小川とかいてちいかわ
ウーバーイーヌの帰り、私は少しイッペイと話をした。
シューヘイの家にあるバーカウンターはオス同士で話し合うのにピッタリなのだ。
「パピーファミリーって奴です。盲導犬のプロになる為にワシはシューヘイの家に来ました」
パピーファミリー。盲導犬が仔犬の時期に一緒に暮らす家族の事を言うらしい。
盲導犬候補のイッペイはシューヘイの元で人と暮らす事と尽くすことを覚えた。
「後輩の事を見てたら思い出しちゃいました。あの頃のワシは人間達に尽くすんだって純粋だったのになぁ。情けないです。それが今じゃ借金生活……」
困ったな。泣いてしまった。
「君は勇気を出してニャームズに相談した。そして借金のない未来への可能性を手に入れた。その可能性は君が真面目に働く限り君から離れてはいかない。そう落ち込むものじゃないよ」
ポロポロ泣いているイッペイの震える背中を私は肉球でゆっくりしっとり撫でた。
「ニャームズさんも不思議な方だが、あなたも不思議だ。なんでもかんでも話したくなる。初めてみた時はとぼけたオスだと思ってましたが、なるほどニャームズさんが相棒に選ぶだけある」
そうか。とぼけたオスだと思われていたか。
私は話を聞くのが好きだ。
色々な動物の一生。色々な人間の人生。
話を聞くことで追体験しているような気分になる。
ああコロナ禍が終わって良かったなぁ。
コロナ禍で一番辛かったのは人と話をする機会がめっきり減った事だ。
この夏はみんなマスクをしていない。
人の顔を見るのは楽しい。
「パピーファミリー期間の頃はシューヘイはまだ目が見えていたんですよ」
「ふむ。シューヘイは生まれながらの盲目ではなかったんだね」
「ワシがいなくなってすぐに心因性視覚障害になりました」
「……シンイン?」
強い怒りや悲しみなどによって目が見えなくなる病気だとイッペイは言った。
目が見えなくなるほどの怒りや悲しみ……それは一体なんなのだろう。
「シューヘイには慕っている兄がいました。ワシがいなくなり、父親と兄がいなくなり……寂しかったんでしょうな」
「シューヘイにお兄さんが?」
父親の声は留守番電話で聞いたが、兄がいたってのは初猫耳だな。どんな理由かは分からないが、幼い時に立て続けに家族が2人と1匹いなくなるのはそれはストレスだったろう。
「もうワシも名前も匂いも覚えちゃいませんがね。元気かなぁ? シューヘイのお父ちゃんとお兄ちゃん」
シューヘイは街の住人に愛され育ったという。
シューヘイが失った2人と一匹分の愛情をみんなでカバーした。
いい話だ。私が好きな類の話だ。
「みんなからは『シューヘイ君とイッペイ君は街の宝だ』って言われてます。シューヘイはともかく私なんて……嬉しいですが」
イッペイはテヘヘと笑った。
シューヘイとイッペイ。この二人はコンビになるべくしてなる運命だったのかもしれないな。
「いい話を聞かせてもらった。ここは私が奢らせてもらう」
「いいんですか?」
ただ話ししてただけで何も飲んじゃいないけど、これでいい。
大事なのはノリだ。このノリについてこれたイッペイもいい犬だ!
酔っている。私はいい話を聞くと酔ってしまうようだ。
イッペイに別れを告げ小川の玄関を出ると電信柱に体を半分隠したサングラスにマスクの男が小川をチラリと見て去っていった。
「……恥ずかしがり屋さんかな?」
ニャームズの鬱がはとどまることを知らない。
COINをしている時はある程度元気を取り戻すが、それ以外の時間はいつも悲しそうな顔で右斜め下を見ていた。
そんなに右斜め下に何もないだろと言っても右斜め下を見ることをやめない。
もうこのまま右斜め下を見つめ続けたまま死んでしまうのではと心配になった日に事件は起きた。
「おっ?」
窓からCOINが何枚か投げ入れられ、全て私の頭にヒットして落ちた。
鳥だか犬だか分からないが私のCOINではない。ニャームズのものだろう。
ニャームズにそのCOINを見せると彼は「ハッ」としてそのCOINを並べた。
「これがこうで……こっちがこうか」
そうだった。ニャームズはCOINの種類や並びで文章を作って意思の疎通を取れるようにしていた。
「えっ!?」
「どうした?」
「シューヘイが誘拐されたそうだ」
「えっ!?」