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1 藤高貢の捕り物と暗号

書籍の宣伝も兼ねて4話ほどのショートストーリーを掲載します★

※書籍化に伴い、桜子の名字の表記を「胡条(こじょう)」に変更しました。過去掲載分は折を見て差し替えます※


 縁日の神社は、多くの人でごった返していた。

 立ち並ぶ夜店や見世物小屋をのぞく子どもたち。屋台からは焦げたソースや蒸した饅頭の美味そうな匂いが立ち上っている。

 楽しそうに行き来する人たちの中を、黒い軍帽がいつもより身を縮めて、目立たぬように足早に抜けていく。


 普段は祭になど足を運ぶことなどない藤高貢(ふじたか みつぐ)が、わざわざやって来たのには理由がある。


 貢は人を追っていた。


 小汚い着物と袴。嵐のあとみたいなグシャグシャの黒い髪に、骨に皮膚が張り付いたような痩せた身体。そして、荒んだ瞳。

 貢は、その男の特徴をよく記憶していた。国防に関わる事柄だったから。


 男を見かけたのは、たまたまだ。

 公務を終えた帰り道、ふいに縁日で賑わう神社に入っていく見覚えのある顔を目の端に捉えた。

 貢はすぐに動いた。背が高く人目を引きやすい貢は、細心の注意を払って、男の後を追った。


 縁日を楽しむ人たちの間を、男は瘦身を活かして、するすると通り抜ける。

 貢は男と少し距離を取りながら、帽子を目深に被り、同じ速度で追尾した。


 そうしているうちに、男は屋台が密集して立ち並ぶ参道から離れ、植木を越えて境内の裏の方へと入っていった。


 貢も同じように、暗い境内裏に踏み込んだ。

 木に姿を隠しながら男の消えた方に足を運んでいると、突然ドンッという鈍い音がした。

 貢は慌てて走った。


 追いついた、と思った瞬間、さっきまで追いかけていたはずの男が、貢に向かって吹っ飛んできた。

 貢が男を受け止める。だが、やや体勢が悪かった。


 貢は男ごと後ろに倒れて尻もちをついた。

 男が飛んできた方には、逃げていく人影が見える。


「おい、あんた………」


 貢は飛んできた男に声をかけた。

 だが、男は頭を振るうと、貢に見向きもせずに立ち上がった。


「チクショウッ……」


 小声で振り絞るように言って、謝罪の一つも口にせずに人影の消えた方に走っていく。


「チョット待ちなさい!!」


 慌てて立ち上がろうとした瞬間、貢の手元で、ぐしゃりと音がなった。握りしめたのは紙の感触。


 さっき男が貢に向かって飛んできたときに、弾みで懐から落ちたもののようだ。


 貢はその紙を拾って立ち上り、ポケットに捩じ込むと、急いで男の走り去った方へ向かった。



◇  ◇  ◇



 よく晴れた日の午後、新伍(しんご)は道をぶらぶらと歩いていた。

 どこへ向かうというわけではない。ただ、道を歩いていた。


 大学の講義は大抵、午前中で終わる。

 午後は各々、真面目な者は研究をしたり本を読んだりして過ごし、学生生活を謳歌している者はせっせと怠惰な遊び事に身を興じている。


 新伍は静かに本を読む午後も好きだが、こうしてあちこち見て歩くのも好きだった。


 よく知らない土地を歩いていると、ふいに面白いものに出会えたりする。


 特に、最近では甘味の店を気にして見るようになった。

 新しい甘味の店を見つけると、胡条家にお土産を買って行ったり、あるいは桜子を誘ってみようかと考えてみたりする。

 桜子さんは存外甘い物が好きだからな、などと考えていたら、甘味を前にして、嬉しそうに礼を告げる桜子の様子が頭に浮かんで、新伍の口元が自然と綻んだ。


 いつものごとく、道行く人や店の様子を眺めながら歩いていると、いつの間にか人の多い通りから外れてしまったらしい。

 民家が軒を連ねている辺りの、家々の裏の方へと抜けたようだ。


 目の前には長閑な畑が広がり、その向こうに、ぽつんぽつんと数軒の建物が建っているのが見える。


 表通りに戻ろうかと踵を返しかけたとき、興味深いものを目に捉えた。


 長屋の壁に炭で書かれたアルファベット。


・・・・・・・・・・・・・

 PMu  c"『S』Bi dKa

・・・・・・・・・・・・・


「へえ?」


 cのあとには、不自然な二点。

 その後のSは、鏡文字になっている。(表記上は、文字を反転させることができないので『S』で表記しています)


 鏡文字は間違えているのか、わざと書いているのか。わざとだとすると、これは何かの符牒だろうか。


 新伍がいつもの癖で、顎に手をやり考えていると、痩せた老人が桶と雑巾を持ってやってきた。


 横には麻の着物に身を包んだ、人の良さそうな中年の女。


 二人は落書きの前までやって来て、足を止めるなり文句をたれ始めた。


「ほら、見てちょうだい」


 困り顔で言う女に、痩せた老人が「まったく、けしからんですな!」と、顔を真っ赤にして怒る。


「毎日、毎日、消す方の身にもなってみろってもんですわ!」


 老人の言いぶりからすると、この落書きは初めてではないらしい。そして、これを消すのは老人の仕事のようだ。


「悪いわね。いつも」


 謝る女に、老人は「いやいや」と首を左右に振った。水のたっぷり入った桶をドンと床に置く。


「差配人さんのせいではない。私もしょっちゅうご迷惑をかけとる身ですから、これくらいはいつでも頼んでください」


 どうやらこの塀は長屋の外壁であるらしい。中年の女は長屋の差配人で、老人男性はここの住人なのだろう。


「それじゃあ、トクさん。よろしくね」


 差配人は老人に頭を下げると、長屋の中へと戻っていった。


 新伍が何となしに、老人をそのまま観察していると、彼は近くに転がっていた木箱を取ってきて、その上にドカッと座った。

 どこから取り出したのか、煙管(きせる)に細かな葉屑をぽろぽろ入れて、小さな火打石を使って器用に火をつける。細い煙のくゆる煙管の端を口に含んで、一服を始めた。


 落書きを消すように頼まれていたはずの男は、一向に動く気配がない。美味そうに煙をふかして、ぼんやりと遠くを見ている。


 ついさっき、憤慨していた姿とは別人のようだ。


 新伍は隣に並んで、男が眺めているのと同じ方角を見た。


 人通りのない畦道の向こうに、何軒か家や建物が点在している。中でもひと際目につくのは、真正面に立つ、2階建ての比較的新しい建物。屋根には深い緑色の瓦が敷いてある。


「トクさん、消さないんですか?」


 新伍が話しかけると、老人はゆっくりと首をひねって新伍を見上げた。


「……はて、知り合いだったかね?」

「さっきの女性がそう呼んでいたので」

「あぁ……」


 老人は、煙管を口から離した。よく見るとかなり使い込まれたものだ。


「徳助だからな。昔から、皆にそう呼ばれとるのさ」


 徳助は長いこと、ここの長屋に住んでいる棒手振りだそうだ。

 新伍は自分の背後の壁を一瞥して尋ねた。


「それでは、徳助さん。この落書き、消さないのですか?」

「……消すさ」


 徳助は、煙管を未練がましくギリギリまで吸ってから、雁首打ち鳴らして残り滓をカンと地面に捨てた。

 のそりと立ち上がる。両手を空に向けてグーッと伸ばし、柔軟体操のように腰を反らせた。


「さぁ、やるかね」


 気合を入れるように一声上げると、雑巾を桶に突っ込んだ。じゃぶじゃぶと水を含ませてから、ギューッと絞る。

 それから中腰になって、ゴシゴシと壁をこすり始めた。


「手伝いましょうか?」


 大変だろうと申し出た新伍に、徳助は「いんや、不要」と首を振った。


「ワシが差配人さんに頼まれたことじゃからな」


 断られた新伍は、それなら暗号をじっくり見せてもらうかと、徳助の後ろに立って、長い壁の右端から左端へと視線を滑らせた。

 これは長屋の後ろ壁で、きっと反対側に回る長屋の入口があるのだろう。


「この落書きは、初めてじゃないんですか?」


 新伍が尋ねると、徳助は消しながら、「そうだな」と頷いた。


「3回目……くらいだと思うがね」


「なるほど。その度に、いつも徳助さんが消しているのですか?」


「あぁ、そうじゃ。ワシは普段は棒手振りをしているが、大した稼ぎはない。故に、いつも家賃を持ってもらっておる。これくらいは働かんとな」


  さっき徳助が差配人に、「いつも迷惑をかけている」といったのは、そのことだろう。長屋暮らしは助け合いだから、こういった頼まれ事はよくあることだ。


「書いてあるのは、いつも同じ内容ですか?」


 徳助は、壁を擦る手を止めた。


「同じ内容……というのは、全く同じかという意味か?」

「全く同じなんですか?」

「いや、違う」


 徳助は、拭き取った炭のついた雑巾を桶の水に浸して濯いだ。


「だが、外国の言葉ではある」

「外国の言葉……ですか」


 新伍は、三分の二程消された壁の文字を見た。

 元の言葉は、


 PMu  c"『S』Bi dKa


「これは外国の文字ではありますが、言葉ではありません。こんな単語はない」


「そうかね?」


 徳助は、あまり内容には興味がないようで「ワシには、よく分からん」と言って、雑巾をきつく絞りあげると、再び壁に向かった。


 新伍は、消している徳助を眺めながら考えた。


 文字の塊は3つ。だが、徳助にも言った通り、こんな単語はない。

 何かの略語か、あるいは順番を並び替えると何かの言葉になるのか……


 いずれにしても、これだけで解読するには、情報が少なすぎる。


「また明日、来てもいいですか?」


 新伍が尋ねると、徳助は「勝手にしろ」とばかりに、一瞥しただけだった。


*  *  *


 新伍のもとに藤高貢が訪ねて来たのは、その日の夕方だった。

 貢は、縁日で男を追いかけていた時に拾ったという、不可解な暗号を懐に携えていた。



『少尉と書生探偵』というタイトルありきで作ったショートストーリーです。

桜子がサイドに回っています。

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