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 ターニャは、口にできない思いを抱えていた。それは口にしたとて、決して叶うことのない思いだった。だから彼女は、この旅を終えみんなと別れても、それをずっと胸に秘めておくつもりだった。

 ただ、時々ふと思うのだ。ほんの少しの勇気が自分にあれば、ここに小さな恋が確かにあったことを、彼に残すことができたのではないか、と。


 ターニャは妖精だった。

 妖精は森に住み、小鳥や虫と遊び、時にはイタズラをして旅人を驚かす生き物である。ターニャの見た目は十二、三歳の人間の女の子にそっくりだが、大きさはせいぜい小さなフェレットくらいで、耳が尖っている上にトンボのような羽根が生えているから、まったく同じと言うわけではない。

 服装は妖精によって様々だが、ターニャは蜘蛛の糸で縫い合わせた柏葉のワンピースが一番のお気に入りだった。破れても替えの材料がそこらにいっぱいあるし、何より良い匂いがした。裾丈が短くて、脚が長く見えるのも良い。しかし、小鳥や虫はターニャの服装など、ちょっとも気にしてはくれない。他の妖精たちも同じだ。彼らは美味しい木の実や花の蜜のことしか考えておらず、おそらくターニャが全裸であっても、態度を変えることはなかった。


「その服、すごく可愛いね」

 ある日、森で出会った人間の青年は、そう言ってターニャの服をほめてくれた。彼は旅人で、名はゴードンと言った。光の精霊イルミナの託宣を受け、世界を脅かす魔王を討伐するために故郷を発ち、長い旅を続けているのだと言う。

 それ以来、ターニャはゴードンと行動を共にするようになった。妖精はそもそも単純な生き物だ。好意には好意を、嫌悪には嫌悪を返す。しかしターニャは、ゴードンと共にあることが、自分の宿命であるように思えてならなかった。

 ほどなく、それが勘違いや思い込みではないことがわかった。ターニャにも、ゴードンと同じくイルミナの託宣が下されたからだ。

 お告げによれば、ターニャは導きの妖精として、魔王との戦いに至る道筋を、勇者に示す使命があるのだと言う。そして勇者とは、ほかならぬゴードンのことだった。

 イルミナの声に従い、二人は世界中を旅歩く。ゆく先々で待ち受けていたのは、魔王が世を乱すために各地へ送り付けた悪の手先たち。しかし、二人が出会ったのは敵ばかりではなかった。

 一人目は鉄壁の盾、戦士ロラン。

 二人目は癒し手、精霊イルミナを信奉する女神官マリエ。

 そして三人目は不死の賢者、ミスター・ブラック。

 彼らもまた光の精霊イルミナによって、勇者ゴードンの元に導かれた選ばれし者たちだった。

 五人は次々と魔王の手先を打ち倒し、魔王の居城たる万魔殿にたどり着いた。そして、その奥深くにある玉座の間で、ついに魔王その人と対峙する。

 魔王は六対の竜の翼を持つ巨人で、身の丈はゴードンの倍ほどもあった。ねじくれた二本の角を持つ、そのおぞましい姿を目にして、ターニャはすっかり怯え、身が凍ってしまう。そして、それは他の仲間たちも同様だった。

 しかし、ゴードンが挑戦の雄たけびを上げ、聖なる剣で魔王に打ち掛かると、たちまち仲間たちの心に勇気が戻った。

 五人は魔王の強大な力に傷つきながらも、次第に悪を追い詰め、ついにゴードンの剣が魔王の胸に深手を刻んだ。

 魔王は全身を自身のどす黒い血で濡らし、がくりと床に膝をつく。恐ろしげな角もゴードンに断ち切られたせいで今や一本しかなく、いよいよ悪の最後か――と、誰もがそう思ったその時だった。

 魔王は咆哮をあげ、残された一本の角から激しい雷を放った。ターニャはまばゆい光に目がくらみ、思わずぎゅっと両目を閉じた。そうして次に来るであろう致死の雷撃に身をすくませる。しかし、いくら待ってもそれは訪れなかった。そっと目を開けると、彼女はゴードンの胸に抱きすくめられていた。勇者は自身の体を盾に、小さなターニャを魔王の一撃からかばってくれたのだ。

「大丈夫?」

 と、ゴードンが聞いてくる。自分の方がよっぽど深手を負っているのに、それでも彼はちっぽけな妖精の心配などしている。

 ターニャは思う。ああ、やっぱり私はこの人が好きだ――と。しかし、彼女の恋が成就することは、きっとない。人間のゴードンにしてみれば、妖精など子猫や子犬とさして変わらないのだから。

 ゴードンは妖精の無事を見届けると、意識を失い床に崩れ落ちた。

 ターニャは辺りを見渡す。他の仲間たちも、同じく倒れ伏している。息はあるのか。それとも、命を落としてしまったのか。

 ターニャは魔王を見る。彼はよろよろと立ち上がり、倒れた勇者を見てくつくつと笑い出した。笑い声は次第に大きくなり、そして魔王は天井を仰いで雄たけびを上げた。己の勝利を確信したのだ。

それならそれで良い。ターニャとしては、魔王が傷を癒すために、このままどこかへ去ってくれるほうがありがたかった。もはやここにあるのは、瀕死の勇者とその仲間。動けるのは無力な妖精だけである。もはや、魔王を脅かすものは、世界のどこにもない。

 しかし、ターニャの望みはあっさりと潰えた。

 魔王は、床に転がっていた勇者の剣を拾い上げ、それをナイフのように逆手に持った。そうして傷口から血が流れ出るのも構わず倒れたゴードンのそばに歩み寄り、宿敵にとどめを刺すため、高々と剣を振り上げた。

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