとっては希望の響きを持つその言葉も、ゼノにとっては残酷な欺瞞でしかなかった。
転生できない。
死ねば、それで全てが終わる。
彼の魂は、神々のシステム『ディヴィナ・サイクル』に登録されていない規格外の存在。 魂の転生回数を示す「魂歴」は、システム上『0』と表示される。
前世の記憶も、受け継いだスキルもない、空っぽの魂。
人々は彼を、侮蔑と憐憫を込めてこう呼んだ。
――『ブランク』、と。
「……馬鹿馬鹿しい」
誰にも聞こえない声で、ゼノは吐き捨てる。
彼らにとって死は次のステージへの切符だが、俺にとっては奈落への片道切符だ。一度きりの命だからこそ、一日一日が、一瞬一瞬が、死と隣り合わせの綱渡り。慎重に、臆病に、誰にも悟られぬよう、この特異体質を隠して生きてきた。
来世などない。
だから、俺は「今」を生き抜くしかない。
どんな手を使っても、どんなに無様だと言われようとも――絶対に、死なずに。
夕暮れの鐘が、訓練の終わりを告げる。生徒たちが「また来世」と軽口を叩きながら去っていく中、ゼノは一人、空を見上げた。
茜色に染まる空に、不吉な亀裂が走ったように見えたのは、きっと気のせいだろう。
だが、その時確かに感じた肌を刺すような悪寒は、彼のたった一度きりの平穏な日常が、間もなく終わりを告げる予兆だった。