3.んんっ、予想外の方向に
『闇の勢力は、何年もかけて、力を蓄えていたのだろう。
攻め込まれたのは、我が国だけではなかった。
大陸中の国々が、突如として現れた魔物の大軍に、次々と蹂躙されていった。
私が、王命を受けて、王都へたどり着いたときには、ガレキの中から炎がくすぶり、あちらこちらですすり泣く声が響いていた。
父王は負傷して床につき、第一、第二王子は、戦闘中に亡くなったと聞かされた。そして、第三から第六王子までは、四人とも、具合が悪くてとても戦えないのだとな。それを聞かされたときの私は、ひどく冷めた顔をしていたことだろう。
とはいえ、王の代理として、前線で指揮を取れと命じられたなら、私も頷くしかない。名ばかりの将であっても、今この混乱を収め、敵勢力に立ち向かうには、王家の旗印が必要だろうと思ったからだ。
それからは、大陸の端から端まで奔走するような日々だった。
国を守るため、人々を守るため、魔物の大軍に対抗するために、私は敵勢力だけではなく、大陸中の権力者たちとも戦わなくてはならなかった。それは剣ではなく、対話と策謀の戦いだった。
大陸における最大の宗派である聖教会。
大陸の地下脈ともいわれる魔術師連盟。
そして各国各地の騎士団が、日頃のいさかいを捨て、同盟を結ぶことで、ようやく、各国は体勢を立て直し、闇の勢力に対して防衛線を築くことに成功した。
私はその頃には、死なせずの王などと呼ばれるようになっていた。
私の地位としては、正しくは王太子だったけれどね。
王は病床にあって、表舞台に出てくることがなくなっていたから、私が即位したと誤解する者も多かったのだろう。生き残った兄たちは、いつまでも体調不良が続いたため、緑豊かな離島での静養を命じられて、すでに王都にもいなかった。静養には反発も大きかったらしいが、王がどうにかしたのだろう。
率直にいって、その頃の私は、そんなことには構っていられなかった。
世界が滅ぶかどうかの瀬戸際というものと、常に睨み合っているような精神状態だった。
私の心を支えてくれたのは、いつだって君の存在だった、アリー。
けれど、同じほどに、君が私を地獄へ突き落す。
私は死なせずの王と呼ばれた。
それは私の治癒術が、他に類を見ないほどに大規模で、強力なものだったからだ。
私は一呼吸の内に千人の負傷者を癒した。私の術式は、その頃には、天を覆うほど広範囲の魔術陣形を描くようになっていた。
「我が手の内にあるもの、すべてみな光を宿せ」
私がそう唱えれば、空には無数の陣が浮かび、その下にいる大勢の兵士たちへ光が降り注いだ。略式化された自動再構築術は、どれほどの重傷者であろうとも変わりなく、瞬く間にその傷をふさぎ、肉体を再生させた。
王の代理として戦場へ出て五年。
私は、臣下の将たちに、よくいったものだ。
「腕の一本、足の一本、なくしてもよい。その首が繋がっている限り、その心臓が脈打っている限り、私が治してやろう。だが、命だけは惜しめよ」
同じ言葉を、君にいえないのは、私の罪だろうか。弱さだろうか。
だけど、アリー。
私は確かに、比類なき治癒術の使い手だ。命がある限りは、誰であろうと治して見せる。
けれど、もしも、喪われてしまったなら、私には何もできないのだ。その魂が死者の国へ旅立ってしまった後には、私はもう、呆然と立ち尽くすしかないのだ。
その危険性を思えば、君に対して、ほかの将たちにいうように、腕の一本、足の一本と、いい放つことはできなかった。なくしたその場に、私がいなかったら、君はたちまちのうちに、命を落としてしまうのだから。
君は、一騎当千の勇者ではない。最強の騎士でもない。君の身体強化の術は、そこまで強力ではなかった。
あぁ、もしも君のその術が、幼い頃の私が夢想したほどに強かったなら。大男でも、指一本で打ち砕けるほどであったなら、私はこれほど君を憎まずにいられただろうか。
しかし、現実として、君はせいぜい、成人男性と同じ程度の身体能力を持つことができるだけだった。
確かに、君の剣は素晴らしい。長年の鍛錬のたまものだ。一対一で戦ったなら、騎士団でも有数の強さだろう。けれど、敵は魔物の大軍だ。あの闇の勢力を前にしては、剣の腕一つ、あっけなく倒れていく一兵卒と、どれほどの差があるというのだろう。
今や君は王太子の婚約者だ。前線に出なくともよい。君が戦わずとも、誰も何もいわない。もしもいう者がいたとしても、私が黙らせてみせよう。
私は死なせずの王。
戦場の兵士たちにとっては、決して失うことのできない最後の命綱。
君が王宮で待っていてくれるから、私は安心して力を振るえるのだと、そう公言しようじゃないか。君が戦場に出るようなことがあれば、不安でたまらず、術式も狂ってしまうだろうとな。
兵士たちもその家族も皆、婚約者の帰りを健気に待つ君を称えるだろう。王宮を守ることが婚約者である君の役目だと、誉めそやすだろう。
あぁ、君が、待っていてくれる人であったら、私はどれほど楽だったか。
否、わかっているのだ。
君がそういう人であったら、あの日、辺境の砦へ旅立つ私のもとへ、当たり前の顔をして現れたりはしなかっただろう。
私たちの婚約は、とうに解消されていただろう。
私はきっと、魔物の大軍を前にして、手も足も出ずに、ひっそりと命を落としていたことだろう。
だけど、アリー。私は未だに、君が先陣を切っていくことに、納得ができない。
君の夢は、立派な騎士になることだった。私だって、それはよく知っている。君の傍で、ずっと君を見てきたのだから。ああ、君はよくいっていた。眼を輝かせて語っていた。
騎士とは、人々を守るための、一振りの剣であること。騎士とは、正義のために戦う者であること。騎士とは、平和の礎にならんとする者。騎士とは、己の屍の上に、仲間のための道を作るものだ、と。
ふざけるな。
受け入れられるか。
騎士なんて、くそくらえだ。
私は何度も君に頼んだな。騎士ならば、王太子である私の傍にいてくれと。私を守ることも、騎士としての立派な役目だろうと。
けれど、君は、騎士であり王太子の婚約者でもある身だから、できることがあるといった。あぁ、それは正しい。ごもっともだとも。だから私は、君の意見を聞き入れて、君のための騎士団を作り、君に団長位を与えた。そして、騎士団長として、私の傍で、私を支えてほしいと願った。
なのに、どうして君は、いつもいつも、先陣を切って、勇ましく敵軍へ突撃していくんだ?
私は君に、何度も請うたな。頼むから、戦場では、私の傍にいてくれと。指揮官が先頭に立つ必要はない。君は後方にどっしりと構えて、采配を振るえばいいだろうと。
けれど、君の答えは、いつも同じだった。
「リシュー。わたしには、そういうの向いてないよ。リシューは最高の治癒術師だし、全体を見るのが得意だし、作戦を考えるのも上手いからね。後方で指揮を振るってほしいけど、わたしはちがうんだ。わたしは皆のしるべとなって進まなくてはね」
君の言葉はいつだって正しく、そして誇り高かった。
「魔物の大軍は、誰にとっても恐ろしい。あの異形の群れを前にすれば、誰だって身がすくんでしまう。だからこそ、わたしが先頭に立つんだ。女で、小柄で、王太子の婚約者でもあるわたしが、皆の先陣を切るんだよ。そうすれば、兵たちも、怖気づいてはいられないだろう? みな、わたしに負けてはいられぬと奮い立つさ」
「君のいうことはわかる。だけど、アリー。君は、君は確かに素晴らしい騎士だけれど、でも、聖剣を持った勇者というわけではないんだ、君は」
「魔物相手にはそんなに強くない? やだな、そんな顔しないでよ、リシュー。わかっているよ。わたしはそんなに強くない。でも、いいんだ。たとえわたしが倒れたとしても、仲間たちは、その屍の上を駆けて、敵を滅ぼすだろう。わたしたちの屍が、平和の礎となるだろう。わたしはそれでいい」
よくない!!!
私はそう、血を吐くような思いで叫んだけれど、君の心は変わらなかった。
あぁ、今になってわかる。あのとき、ルドヴィク老がいっていた言葉の意味が。
君は誇り高き騎士一族の娘。騎士ランス・レガルドの子、アーマリナ・レガルド。レガルドの一族の血を色濃く受け継いだ、騎士の魂の体現者。
だけど、私の愛するアリー。
私はただ、君に無事でいてほしいだけなのに、それだけのことが、こんなにも難しい。
私は君を愛していて、君も私を大切に思ってくれているのに、私たちの望みは真っ向から対立する。
そして今日、私は君が、右腕をもがれたことを知った。』
ぱらりと、三度目になる音を立てる。
今度は、その文字は、ところどころ乱れて、荒れていた。その心情を映し出したかのように。