1-2 side.エリック(内海)
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ソファに横たわる感覚で、現実世界に戻ってきたことを確かめる。時刻は午前六時。ヘッドギアを外して起き上がると、まるでタイミングを見計らったように休憩室の扉が大きな音を立てて開いた。
「おはようエリック! 良い朝だね!」
「いえ、全く。あと、現実世界でその呼び方はやめてくださいよ」
朝から元気な人だ。スーツをビシッときめ、深紅に染めたウェーブの髪が揺れる。正確な齢は知らないが二十代後半から三十代前半ほどだろう。おれが働くこの会社――クレアストラ社の社長。そして今しがたダイブしていたVRMMO『Next Earth Onine』通称ネオと呼ばれるゲームの発起人、天王寺珠羅。言わばお偉いさんなわけだが、当の本人が「公式の場以外で堅苦しく接するの禁止!」と明言したので、多少のくだけた態度は許される。おれにとっては気が楽で助かるのだが、とにかく距離が近くてこれはこれで疲れる。
「そう堅いことを言うな内海くん。君のHNは既に社内全員が知っているじゃあないか」
そういう問題ではない。と言ったところで、この人には無駄だろう。
おれはソファから立ち上がって、休憩室の一角にあるドリンクサーバーへ向かう。
「あ、わたしはオレンジジュースね。社長命令」
自分で入れろ、という前に口を封じられた。仕方なくオレンジジュースを用意して渡す。それから自分用に珈琲を用意してソファに座り直す。
「以前から気になっていたのだけど、君はきちんと家に帰っているかい? 今日だって徹夜でゲームなんかして。最近は労働基準法とか色々うるさいから帰ってくれないと困るよ」
「すみません。でも、不具合があると直ぐに呼び出される。それなら最初から職場に居るほうが何かと都合いいでしょう?」
飲んでいたジュースが気管にでも入ったのか、社長は突然咽た。図星のようだ。
「うっ。まあ、そこは悪いと思っているよ。優秀な君に頼らざるを得ないこの状況はいつか破滅を招く。他の社員を育てなければ未来はない。正直、君ほどの人物がここにいてくれるだけで奇跡だよ」
「別に……単におれがかたちにしたいものを、ここなら実現できる。それだけです」
「そんなこと言って急に辞めたりしないでくれよ」
「しませんよ。少なくとも、給料が支払われている間は」
基本給も悪くないうえに、残業代もきっちり出る。元は趣味でやってたプログラミングだ。どの企業からもお祈りメールを返されていたところ、何の因果か社長に拾ってもらった。そのうえ、ここにはあいつもいる。あいつの我儘に付き合うつもりはないが、夢を叶える手助けぐらいはしてやるべきだろう。
「ならいいんだけどね。先程から難しい顔をしているのが気になってさ。昨晩もなにやらトラブルがあったと聞く。今までのダイブはテストプレイかい?」
切れ長の目が、全てお見通しとでも言わんばかりに見つめてくる。普段の気さくな態度とは異なる、トップとしての風格。こうなったら一介の平社員などお手上げだ。
「テストというほどではありませんが……確かめなければいけないことが出来ました。と言っても、まだ具体的に何を、という確証が持てないのですが……」
昨晩からの出来事を社長に伝えた。簡単なバグを直していると、パソコンの画面に一瞬のノイズが奔ったこと。原因や被害を調べたが、特にそれらしいものが見つからないこと。全てが正常。そしてゲーム内で出会ったレオナルドという人物。見たことのない装備に、安全圏外での睡眠。普通、安全圏外での睡眠は【昏睡】や【気絶】のアイコンが表示される。魔物からの攻撃が主な原因だ。もし、ゲーム中に現実世界の身体が意識を失った場合は自動的にログアウトとなる。あいつは、少なくとも一時間以上の昏睡状態にありながら、アイコンが表示されることもログアウトすることもなかった。
他にも不審な点は色々とある。だが、これらはおれの憂いにすぎない。調べても何も出てこなかったのだから。ハッキングを見逃す、なんてこのおれが赦すわけがない。まるで異常を正常と思い込まされている違和感。おれの十八番で負けるなんてことは――。
「疑わしきは罰せよ」
よく通った声だった。
「気になることは徹底的に調べ上げな。仮に君の妄言で済むならそれでいい。問題は、それで済まないときだ。もう直ぐでリリースから半年が経つ。幸い、イベントの準備も微調整を残すのみ。それぐらいこちらで片づけよう。君はこの件に集中しなさい」
自分で言っておきながら、豆鉄砲をくらった気分だった。
「え。でも――」
「社長命令」
ずるい人だと思った。同時に、少し浮かれている自分がいる。
「実はちょーとばかし、思い当たる節がないこともないんだよね。君も同じなんでしょう」
それは――。口を開きかけて、言葉を呑み込む。この人は一体どこまで見えているのだろう。鬼が出るか蛇が出るか。今さら鬼程度でビビるおれでもない。それに、あいつがつくった――おれたちで作りあげたこの世界を、どこの馬の骨とも知らないやつに好き勝手させられては堪らない。
冷めた珈琲を一気に飲み干して立ち上がる。
「ありがとうございます」
「報告だけはこまめにね」
そう言って社長は部屋から出ていった。
オフィスにある自分の席へ向かうべく、紙コップを捨てて俺も休憩室を後にした。
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内 海「社長って社員全員の本名と顔とPNを覚えているって本当ですか?」
天王寺「当たり前だろう。社長として当然のこと。もちろん君のサブ垢も知っているよ、か――」
内 海「オレンジジュースをどうぞ!」
天王寺「ま、ジュースに免じて黙っておこう。次回【魔王をぶっ飛ばしてみない?】面白いと思ったら感想や評価をよろしく☆」