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11 新伍の聞き取り調査と謎の書簡


 勝川警部補の元を離れた新伍は、韮崎邸の玄関に立ち止まって、花を眺めていた。


 両手で抱えないと持てないほどに大きな花瓶には、溢れんばかりの花が生けられている。花の名には詳しい方ではないが、中心に活けられたユリくらいは分かる。黄味がかった白い花びらの真ん中に黒い斑点。古風で品のある姿は、どことなく韮崎八重子を思い起こさせる。


 新伍は首を伸ばして、花台の奥を覗き込んだ。

 今日はきちんと掃除が行き届いているようだ。台の上には落ちた花弁や葉は勿論、水滴一つも落ちていない。


 ちょうどそこへ、雑巾を手にした女中のタツ江が通りかかった。


「すみません。タツ江さん」


 声をかけると、タツ江が足を止めて無言で振り返る。


「少々お聞きしたいことがありまして。えぇっと……韮崎藤助さんのことで」

「……社長のことですか?」


 陰気な女中は、不審げな表情を浮かべた。いつものごとく、受け答えはボソボソとしていて聞きづらい。


「ご覧になった通りの方ですよ」


 別に何かを隠そうとしているわけではなく、それ以上の感想がないような言い方だ。単に語彙力の問題なのか、雇い主への関心が薄いのか、測りかねた。


「見た通り、というと……? 僕には社交的で、商売熱心な方に見えましたが」


 タツ江は「そうですね」と、新伍の言葉を否定しない。


「性格は真面目なほうですか? 例えば、何事もキッチリとこなしたいとか、細かいことによく気がつく、だとか…」


 具体例を挙げてみたが、タツ江は無言で軽く首を傾げた。

 否定なのか、肯定なのか。何か続きを話し出すのかと待ってみたが、黙したまま伏し目がちに立っているだけだ。どうもハッキリしない。


「タツ江さんはいつから韮崎家(ここ)で働いているのですか?」

「2年前です」

「2年前というと、前社長のことは?」


 知らないと答える代わりに、首が左右に小さく動く。

 全般的に小声で早口。必要最低限のこと以外は口にしない。いや、必要なことですら口にしない。人との会話が苦手なのか、物事への関心が薄いのか。


「この家に届いた例の予告状について、タツ江さんはどう思いますか?」


 すると、それまで居心地悪そうに俯いていたタツ江が突如、パッと顔を上げた。


「本当に……本当に、あの御方がいるのだと、驚きました」


 早口だが、さっきまでとは打って変わって声が明るい。あまりの変わり様に新伍は目を見張った。

 タツ江の頬は紅潮し、目は爛々と輝いている。興奮に戦慄(わなな)いているように見えた。


「タツ江さんは例の……義賊のことをご存じだったのですか?」


 ここは『泥棒』ではなく、『義賊』と表現したほうが良いのだろう。彼女が件の盗っ人をどう捉えているのか、身振りや顔つきで一目瞭然だ。


「直接は存じ上げません。ですが、あの方は貧しい人たちの味方なんです。奪った富で困窮している者たちを救ってくださる。近くの長屋に施しをくださったと聞いたとき、きっと、いつかうちにも……私たちのもとにも来てくれると願っていました」


「近くの長屋? 確かタツ江さんは、韮崎家に住み込みですよね?」

「今はそうですが、以前は兄と二人で長屋に暮らしていました。お金さえ……お金さえあれば、あたしだって、住み込み女中なんかしなくて済むんです!」


 タツ江は悔しそうに下唇を噛んだ。カッと見開かれた眼尻がピクピクと震えて、怒っているようにも見える。


 一部の人間にとって、まやかしの義賊が英雄視されているのは知っている。どうやらタツ江は、その()()()()()に属しているらしい。


「いつも兄と二人で話していました。あの方の素晴らしさを。兄はあの方のようになりたいと言って……」


 熱に浮かされ捲し立てられた言葉は、「タツ江さん?」と呼ぶ、冷ややかな声に遮られた。


 もう一人の女中、マツがどっしりとした身体を揺らながら、こちらに向かってやって来る。彼女は、住み込みではなく通いの女中という話だったが、どうやらタツ江よりも立場が上らしい。


 タツ江はすぐに口を噤んで、肩を落とした。高揚した表情は、みるみるうちに鳴りを潜め、まるで気配でも消すように身を縮める。


 マツがため息とともに、「呆れた」と苦言を漏らした。


「何をやっているの。お客さまにそんな話をお聞かせして。だいたい貴女、まだ掃除の途中でしょ?」


 一見すると笑顔だが、無言の圧は叱責する者のそれだ。

 マツの登場に、タツ江は、さっきまでが嘘のように、あっという間に元の陰気な女中に戻って「申し訳ありません」と呟いた。


「油を売っている暇はないわよ。さっさと仕事してちょうだい」


 マツに叱られたタツ江が、逃げるように離れていく。


 タツ江が去ると、今度はわざとらしいほど大きなため息を、新伍に見せるようについた。


「ごめんなさいねェ。あの子、例の泥棒の話になると、ちょっとおかしくなるの。狐だか、狸だか…ってやつね」


 マツの言い方からすると、彼女は泥棒贔屓ではないのだろう。「たかだか犯罪者に何を入れ込んでいるのかしら」と、心底理解できない様子で苦言を吐いた。


「ちょうど良かった。マツさんにも話を聞きたいのですが」


 新伍の申し出に、マツは一転、上機嫌に変わり、「おほほ」と小太りの身体を揺すって、快く頷いた。


「私? えぇ。もちろん、構いませんよ。私なんかで良ければ、何でも聞いてちょうだい。捜査のお役に立てればいいのだけれど」


「マツさんは、いつも何時にこちらへ?」

「私ですか? 16時ごろですよ。以前はもっと早くに来ていましたが、今はたいていのことをタツ江がやるから、お夕食のお支度だけね」

「それは、事件のあった日も?」


 マツは二度三度、瞬きをしてから、「あら、警察の方みたい」と笑った。疑われているのかと機嫌を損ねた様子はない。


「あの日も同じね。昼間の間は別のところで働いているもの。定食屋なんだけど…警察の方にも、そうお話してありますよ」


 話しぶりからすると、警察のほうでの裏取りも済んでいるのだろう。それなら、これ以上突っ込む必要はない。


「韮崎藤助さんと八重子さんは、どのようなご関係ですか?」

「八重子さまは、藤助社長の亡きお兄様の奥さま……ですけど、勿論、そんなことを聞きたいんじゃないわよねぇ?」


 マツは「わかってますよ」と一人で勝手に納得したように相槌を打つと、饒舌に続けた。


「八重子さんは、藤助社長のことを、とても信頼していらっしゃいます。私はご商売のことは、よく分かりませんがね、藤助社長は人の思いつかないような、あっと驚くようなことをいろいろお考えなさるんですって。商才がおありなのよねぇ」


 雇い主の優秀さを誇るように自慢げに言ったかと思うと、今度は、下世話な井戸端会議でもしているみたいに意味ありげな含み笑いをした。


「もちろん、お二人の間が特別なご関係だって疑う方もいらっしゃいますよ」


 貴方もそれを聞きたいのでしょう、とでも言いたげな視線に、新伍は否定も肯定もせずに微笑んだ。

 マツは講談でもしているように、大げさに首を振る。


「でもね、私から見るに、お二人はそんな関係ではございませんよ。あくまで、義理の姉弟として良い関係なの」


 八重子は藤助を「社長」と立てているし、藤助も八重子を「姉さん」と呼び、礼節をもって接していた。マツの人物評は、新伍の印象とも合致している。


「マツさんはいつ頃から、こちらで働いているのですか?」

「3年前よ。前の社長さんが亡くなる少し前」

「とすると、前の社長さんをご存知なんですね。どんな方でしたか?」


 マツは、ふくよかな身体の前に腕うくんで、「さあてねぇ」と首を傾げた。


「あたしはずっと通い女中だから、案外顔を合わせる機会がなくて、あまり話したことがないのよね。あんなふうに亡くなったときも、驚きはしたけど……」


「あんなふうに、というと?」


 新伍が問い返すと、マツの眉毛がクイッと持ち上がる。噂好きの女中特有の好奇心旺盛な顔をスッと新伍に近づけ、囁く。


「おや、知らないのかい? 前社長さんは自殺だったって話だよ」

「自殺?! 本当ですか?」

「まぁ、はっきりそう言われたわけじゃないけどね。あの日は朝、ここに来たら、夜中に自室で亡くなっていたって聞いて……奥さまの口ぶりで、あたしはピンときたね。これは、ワケありだって」


 マツの言い方は、やや引っかかる。

 自室で一人で亡くなっていたからといって、即時に自殺とはならない。何かの拍子の事故死かもしれないし、突然の心臓発作のような自然死の可能性もある。

 自殺と名言されたわけではないのに、何故、彼女はまるで真実のように、そう語るのか。女中の鋭い勘か、はたまた、ただの想像豊かな女の空想か。


 八重子に聞けば分かるかもしれないが、それが吉と出るか凶と出るか。


 思案して眺めた先には、玄関の花瓶。もうそろそろ、と切り上げようとしたマツを引き留め、尋ねた。


「そういえば、この玄関の花瓶は相当に見事ですが、この花の世話はいつもどなたがしているのですか?」


「水を変えているのは、タツ江ですよ。家中の花瓶は全部、タツ江が変えています。それに傷んだ花を捨てるのも……あぁ、それは奥さまもやっているかしらね。タツ江に任せておくと、傷んだ花がそのままになってしまうからと、よく手を出していました。奥さまは花がお好きで、新しい花はいつも手ずから生けていました」


 八重子は決まった花き店に、定期的に新しい花が届けもらえるように頼んでいるそうだ。


「確かに、至る所に花が飾ってありますね。これは八重子さんの手によるものでしたか。確か、一階のお店の方にも……」

「えぇ、あそこには二つも飾ってありますものね。お客さまの目に触れるからと、とりわけ奥さまは気にされていましたから」


 八重子は一階の店を一等大切にしていた。銀座の新店舗よりも想い入れがあった。「それなのに、あんなことになってしまって…」とマツが心底気の毒そうに呟く。


「……そうですね。ちなみに花台を掃除するのは、どなたですか?」

「それも、タツ江です」

「他の花台もですか?」

「花台に限らず掃除は全てタツ江の仕事です。あの……何か問題でも?」


 マツはタツ江の仕事ぶりを知っているのだろう。粗相でもあったのかと心配しているようだ。


「いえ、何でもありません。お忙しいところ、お付き合いありがとうございました」


 おしゃべりな女中がいなくなると、玄関が静かになった。頭を整理するにはちょうどいい。

 新伍は再び、飾られた花瓶に目をやった。

「花瓶が二つ……」

 呟く新伍の視線の先に、色とりどりの花の奥に隠れて控えめに、丸みを帯びた白い小さな花が揺れていた。



 その後も、勝川から帰宅許可が出るまで、新伍は韮崎邸で、比較的自由に過ごさせてもらった。


 あれこれ歩き回って気になるところを検めたり、折をみて八重子や女中たちに話しかけたり。

 何気ない話題を振りながらも、彼女たちが亡くなった韮崎藤助についてどのように思っていたのか、また、話に矛盾がないかを注意深く聞いた。


 相変わらず、タツ江は陰気で言葉少なだし、マツに掴まれば事実なのか妄想なのか、判断に迷うような話を延々される。饒舌な分だけ情報量は多いが、何度も聞くうちに同じ話が順繰りに続くようになってきた。


 多少、進歩したのは晶子との関係性だろう。言葉少なでも会話が成り立つようになったのだから。


 事件のあった翌日を除いて、晶子は毎日、同じ時間に家庭教師の授業を受けていた。

 たまたま一度だけ、新伍も出会したが、上品に着物を着こなす中年の女だった。しっかりと結い上げた髪と薄紫の風呂敷のせいか、かなり古風な印象の女性だ。


 晶子がポツリポツリと話したところによると、出身は帝都だが、長く地方の小学校で教鞭をとっていたそうだ。家庭の事情で帝都に戻って来たところ、縁あって藤助が雇うことになった。確かに堂々と構えた彼女の立ち居振る舞いには、元気に走り回る子どもたちを御する威厳があった。


「晶子さんは、どんな授業を受けているのですか?」


 新伍の質問に、晶子は「色々です」と短く答えたが、すぐに思い直したようで、「国語や算術、お縫製……時間があるときは花を生けたりもしています」と丁寧に付け足した。




 そうこう過ごしているうちに、ついに勝川から新伍の帰宅許可が出た。


 韮崎邸を出た新伍は、久方ぶりに大学に顔を出してから、三善邸に戻った。すると、すぐに桜子から呼ばれたというわけだ。


 ちょうど、新伍も顔を出さなくてはと思っていたところだ。彼女からも話を聞きたかったし、何より案じていた。続く事件に、気が滅入っていないといいのだけれど、と。


 胡条の旦那様やイツの尽力もあったのだろう。意外にいつも通りに過ごしていたようで顔を見たら、安心した。


 それにしても……


 新伍は懐から名刺を取り出す。

 先ほど、桜子から預かったものだ。


諧文堂(かいぶんどう) 記者 宮前 悟(みやまえ さとる)


 新伍の口から、思わずため息が漏れる。


 友達想いなのも、好奇心旺盛なのも、桜子の美点だ。新伍の役に立ちたがるのも、健気だと思う。

 実際、八重子の夫の死因や怪盗41号について、新伍が聞き込んだ話の内容を補完するような目新しい話もあった。あったのだけれど……ーー


 新伍は苦笑いを引っ込めると、名刺を着物の懐にしまった。

 ちょうど三善邸の門前に着いたのだ。


 私室に戻ろうとしたところで、女中に呼び止められた。郵便夫が新伍あての小包を持ってきたので、受け取っておいたという。


 女中に礼を告げ、茶色の紙で巻かれた四角い箱のような荷物を携えて自分の部屋に戻る。

 小包は大きさの割に重い。差出人の名は「山田一郎」。身に覚えのない、いかにも偽名くさい名に、思わず眉を顰める。


 警戒しつつ包み紙を破ると、中から木箱が現れた。木箱の蓋を外すと、中に帳面が数冊と手紙が入っていた。

 新伍は、上の方の手紙をいくつか取り出す。


 手紙の宛名は全て、『小松八重子』様となっている。八重子という名から察するに、前社長夫人の韮崎八重子のことだろう。


 手紙の差出人は、表には書いていないようなので、封を開けて中を検める。

 文面を飛ばして末尾へと目を向けた。そこに記された差出人の名はーーー


韮崎(にれさき)……昭一(しょういち)?」


 同じ韮崎姓。だが、今までの韮崎家の面々には出てきていない名前だ。


 失礼して文面を読むと、どうやら恋人同士のやり取りらしい。

 韮崎昭一から若き八重子への求愛。昭一は、亡くなった八重子の夫のようだ。


 一緒に収められていた冊子は、八重子の古い日記帳だった。八重子から昭一への率直な想いが綴られている。日記と手紙を組み合わせて読むと、若い頃の昭一と八重子の馴れ初めが浮かび上がってきた。


 小間物商として全国行脚していた昭一は、上諏訪のあたりで、八重子と出会い一目惚れしたらしい。

 昭一は熱心に八重子を口説き、その甲斐あってか、八重子と恋仲になる。しかし、八重子の家族が二人の仲に反対した。あちこちを渡り歩く風来坊のような仕事を嫌ったようだ。


 しばらくの間は、昭一が上諏訪を訪れるたびに短い逢瀬を惜しむように重ね、再会を約束して、手紙を渡す日々が続いた。

 だが、家族たちの反対は激しくなるばかりで、一向に将来に希望が持てない。

 そんな中、ある時、ついに八重子に縁談が持ち上がる。恋人たちを引き裂くために、八重子の家族が強引にすすめた縁談だ。


 そこで若い二人は決断を余儀なくされた。

 逃げるしかない。


 ある晩、八重子は、差し出された昭一の手を取って、生まれ育った地を逃げ出した。駆け落ちだ。


 手紙はそこで終わっているが、八重子の日記に続きがあった。

 恋人たちの逃避行の後、すぐに昭一は帝都に店を構えた。それが、今の邸宅の一部となった、あの事件のあった店なのだろう。


 八重子と昭一はそこで店を営み始めた。これを読むと、八重子のあの店への想い入れも理解が容易い。


 ちょうど、そこで日記の(ぺーじ)が終った。続きは同封されていない。別の帳面に記してあるのか、あるいは書くのをやめたのかもしれない。

 最後の頁に、白い小さな押し花が挟まっていた。かなり前のものなのか、乾燥して黄ばんでいる。新伍は花の形を崩さぬように気をつけながら手のひらに取って、眺める。


 さて。「山田一郎」なる者の狙いは何か。

 何のつもりで、新伍に()()()()()を云ってよこすのか。



 花を元の場所に挟み直して、帳面を横に避ける。これですべてかと木箱をのぞき込むと、一番下に小さな封筒が入っていた。縒れてくすんだ他の紙に比べて、封筒は明らかに新しい。


 封は糊付けされておらず、持ち上げれば、かぱりと口が開く。中を覗き込んだ新伍は、「なるほど」と呟いた。

 傾けた封筒から、中身が掌に転がり落ちる。4銭1厘。新伍が握りしめると、硬貨同士がぶつかるカチンとした高い音がした。


 挑発的なやり口に、自然と笑みが漏れる。


 もし新伍が41号の意図を正確に理解しているとしたら、多分、奴はこう告げている。


ーーー韮崎藤助殺害の犯人は韮崎八重子である、と。



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