番外編:愛の日(バレンタインSS)(前編)
師匠の家に、わたしは息せき切って飛び込んだ。
王都にある師匠のタウンハウスは、その功績によって強引に与えられたものなので、使用人の一人すら住んでいない。いるのはわたしの偏屈な師匠一人だけである。それを知っていたから、わたしは腹の底から声を出して叫んだ。
「師匠ー!!!!! 助けてください!!!!!!」
数秒後、小柄な人影が二階部分から飛び降りてわたしの目の前に立った。年輪のような皺が目元に刻まれてもなお鋭さは増すばかりの眼差しが、腰の剣に手をかけたまま問うてくる。
「魔物か?」
「いえっ、チョコレート作りです!!!」
師匠が途端にものすごく嫌そうな顔になった。
※
事の始まりは、この大陸で最も強大な帝国であるラスローだった。
ラスローの南部では古くから双月の十四日を愛の日として贈り物をする習慣があったらしい。男性は花を、女性はチョコレートを贈るのが一般的だそうだ。真冬の双月に花を? とこのディロード王国の人間なら思うだろうけど、ラスローは国土が非常に大きい。南部ともなれば一年中海で泳げるほどの暖かさだという。そんな環境下で受け継がれてきた習慣を、現皇帝が面白がって取り入れて、後宮の妃たちに花を贈った。結果として帝国内では爆発的な流行になり、近隣諸国にも波及していった。このディロード王国も例外ではなかった。
「去年くらいから、そういう話を聞いたことはあったんですけどね。どこぞの名家の奥方が製菓が得意な者を呼び寄せたとか、庶民の男性は花の代わりに髪飾りを贈るんだとか、噂だけは聞いていたんですけど……」
まあ聞き流していた。
公式の祭事ではないし、そういう流行りもあるんだな~という程度の気持ちだった。
「でも今日、侍女長が妙に思いつめた顔で『一つお伺いしたいことがございます、妃殿下。どうか人払いをお願いいたします』なんていってきたんですよ。いったい何事かと思ったら……」
軍人貴族家出身の王妃というイロモノなわたしに対しても最初から礼儀正しく、足りないところを補ってくれる有能な侍女長は、張り詰めた顔のままいった。
『チョコレートの用意はされていらっしゃいますか、妃殿下?』
『チョコ? どうしてわたしがチョコを?』
『妃殿下……!』
敏腕侍女長はまるで絶望したような顔で呻いた。
『そんなことではないかと思っていましたが、妃殿下。陛下のご様子から何か察されるところはありませんか……!?』
『陛下がチョコが食べたいといっていたの? それなら用意してあげて』
『私共が用意したのでは何の意味もございません!!! ここのところ、陛下が頻繁に温室に通っておられることは妃殿下もご存じでしょう?』
『あぁ、去年から育てていた花がようやく咲きそうなんでしょう? 一年かけて世話をしてきたんだからすごいよね。咲いたら見せてくれるといってたから、わたしも楽しみにしているんだよ。……それがどうかした? チョコと何か関係がある?』
『察するところがございませんか!! 一年かけて陛下が花を育ててこられたことに!!』
『……? 陛下は花がよく似合うね?』
『ちがいます!! いえ、ちがいませんが、ちがいます!!』
『ははっ、どっちなの? あなたのそんな冗談、初めて聞いたな』
『真面目に申し上げております!! このようなこと私の口から申し上げたくはありませんでした。あまりに無粋ではないかと今でも思っております。しかしながらこのまま事故を起こすよりは主の不興を買おうとも耳打ちするのが忠臣であるというのが侍従長との話し合いの結論でございます!』
侍女長はそこらの騎士よりもよっぽど覚悟の決まった顔をして、キッと目尻を釣り上げた。
『愛の日まで残り一週間しかございません、妃殿下!!』
「───ということがありまして……」
「バカか、お前」
師匠が呆れ顔で一刀両断した。
リビングのソファに座り、紅茶を飲みながら、ムッと師匠を睨みつける。かつては剣聖と呼ばれたという師匠は、昔も今も頑固なじい様である。
「この時期に花とくりゃ、なんのためかピンとくるだろ。俺みたいなジジイでもわかることに何で気づかねぇんだよ、お前は」
「だって師匠、リシューは昔から花が好きだったじゃないですか。砦にいた頃から、綺麗な野の花を見つけると嬉しそうな顔でわたしにも見せてくれていたの、師匠だって覚えているでしょう?」
「ありゃ花が好きっつーか……、まぁ好きっちゃ好きなんだろうが……」
「わたしは昔から思ってました。リシューは花がよく似合うと。あの人の長い銀の髪は淡雪みたいにキラキラしてるし、薄青色の瞳は夜明け前のような神秘さがあるし、とにかくもう顔が、なんていうか、顔がいい!」
「お前、唐突に語彙力がクソになるのやめろよ」
「騎士団の部下がリシューのことを『花びらを食べて生きているといわれても驚かないっす』と評していましたが、わたしも心から同感です」
「そりゃもう妖魔の類だろうが」
「ちなみにその男はわたしのことを『ステーキばっかり食べてそう』といったのでキュッと締めあげておきました。まったく失礼な部下ですよ、わたしは野菜だって果物だって好き嫌いなく食べるというのに」
「問題点はそこか?」
とにかく、と、わたしはこぶしを握り締めて訴えた。
「リシューが自分で花を育てるのは今回が初めてでしたけど、まさか一年かけて『愛の日』の準備をしているとは思わないじゃないですか!」
数日前とか、せめて数週間前ならまだ気づいたと思う。最近になってリシューが花を手配したというならわたしだって察したにちがいない。きっと。たぶん。
だけど一年前だ。まさか一年前から手塩にかけて育てていた花が『愛の日』に贈るための花だったなんて想像がつかないじゃない。
わたしはそう強く主張したけれど、師匠はうろんな顔でこちらを見ていった。
「いやぁ、リシューは昔からああだろ。良くいえば根気があるし、悪くいうと執念深いだろ。一年かけてお前に贈る花を用意していたって、俺はなんも驚かねぇよ。リシューはガキの頃からお前に対してはやたら重い男だったろうが、アリー」
「……? 重くはないでしょう。わたしが無茶をやるから心配性になってしまっただけで」
「あぁ、まぁ、そうだな、それもあるっちゃあるわな……。お前が簡単に命を賭けるガキだったからリシューがどんどん重くなっていったのはあるわな……」
師匠はなぜか疲れたように顔を手で覆ってからいった。
「それで? リシューに贈るチョコレートを作ろうって?」
「はい! 実はわたしにはお菓子作りの経験なんて微塵もないのですが」
「何も意外じゃねぇが、それでなんで作ろうと思った!? 今やお前は王妃様だろうが、王宮の料理人に頼んで作ってもらえよ」
「それも考えたんですけど……、リシューは一年もかけて花を育ててくれているというのに、わたしは他人に作ってもらったチョコを贈るんじゃ、申し訳ないじゃないですか」
「気持ちはわかるが、王に毒を盛った王妃として捕縛されるよりはマシじゃねえか?」
「師匠はどれだけわたしのお菓子作りの腕を低く見積もっているんです?」
「いいか、アリー? 菓子ってのはな、真面目さと繊細さが必要なんだ。昔、ミリスティがそういっていた」
「おお、師匠が唯一頭が上がらない癒しの巫女様が……」
「お前にはどっちもない。ゼロだ」
「失礼すぎませんか、師匠?」
「その辺持ってるのはリシューのほうだろうが。お前にあるのはクソみたいな度胸と無謀さと頑固さだ」
「それって師匠の自己紹介じゃないです?」




