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12 堤大二の依頼

インフルエンザにかかっていました。。。


 書簡と手紙を三度読み直し終えた頃、部屋の扉を叩く音がした。「東堂樹さまがいらっしゃいました」と、女中が告げる。


 新伍は帳面を元の木箱に片付け、応接間に向かった。

 これからする話は、あまり人に聞かれたくない。茶を飲みながら待っていた樹を誘い、二人で屋敷の外に出た。日暮れの早い時期だから、辺りは既に薄暗い。


「また、随分と大変な目に遭われたようですね」


 本題に入る前の挨拶代わりに、樹が新伍を労った。


「お聞き及びでしたか。ご心配かけまして」

「しばらく韮崎さんのお宅に抑留されていたと伺いました。随分と疑われたのだとか…」


 あまりに気の毒そうに言うものだから、「それは、いくらなんでも大袈裟です」と、思わず苦笑いをした。容疑者扱いはされたが、あれは勝川の本心ではない。


「でも、五島さんはご自身への嫌疑を晴らさないといけない立場なのでしょう? 日を改めたほうがいいでしょうか?」

「いえ、予定通りにお願いします」


 樹への頼み事は、韮崎洋品店の事が起こるより以前からしていたことだ。本当なら、もう少し早く手筈が整うはずだったが、思わぬ事件で先延ばしとなっていた。


「あちらは今のところ膠着状態ですし、それに案外、こういう別件を手がけているうちに、ふいに物事が進んだり、閃いたりすることもありますから」

「へぇ。そういうものですか」


 探偵さんは凄いですねと、素直に感心して頷く。こういうところは樹の美点だ。大店の息子特有の鷹揚な育ちの良さがある。


「それよりも、樹さんをこんなことに付き合わせて申し訳ありません。……イツさんが知ったら、あまり良い気はしないでしょう?」


 新伍は、気まずさから先んじて謝った。樹がそれに対して答えづらそうに笑ったのは、肯定の意だろう。


「桜子ちゃんにも、黙っていたほうがいいですよ。花街通いだなんて、喜ぶ婚約者は、まずいませんから」

「……肝に銘じます」


 新伍がこれから樹とともに行くのは花街、すなわち遊郭街である。


 花街に行きたいと、新伍が樹に頼むに至ったのは、決して色事を愉しむためではない。胡条家のお抱え人力車夫、堤大二(つつみ だいじ)の依頼に応えるためだ。


 あれは、韮崎洋品店の事件が起こるよりも少し前のこと。桜子を訪ねて胡条邸に顔を出した新伍は、大二に呼び止められた。「知人の娘を探して欲しい」というのである。


「娘さんを探している知り合いというのは、どういう方ですか?」


 何となく口の重い素振りをみせる大二に、一緒にいた桜子に先に屋敷に入るよう促してから、詳しく聞いた。

 年頃のお嬢さまがいなくなったことで話しやすくなったのだろう。大二は「知り合い」だという、その女性との馴れ初めについて語った。



「彼女は年季の開けた元女郎で、名はオクノといいます」


 出会ったのは下町の飲み屋。オクノは、男に酌をしては小遣いをせびっていた。


 その店ではオクノは有名人らしく、大二に色目を使って近寄ってきた彼女に、他の荒くれ者の客たちは小馬鹿にするようなことをやいの、やいのと囃し立てた。


 だが、オクノはその下卑た視線も嘲笑も、全く気に留めていなかった。「お兄さんが色男だから、あいつらやっかんでるのさ」と大二に向けて艶然と笑う。

 その笑顔が強かで、心惹かれた。面白い女だと興味をもち、一夜を共にしたのが始まりだった。


 大二はやがて、深い仲になったオクノの面倒をみるようになった。彼女の家に通い、生活費を渡す。

 飲み屋での姿からは意外なほどに、オクノの生活は慎ましやかで堅実だった。大二が渡していた金銭はそう多くはないが、足りぬ様子はない。

 二人で過ごす日々は、とても穏やかだ。


 転機は突然だった。ある日、オクノは大二に、まとまった金子が欲しいと言った。

 かなりの大金ではあるが、独り身で、胡条からの給金を殆ど貯めていた大二にとって、出せない額ではない。とはいえ、何に使うのか分からぬままには渡せない。


 問い質すと、オクノは「子を引き取りたい」のだと言った。

 彼女には、まだ女郎として働いていた頃に産んだ子がいるのだという。客との間の子だが、産まれれば一人ででも育てるつもりだった。だがオクノの希望に反し、産んですぐに、子は置屋の主人に取り上げられた。オクノの知らぬうちに、どこかへ里子に出されたのだという。


 それでもオクノは諦められなかった。

 年季が明けてからも、ずっと娘を探し続けた。そしてオクノによると、少し前に、街を歩いていたときに偶然、その娘を見つけたという。


 オクノは、いてもたっても居られず、その商家に飛び込んで「娘を返して欲しい」と訴えた。

 当然、門前払いをされたが、しつこく頼むと、どうしても返してほしくば金を寄越せと言われたという。


 自分だけで用意できる金ではない。でも諦めるわけにはいかない。

 それで意を決して、大二に頼んだという次第だった。


 畳に頭を擦り付けたオクノの肩は、震えていた。あの強気な女が「お願いします」と涙混じりに訴えるのだ。大二は驚きのあまり、しばし動きを止めた。


 我に返った大二は、すぐに心を決めた。

 金を包み、その家に行くと、主人にオクノの娘を返して欲しいと頼んだ。

 結果は散々たるものだった。


 家の主人は顔を赤くして、烈火のごとく怒鳴りつけた。門前で両膝をついた大二に主人は、「正真正銘うちの娘だ、何を言うのか!」と罵声を浴びせた。

 話を聞くうちに、どうやら「金を寄越せ」と言ったのは、オクノがあまりにも引かないから、到底払えないだけの額をふっかけただけ、本当に持ってこられても、はなから引き渡す気なかったのだと分かった。それでも納得せぬ大二に、ついに主人は、その子の臍の緒を見せた。


 あのオクノの切実な姿が嘘だと思えぬが、大二は引くしかなかった。

 どうしたものかと思い悩んで数日、オクノがまた、とんでもないことを言い出した。


「生きた別れた娘を見つけた」と訴えたのだ。それも、前とは別の娘である。


 一体どういうことか。勘違いでもしていたのかと、腑に落ちぬ思いを抱えながら、今度はその家に足を運んだ。

 結果は前と同じであった。

 激怒した主人に、大二は塩を撒かれて追い出された。

 

 どうもおかしいと抱いた疑念は、同様のことを二度三度と繰り返すうちに、膨らんでいく。


「二度三度も、ですか?」


 話を聞いていた新伍は驚いて問いかけた。大二が苦々しい顔で肯定する。


「全部で6度。6歳くらいの女の子を見つけてきては、オクノは『自分の娘だ。引き取りたい』と騒ぎ立てるのです」


 半年程の間のことだというから、相当な頻度だ。


「そういうことが起こる度、毎回、大二さんが足を運んだんですか?」

「えぇ。オクノが騒ぎ、私が行く。途中からは、交渉というより騒動を収めるために行っていたようなものでしたが。おかげで、私もオクノもあの辺り一帯に顔が知られて、今じゃ堂々歩くのも憚られますよ」


 人力車夫としては非常にやりずらいことだろう。幸い、胡条家の面々が顔を出すような辺りではないから何とかなっているようだが。


「オクノさんが挙げた家や子に、何か共通点はあるのですか?」

「6歳前後にみえる女の子、という以外は……髪の長さも背格好もまちまちでしたし」


 大二は少し考えてから「でも…そうですね。どの家も、比較的裕福ではありました」と答えた。


「大二さんは、6軒全ての家に行ったのですか?」

「はい……あ、いえ。一度だけ、行く前に自分から『間違いだった』と言い出したことがありましたが」


 だから実際に足を運んだのは5軒。それでも、ほとんど全てに変わりない。大二も、流石におかしいと疑った。


「ねぇ、五島さん。オクノの娘など、本当にいるのでしょうか?」


 何か言いたげに口ごもる大二に、新伍は黙って先を促す。

 もやもやとした疑念を、ずっと吐き出したかったのだろう。抑えきれなくなった心の澱が、言葉となって溢れだした。


「子は確かに産んだのでしょう。ですが、置屋の主人は里子に出したのではない。そうではなく……実はその赤子は亡くなっていたのではないかと思うのです。だけど、それではあまりに不憫だから、主人はオクノに嘘をついた。いえ、もしかしたら真実を話したけれど、オクノが受け入れられなかったのかもしれません」


 どう思いますか、と問う大二は、肯定して欲しい気持ちと否定して欲しい気持ちの半々なのだろう。


 新伍は神妙な顔で「そういうことも、あり得ますね」と相槌を打った。あくまで、可能性の一つとして答えただけのつもりだったが、大二の表情が安堵に変わる。


「やっぱり、そうですか」


 ふぅ、と一呼吸置いてから、噛み締めるように、「オクノの心は壊れているのですね」と呟いた。


 受け入れられない現実に、ずっとオクノの心は傷を負っていた。何のきっかけか分からないが、その傷を覆う瘡蓋がとれたに違いない、大二は考えているようだった。


「ありがとうございます。ようやく、踏ん切りがつきました」


 心の中では亡くなったにに違いないと思っていたが、オクノが気の毒で、そう決めかねていた。新伍のおかげで、これ以上、オクノの虚言に付き合っても仕方がないのだと諦めがついたという。


 どうやら、真の依頼は人探しではなく、自らの疑念を肯定してもうことだったようだ。

 だから期待された役目は、これで終わりだろう。だが、新伍は大二の話の中で少し気になるところがあった。

 そうなると、調べてみたくなるのが性分だ。


「僕が、その娘さんとやらを探してみましょうか?」


 新伍の提案が想定外だったようで、大二が言葉に詰まった。諦めようとケリをつけたところで、戸惑っているのだろう。


「オクノさんに本当に娘がいるのか。仮にいないとして、何故、何のきっかけでオクノさんがそのようなことを言い出したのか。その理由だけでも分かれば、今後の対処をするうえで、大二さんにとって心強いのではないですか?」


「……ありがとうございます。ですが恥ずかしながら、車夫の私は五島さんに人探しをお願いするような余裕はありません」


 新伍は先日、陸軍の藤高少尉から暗号解読の依頼を受けた。その際に謝礼をもらったと言う話を桜子にでも聞いたのだろう。

 オクノの娘を引き取るためならば苦しくとも身銭を切る覚悟はあるが、いるかどうかも分からぬ娘を探すための依頼料は出せぬのだ。


 新伍は笑って首を横に振った。


「僕はただの学生ですから、そんなことは……でも、そうですね。もし、僕が堤さんの困り事を解決できたとして、何かお礼をというのであれば、今度、桜子さんと出かける時にでも、人力車を出してくだされば」

「え? しかし、お嬢さまが出かけるならば、五島さんがいようといまいと、私は人力車を引きますが……」


 そんなものはお礼でも何でもないだろうと言われたが、別にそれでも構わない。

 時津やイツ同様に、大二も幼い頃から桜子を可愛がってきた胡条家の使用人だ。そういう愛情をたくさん注がれて、今の桜子がある。大二の依頼を断っては、桜子もガッカリするだろう。


「見つけられるというお約束はできませんが、一先ずやってみましょう」



 大二の依頼を請け負った新伍は、早速、オクノが「自分の娘だ」と言った家々をまわることにした。


 6軒のうち、まずは、実際に大二が訪ねたという5軒に足を運んだ。

 自分の子だなどと言い出した不届きな女のことを、どの家の人間もしっかりと覚えていた。5軒のうち3軒は、新伍が改めて事情を説明したことで同情的に話を聞いてもらえたが、残り2軒は、「二度と聞きたくない」、「顔も見たくない」と、けんもほろろに追い出された。



 残る1軒は、一度は「自分の子だ」と主張したオクノがすぐに「間違いだった」と撤回した家だ。

 新伍が大二の話に引っかかった理由の一つは、この家だった。何故、オクノは主張を翻したのか。この1軒は、他の5軒と何が違うのか。


 韮崎藤助が亡くなった日。韮崎邸に行く途中で人力車を降りた新伍は、そこに向かった。


 件の家は、そこそこ繁盛している質屋だった。

 まずは用のある客のふりして、入口から店内を覗いた。


 中は質屋にしては広い。他の客はいないようだ。上がり框に、綺麗な着物を着た6歳くらいの女の子が座って、薬屋から貰うような紙風船で遊んでいる。


 番台には男性が1人座って、台帳を見ていた。渋い茶色の着物の中年の男だ。主人か番頭のどちらかだろう。


「こんにちは」


 新伍が声をかけると、中年の男と女の子が顔を入り口に向けた。


「いらっしゃいませ」

 中年の男は新伍と目が合うと、初めて訪れる客を愛想の良い挨拶で迎え入れた。

 新伍は質流れ品を探すふりして、番台の男に話しかけた。


「舶来の万年筆を探しているのですが、いいものはありませんか?」

「万年筆ですか? 舶来品はあまり出回りませんからねぇ」


 言いながら、親指を唾で湿らせ、ペラペラと台帳を繰っていく。質草について書いてあるのだろう。「あぁ、これなら」と独り言ちると、立ち上がって、棚をガサゴソと漁り始めた。


 その隙に何気なく女の子に視線をやると、ちょうど目が合う。


「こんにちは」


 新伍の挨拶に、女の子は無言でペコリと頭を下げた。


「こら、おタエ。ちゃんと挨拶しなさい」


 男は探し物をしながら、ちらりと視線を渡して、軽く注意した。


「タエちゃんは、こちらの娘さんですか?」

「えぇ。こちらのお嬢さまですよ」


 男は番頭で、タエは主人の子だという。


「そうですか。とても……可愛らしいですね」


 わざと遠くをみるような目で、含んだな言い方をしてみせると、客商売に慣れた番頭はすぐに耳聡く「どうかしましたか?」と尋ねた。


「いえ。僕の知人で、幼い頃に生き別れた娘を探している方がいまして……生きていたら6歳くらいと聞いていたので、あのくらいなのかなと」


 オクノの事情を、やや踏み込んで告げてみる。番頭は神妙な顔つきになって、「それは、お気の毒に」と通り一遍の文句を告げた。

 大二はここには来ていない。だから、こういう反応になるのだろう。


「私なんぞも、それこそ、おタエが産まれた頃から面倒を見ておりまして。本当の親でなくとも、生き別れだなんてことになれば、胸が引き裂かれる想いですよ」


 偽りではない同情の言葉だった。

 番頭は、「見つかるといいですね」と温かい励ましをかけてから、棚の中から出してきた細長い木箱を机に置いた。中には万年筆が入っている。


「随分前のものですがね。いがでしょうかかか?」


 新伍は勧められた万年筆を手にとって握ってみたり、ペン先を空中に翳してみたり。通り一線の()()をしてから「好みのものと違いました」と店主に礼を告げて、店を出た。



 外に出た新伍は、懐に忍ばせていた地図を広げた。バツ印は6つ。これでオクノの話の全ての家を訪れた。


「気になること……ないでもない、か」


 だが、それは今のところ、小さな引っかかりを集めて練り上げた空想に過ぎない。


 この空想の正否を判断するためには、まだ足りない。繋ぎ合わせるためには、いくつかの証左を積み上げなくてはならない。



 オクノがかつて身を置いていた置屋には、初めから話を聞くつもりでいた。


 だが、遊郭街や置屋など縁のない新伍には、当然、伝手がない。新伍の考え得る範囲で、最も有力な仲介役が樹だった。着物が商売道具の東堂呉服店は、遊郭とも縁がある。


 樹に相談すると、快く……とはまではいえないが、協力してくれることになった。多分、他の変な者に協力を仰ぐより、自分が繋いだほうがいいと判断したのだろう。桜子はいつも「頼りない」と心配するが、新伍から見た東堂樹は、彼女が気を揉む程、(やわ)な人ではない。



 樹はすぐに動いてくれた。新伍を連れて行くための手筈を整えてもらっているうちに、韮崎洋品店の事件に巻き込まれ、どんどん後ろ倒しになってしまったというわけだ。


「以前もお伝えした通り、五島さんが探している置屋は、少し前になくなっています」


 先に調べてくれたところによると、オクノのいた置屋は主人が亡くなり、後を継ぐものがなく廃業したらしい。その時にいた女郎たちは、近隣の置屋へと移ったようだが、詳しいことは分からない。


「いろいろと聞いてみたのですが、あまり大したことは分からず…とりあえず今夜は、僕の顔が利く置屋に話を聞けるように約束を取り付けてありますが、五島さんが聞きたいことが聞けるかどうか」

「僕では何の手立ても伝手もありませんので、樹さんが繋いでくださるだけで助かります」


 オクノのことを知っている人を見つけられればよいが。あるいは、相手の男のことを探るほうが早いだろうか。



 樹の用意してくれた行灯が、ぼんやりと行く方先を照らしている。「あまり目立たないほうがいいでしょうから」と、屋号のついていない行灯だ。


 色香漂う街はこれから、起き出す時間だろう。二人の男は、浮き立たぬ気持ちを抱えたまま、欲に溢れた賑わいへと足を向けた。



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